第56話 何か好きな時間
だだっ広い土の広場と、細長い池4つ、広くて場所によっては深さのある池が1つ出来た。
そのうち一番広い池には既に水が溜まっている。
他から水を入れたりした訳ではなく、底から水が染み出してきているのだ。
「概ね潮位と同じくらいの高さかな。予定通りだ」
「砂の層で海と繋がっている訳ですね」
「そういう事」
この広くて深さのある池は給排水用。
砂浜まで掘ってあるので、砂の層を通して海の水が染み出してくる。
水位は当然潮位によって変化する。
つまり海まで水路を繋げなくても取水や排水が出来る訳だ。
勿論海まで直接繋がっている水路より給排水能力は劣る。
それをカバーする為、池の広さを大きくしたそうだ。
壁や通路、水を通したくない場所を乾燥させて焼いて固める作業も終わった。
つまり当初の工事予定はこれで完了。
「それにしても思ったより早く工事が終わったな。これも美愛のおかげだな」
持ってきた目覚まし時計によると、現在時刻は午後2時半。
ちひさんの海岸へ網を揚げに行くまでまだ1時間以上ある。
「私は簡単な魔法で出来る程度の手伝いをしただけですから」
和樹さんが伐採した木や草を魔法で集めて熱分解。
防水作業で土壁部分を乾燥させたり熱を通したりの手伝い。
私がやったのはそれだけだ。
魔法で工事する場合、必要なのは時間より魔力。
少なくとも私が身近にやる作業は概ねそうだ。
運動場くらいの森林の伐採や造成だって、魔力が充分にあれば1時間もかからないで可能。
しかしそれだけの作業を1人でやると途中で魔力が足りなくなる。
魔力を回復する時間が必要になる訳だ。
他には手順が明確な事も必要かな。
これはまあ、魔法に限らずどんな作業でもそうだけれど。
そうだ、この事も言っておこう。
「あとは和樹さんの考えた手順がわかりやすくて無駄がないおかげです」
「美愛だってこれくらいは出来るだろ」
「手順は別として、これだけ広い場所を一気に伐採したり、行けや水路を一気に掘るのは私には無理です」
これは本音だ。
魔法で同じ作業をするなら、作業内容の指定が簡潔な方が魔力を使わないで済む。
勿論その指定に漏れが無い事は絶対条件だけれども。
和樹さんは数式で指定する事により、見えない部分を含む広範囲の土地まで一気に作業する事が出来る。
私がやる場合は見通しが利く範囲ずつしか作業が出来ない。
結果、時間も魔力も和樹さんの倍以上必要だろう。
「大した事は無いさ。多分美愛だって出来ると思うよ。数式でも言語でもいいから範囲を漏れが無いよう定義してやるだけだし」
口で言うのは簡単。
でも実際にやるのは私には無理だ。
というか、和樹さん位しか出来ないのではなかろうか。
大学で数学関係の学科ならそれ位は出来るのが当然なのだろうか。
以前和樹さんにどうやって範囲指定をしているか聞いた事がある。
『座標軸の原点を指定してさ、x,y,z軸の方向を指定してやれば簡単だろ。
z軸は基本重力のかかる方向で、y軸はz軸と直交して惑星表面上の磁北に最も近い距離まで近づく直線の方向と定義すれば、x軸はその2軸に直交すると定義するだけで済むし。
現在という短い時間軸で、僕らが作業する範囲だけなら、空間をユークリッド幾何学的に考えても問題無いからさ。
あとは元になる数式と範囲を決めればいい。例えばこの条件でy≦x²-1 0≦x≦10 y≦0と定めれば、深さ1mの滑らかな水路が一瞬で定義できるだろ。僕の場合は媒介変数を使って変形するけれど、基本は同じさ』
じっくり考えれば和樹さんの言っている事は理解出来なくもない。
しかし私の場合は適切な数式を考える時点で既に『簡潔な指定』では無くなっている。
しかしそんな理解しにくい話であっても、和樹さんと話をしているのは何となく楽しい。
楽しいというか安心できるというか、正確にはよくわからない感情なのだけれども。
「作業はひととおり終わりましたし、配水池の海水も予想通り貯まりはじめたから、家でお茶にましょうか」
「ありがとう。そうしようかな」
うん、何か今の時間は好きだなと思う。
落ち着くというか微妙に表現しにくいけれど。
家に入ってお茶の用意。
魔法で室内に風を通して、埃やちり、よどんだ空気を払う。
いつも通りアイテムボックスに週末分+αの食事やデザートは入れてきている。
「デザートは何がいいですか?」
「それじゃチーズケーキ、焼いている方のあるかな」
勿論用意してある。
和樹さんの好みはわかっているから。
「今回はバスク風っぽく上を焼いてみたものです」
直径10cm程の円形のケーキを2つ出す。
カロリー多めかなと思うけれど、今日は動いているしこれくらいはいいだろう。
お茶はアローカ茶の冷たい奴で。
お代わりが出来るよう、コップだけでなくガラスポットに入ったものも一緒に出す。
和樹さんは冷たい飲み物の方が好きだし、割とがぶ飲みするから。
「どうぞ」
「ありがとう」
楽だというのもあるかな、この時間が好きなのは。
グラハムさんやリアさん達を相手にしている時のように色々考えなくて済むし。
ちひさんもそうなのかな、なんて思ってふと気づいた。
ちひさんが和樹さんを好きな理由のひとつは、考えなくても接する事が出来る相手だからじゃないかなと。
ちひさんは考えてしまう人だ。
私が相手であっても、『どうやって仕事服以外を買って貰うか』作戦を考えてしまう位に。
その考えてしまう事が苦痛なら。
『人付き合いってあんまり得意じゃないんですよね』
ちひさんの言葉はそういう意味だったんじゃないだろうか。
そう思ったというか、感じたのだ。
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