第68話 判断が出来ない

「僕だけじゃない。ちひも似たようなもんだ。あいつも何やかんや言って出来る奴だからさ。本来はかなり難しい事であっても多少無理して何とかしてしまう」


 確かにちひさんも何でも出来る人だ。

 少なくとも私にはそう見える。


「ちひが社会人時代に無理し過ぎで倒れた話は知っているだろうけれど、実はその前、学生時代にも一度倒れているんだ」


「そんな事があったんですか?」


 その話は初耳だ。


「ああ。僕はもう大学を卒業した後で、そんな事があったと大分後で知ったんだけれどさ。

 卒論の時期に風邪をひいたのに無理し過ぎて肺炎直前になったと聞いた。ちひ自身ではなく別の知り合いからだけれど」


 そんな事もあったのか。

 そう思ったところで和樹さんが話を一度止めた。

 何故かなと思ったら、店員さんが近づいてくる。

 どうやら飲み物とケーキが来たようだ。


 和樹さんの前にケルストルとパインサイダーが、私の前にテッティレルタルトとアイスティーが置かれる。


「ごめんな、変な話をして。とりあえずケーキを食べながら話を続けていいか」


 和樹さんがスプーンでケルストルを崩しながらそんな事を言った。

 ここのケルストルはバター分多めでスプーンで崩しても粉々にならないんだな。

 そんな事をちらっと思いつつ、和樹さんに返答。


「勿論です」


 私もテッティレルタルトをスプーンで崩して口へ運ぶ。

 パイ地の台の上にクリームが乗っていて、そのクリームの中に甘く煮た酸っぱいシダが入っている。


 前に結愛が食べたテッティレルケーキと違うのは台の厚さとクリームの量のようだ。

 もちろん細かな違いは他にもあるけれど。 


 和樹さんはドリンクを口にした後、再び話し始める。


「ヒラリアに来てからずっと順調でさ。だからそろそろ何かあるんじゃないかと、微妙にナーバスになっていた。

 だから机の件を美愛に言われた時、つい不安になってさ。今まで失敗した自分と同じ、取り敢えず現状維持で何も変えようとしない自分に気づいたから」


 なるほど、それで和樹さん、いつもと違う感じだった訳か。


「和樹さんでも不安になる事があるんですね」


「正直なところ不安だらけさ。何とかやってきたし何とかなってきたと言っても、それはあくまで結果論だから。


 大学時代、奨学金を実家に使いこまれて一文無し状態になりかけた時は思い切り焦って、結構まわりに迷惑かけたな。その辺はまあちひに聞けばわかるけれどさ」


 やっぱりちひさんが羨ましいなと私は思う。

 勿論私にそんな事を思う資格がない事はわかっている。

 正妻と居候みたいなものだから。


 それでもそんな昔から、和樹さんの事を知っていて、つきあっていたというのは羨ましい。


「だからこの話を始めた最初、机を買ってこの店にくる途中には美愛に頼むつもりだったんだ。美愛の目で見ておかしいと思った事は遠慮なく言って欲しいと。


 あの机が欲しい事に気づいたような感じでさ。僕やちひでは気付かずに流してしまう事があるだろうから」


 つもりだった、という事は今は違うという事か。

 

「ただ話しているうちに気づいたんだ。既に美愛は僕やちひが失敗しないようにしてくれていたんだなって。僕が思っていたより多くの方法でさ」


 えっ?

 予想外の方向に話が向いた。

 この展開は正直わからない。


「私は特に何もしていないと思います。うまく行っているのは和樹さん自身やちひさんのおかげです」


「そうでもないさ。例えばこうやって僕やちひの話を聞いてくれたりなんてのもそうだ。僕もちひも本来は外交的な人間じゃないからさ」


 和樹さんが外交的ではないというのはわかる。

 ただちひさんもそうなのだろうか。


 でもそう言えばちひさん、私相手でさえも事前に作戦を練ってしまう人だった。

 だからもっと関係が疎遠な人相手なら、当然もっともっと色々作戦なり下調べなりしてしまうのだろう。

 だから人と会うのが疲れる、というのはあるのかもしれない。


「本来外交的ではないからさ。だから外の情報なんてのも入ってこない。

 勿論新聞なんかを読んで少しでも世間の動向をわかろうとはするけれどさ。そういった媒体内の情報は既に生ではない、現実より何歩も遅れた、書いた人のフィルターで処理された後の情報なんだ。


 結局僕やちひが少しでも話をするのは、市場の担当のグラハムさんくらい。ただあの人はバイヤーとしては優秀だけれど、普通の世間からは割と浮いている人だろうしさ。情報源としては今ひとつ怪しい」


 確かにグラハムさんはそういう人だなと思う。

 本人にそういう自覚はあるようだし。


「でも美愛は外で仕事をして、そこでも友人がいるだろう。そんな普通の、当たり前のこの国の視線を知りつつ意見を言ってくれる。

 それで助かった事は結構あった筈なんだ。味噌や醤油の増産し過ぎとかそういうのもだけどさ。


 無理しないで、出来る範囲で仕事の範囲を広げていく。そのあたりも結構美愛のおかげって部分が大きい気がするんだ。ちひが多種少量生産なんてやって不安にならないのも、美愛が励ましたりアドバイスしたりしてくれている結果だしさ」


 そうなのだろうか。


「正直そこまでの事はしていない気がします」


「美愛が気付いていないだけさ。

 だからお願いというより感謝するべきだな。そう話している途中で思った訳だ。


 なんて一方的に話してしまったけれどさ。いままで本当にありがとう。そしてこれからもよろしく」


 どう返答していいのかわからない。

 でも何とか言葉をひねり出す。


「こちらこそ。私や結愛は和樹さんがいなかったら今頃どうなっていたかわかりませんから」


「でも美愛だったら何とかなったんじゃないかな。今思うとそんな気がする」


 そんな事はないと思う。

 何せあの時はヒラリアの言葉すらわからなかった。

 そう言えばあの後、和樹さんに色仕掛けを仕掛けたんだよなと思い出す。

 今思うと何と言うか恥ずかしい。


「実際には今話した以外の理由なり感情なりもあるんだ。美愛がいてくれる事に対してさ。うまく言えないけれど。


 だから本音を言えば、美愛にはずっと一緒にいて欲しい。正直に言ってしまうとさ。

 こんな事を言うと自分勝手かもしれないけれど」


 えっ、今の言葉はどうとらえればいいのだろう。

 そのまま取ってしまっていいのだろうか

 本音を言えばとか正直になんていう言葉が入っているから、実は否定的な意味なのか。


「もちろん美愛の希望とか人生設計とかはあるだろうからさ。答えはすぐに出さなくていい。

 ただ僕は美愛に、一緒にいて貰いたいと思っている。それだけは憶えていて欲しい」


 それって、本気にしていいのだろうか。

 何と言うかすぐに答えが出てこない。

 ちひさんの件もあるし、どう受け取っていいか判断できなくて。

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