第48話 ちょっとだけ重い一服
ちひさんの海岸に到着。
「思った以上に早く着きましたね」
時計を見ると7時半。
お家を出てから2時間半かかっている。
いつもの船で和樹さんが操縦した時がほぼ2時間。
30分ほど余計にかかってしまった計算だ。
「すみません。もう少し早く着けば作業も楽だった筈ですし」
「この時間に着けば全然問題ないです。自転車で来てもそう変わりませんから。
まずは川の方の網を張る作業からやろうと思うんです。海の方の網はもう少し潮が満ちてから、船に乗ったままやろうと思うんです。ですから一度いつもの場所に船を入れて貰えますか」
「わかりました」
岩を削って船着き場のようにした場所へと船を寄せる。
魔法で位置を固定して、降りた後に収納すれば上陸完了だ。
「川下の方からやりますね」
網を張る作業そのものはいつも此処へ来た時にやるので私もわかる。
だからそのまま手伝い開始。
◇◇◇
「やっぱり2人いると早いし楽でいいですよね」
3カ所の網を張った後、海岸で休憩。
東屋というか田舎のバス停にありそうな屋根付きの小さな休憩所にテーブルを出して、カップケーキと自家製アルカイカ茶で一服。
「この後は釣りですか?」
「ええ。いつもはこの周囲の整備くらいしかやる事が無いんですけれどね、自転車で来ているので。
でも今日は船がありますからね。疲れない程度にガンガンやりますよ」
なるほど。
そう思って、ふと疑問というか聞いてみたい事を思いついた。
でもこれを聞いていいのかどうか。
わからないので少し考えていると。
「何か疑問か質問がありますか、ひょっとして?」
気付かれてしまった。
ちひさん、こういう時の勘が結構鋭い。
黙っているのもかえっておかしいと思うので、思い切って聞いてみる。
「ちひさんは何故漁業をやろうと思ったんですか?」
私はこの世界に来たけれど何をするべきかがわからない。
働き始めたのも含め、全てが何となく流れでそうなったという感じだ。
和樹さんとちひさんの庇護の下で、安全で快適な枠の中で。
だから聞いてみたかったのだ。
ちひさんが何故、この世界に来て漁業や水産加工なんてやっているのかを。
「うーん、ちょっと答をまとめる時間を下さいね」
ちひさんはそう言って少し考え込む。
やっぱり失礼な質問だったのだろうか。
「何となく聞いただけだから、答えにくかったらいいですから」
「大丈夫ですよ。答えにくいとか答えたくないじゃなくて、実際にどうだったかを思い出しているだけですから。
そうですね、きっかけとしてはきっと『それしかやりたくなかったから』なのでしょうね。今がそうという訳じゃなくて、この世界に移住すると決めた頃に」
どういう事だろう。
わかるようで微妙にわからない。
「此処へ来る少し前、うつ病で動けなくなったって話はしましたよね、確か」
私は頷く。
今のちひさんからはとてもそうは感じられないけれど、前に聞いた。
仕事で疲れてうつで動けない状態になったと。
動けなくなる直前に買ったドリンクと完全栄養食のパックをベッドの頭部分近くに置いて、それを食べ、トイレに行くのがやっとだったと。
「私がオースに移住しようと思ったのはそういう時期だったんです。そしてその頃の私にとって楽しくやった思い出で真っ先に思いつくのが、大学時代に行ったサバイバルキャンプだったんです。先輩を含めて夏休みに、南の方の無人島へ行ってやったんですけれどね」
私が聞いているのを確認して、ちひさんは更に続ける。
「その中でも一番楽しかったのが魚捕りだったんですよ。
無人島と言っても日本の島だから狩猟許可がないと鳥や獣は捕れない。まあ狩猟許可があっても捕るのは大変ですけれどね。だから蛋白源は基本的に魚や貝、その他海生生物になるじゃないですか。
最初からそれはわかっていたので、釣り道具だの網だの、思いついて用意できるものを持てるだけ持ち込んだんですよ。100リットル越えの大型ザックだの手提げ袋だのに突っ込んで。
まあ持ち込んだ仕掛けの半分以上は失敗したんですけれどね。おまけに一番美味しい獲物は釣り道具しか持ってきていない先輩が釣り上げた甲イカだったりして。
でも楽しかったんですよ、間違いなく。
だから何もやる気が起きずに動けなくなった状態から脱出するために、その楽しかった思い出にしがみついて、その続きを求めた。
多分それがきっかけですね」
うーん、重い。
何と言うか聞いて申し訳なかった気がする。
「ただこれはあくまで私の場合ですから、参考になるかどうかはわからないですけれどね。
それに、そんなきっかけで始めた今の商売ですけれど、楽しいですし気に入っているんですよ。そうじゃなきゃ続けていませんしね。
それに漁業や水産加工しか出来ない、これをやらなきゃいけない。そうは思っていないです。
逆にこれしか出来ない、これをやらなきゃならない、そう思うようになったら辞めてしまおうと思っています。以前私はそれで失敗しましたから」
失敗したというのはうつ病になった事を指すのだろうか。
そう思う間にも、ちひさんの言葉は続く。
「家を出て奨学金で大学を出て、無難だと判断したお役所で働いて。
でも実家には戻りたくない、仕事場でも甘く見られたくない、だからこの仕事をやるしかない、辞める訳にはいかない。
そうやって抱え込んじゃって、気付いたらボロボロで自分の事すら十全に出来なくなって。
だからオースで新しく生活を始めるのを機に止めたんですよ。何々しなければいけない、そう自分を縛ることを。
選択肢は色々ある。今私は他の選択肢と比べてこの方がいいと思うからこれをやっている。でも嫌だ、続けられないと思ったら逃げていい。あくまで今やっているのは選択肢のひとつ。
そう思う事にしたんです。もっとも完全にそう出来ているかというと今でも微妙ですけれどね。私自身アドリブが利かないタイプですし、下調べをきっちりして路線を決めてから進む方が楽だったりしますから。
それでも今、水産業をやっているのは、これが楽しいと思えるから。それは確かですし、外してはいないつもりですけれどね」
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