第7話 幼い頃の記憶

「死んでるって……。変な冗談はやめてくれ」

「冗談なんかじゃありませんよ? 初めて樹さんに会ってからしばらくして、私本当に死んだんです」


 蛍はそう言うと、自分の身に起きたことを淡々と話し始めた。

 

        ◇ ◇ ◇


 蛍の母が誰かと電話をしている。


『ねぇ、今から家に来ない? 会いたいんだけど~』


『えっ? 子ども? あぁ、それなら大丈夫! 外に出しとくから』


 母の甘ったるい声を聞き、幼い蛍は窓の外を眺めた。今から放り出されるであろう窓の外では雪がハラハラと舞い始めていた。蛍は自分の肩を抱いて小さく身体を丸めた。

 しばらくすると母の男がやって来て、蛍はすぐさま外に追い出されてしまった。厚着なんてさせてもらえないので身体がとても冷える。いや、それよりもお腹が空いて仕方がない。こうやって夜遅くに一人きりで外に出されるのは何度目だろう……。


 蛍は枯草だけになった川沿いに座り込んだ。

 夏に来た時にはホタルがたくさん飛んでいてとても綺麗だった。今は冬だからもちろん生き物の気配なんてしない。もうすぐ私もこの冬の景色の一部になるのだと予感した。幼いながらも自分の死を感じた蛍は、夏にここで出会ったあの優しい男の人のことを思い返した。

 

 夏の暑さで汗だくになってもお風呂に入れてもらえず、自分でも嫌になるほど汚れていた私に声をかけてくれた“樹”という男の人。あの人が繋いでくれた手の温かさを未だに忘れることができない。

 あの日、樹が連れて行った警察で蛍は保護され、『やっとあの親から解放される』と喜んだのも束の間、結局虐待認定されず、無情にも蛍は家に連れ戻された。それからの生活は、行政指導が入ったところで改善なんてされるはずもなく、淡々と同じような日々の繰り返しだった。そして季節は廻り、蛍の小さな身体は徐々に限界を迎えたのだった。

 

 寒いなぁ……。お腹空いたなぁ……。


 枯草の上で座ったまま、その幼い命の灯が消えた。

 朝になって近所の人に発見された時、蛍の身体はすでに冷たくなっていた。


       ◇ ◇ ◇ 


「私の死因は凍死です。ちゃんとご飯を食べさせてもらえなかったから、栄養失調も影響したみたいです……」


 樹は溢れる涙をそのままに、つらい思い出のはずなのに表情一つ変えず、淡々と語り続ける蛍を見つめた。

 

 あぁ、俺がもっと気にかけてやれば……。そうすれば蛍は死なずに済んだのかもしれない。そうは言っても、あの頃の俺に何か出来たとは思えない。じゃあ今の俺ならどうだ? 今なら蛍のために何かしてやれるのではないか?


 

「……樹さん。死んだはずの私がなんでこの世にいるのか気にならないんですか?」


 俺は、彼女の身の上話の衝撃と彼女を助けられなかった後悔で、そんな当然の疑問すら頭から完全に飛んでしまっていた。


「……あぁ、そうだったな。じゃあ、お前は幽霊なのか?」

「う〜ん、どうでしょうか……。ちゃんと身体も足もあるので、幽霊というよりは“蘇った”というところでしょうか」


 俺は『ふ〜ん……』と理解できたのか否かはっきりしない返事をしたが、彼女は俺に構わず自分が死んだ後の話を続けた。


「死んでしまったけど、私、どうしても樹さんにあの時のお礼をしたかったんです。だから神様に頼み込んで1年間だけ猶予をもらってこの世に戻ってきました。

 ただ、ここでこの身体を維持させるためには人間本来のエネルギー、すなわち性行為により発せられるエネルギーが必要なんです。これまでは別の人を頼ってたんですけど、それを止められるともうこの世では生きることができないんです……。

 でも私、まだ樹さんにお礼が出来ていません! このままあの世に戻されたら、悔やんでも悔やみきれません! だから、別の人に抱かれるのを許してくれるか、樹さん自身が抱くかどちらか選んでくれませんか?」


 この究極な選択に俺は頭を抱え、『しばらく一人で考えさせてくれ』と彼女に頼んだ。すると、蛍は無言でその場に立ち上がってドアの方へと向かった。


「よく考えてほしいとは思っていますが、エネルギーが切れるのも時間の問題なので早めに決めてください。私はできれば樹さんに抱かれたいと思ってますから……」


 彼女はそう言葉を残すと、自分の部屋へと戻って行った。

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