第2話 ちょっとした事故

 空になった醤油樽を回収して、本日売れた分を作るのに必要な材料を業販で購入した後、事務所を出る。


 次にするのは家の食事用の買い出し。

 基本的に公設市場側の方が治安がいいし、値段も品質が同じなら民間の市場より安い。

 だから基本的には此処で購入。

 

 ただ公設市場以外で買った方が美味しい物もいくつかある。 

 たとえばパンはお家を挟んで公設市場と反対側に美味しいお店がある。

 あと、肉類や魚類は和樹さんやちひさんが獲ってくるから買う必要は無い。


 今日買った方がいいものってあったかな。

 アイテムボックス内の在庫を確認しながら少しだけ考える。

 野菜類は大丈夫、ただ卵や乳製品の在庫は微妙。

 買っておいた方がいいだろう。


 結愛は勿論、和樹さんもちひさんも甘党だ。

 だからおやつ類はある程度ストックを作って冷蔵庫代わりの自在袋に入れている。


 勿論ケーキやクッキー等を売っている店もある。

 ただ和樹さんはともかくちひさんと結愛は微妙に好みが細かい。

 甘すぎると駄目だったり、酒の臭いが苦手だったり、一部の香草類が好きではなかったり。


 だからうちで出すデザート類は引っ越し前と同様、私の手作りのまま。


「やっぱりこれが一番美味しいよね」

「うん!」

 なんて言われるとやっぱり嬉しい。


 実際はまあ、食べ慣れているとかおせじとかなのだろう。

 それでもついつい次も作ろうと思ってしまう。

 だから今日もバター、クリームチーズ、牛乳、卵を買っておこう。

 

 なおオースには人間以外の哺乳類はネズミサイズ程度のものしかいない。

 牛乳をはじめとした乳製品は本来存在しない筈。

 だから店で売っているのは厳密には『牛乳風の味と風味にした何かの加工食品』だ。

 チーズやバターも同じ。


 だからこの辺は製造者によって味や風味、かなり違う。

 少し考えて、やや値段が高めだけれど買い慣れたものを購入。

 ここのが一番本物の乳製品に近い感じがするから。


 和樹さんが作っている醤油や味噌なんかもいずれこんな感じで類似品が出てくるのだろうか。

 そんな事を少し考える。


「その気になれば化学的合成でも似たようなものは作れる。風味を似せるのには苦労するだろうけれど。基本的にはタンパク質を加水分解すればいいだけだからさ」


「髪の毛から醤油を作るなんて話も昔はありましたね。塩酸で処理して水酸化ナトリウムで中和するんでしたっけ」


 なんて事を以前、和樹さんとちひさんが言っていた。

 まだそんな業者は出てきていないようだけれど、醤油や味噌が売れているとわかったら出てくるのだろうか。

 そうしたら今の生活は大丈夫なのだろうか。


「類似品が出てきても先行者利益があるからある程度は売れ続けると思うよ。それに私の商売や美愛ちゃんの醤油粕の漬物もあるし、エビの養殖もこれからだし。だから心配はしなくても大丈夫かな」


 そうちひさんは言っていたけれど。


 乳製品を買ったら次は卵。

 これは鶏卵そっくりのものが普通に売っている。

 形も中身もそっくりだけれど、恐竜の一種の卵だ。


 進化論的には鳥類は恐竜の一種にして末裔。

 だからそっくりなのも当然らしい。

 食事や料理で結構消費するので、本日は20個入りの箱を購入。


 他は砂糖等も含め、まだ問題ないかな。

 ならパンを買って家に戻ろう。

 市場を出る前、もう一度事務所前のメッセージボックスを確認。

 追加の問題はなさそうだ。


 市場を出て道を渡り、そのまま向かいの細い道へ。

 ここを真っ直ぐ行くのがパン屋への近道だ。

 時間的にもちょうどいい頃合い。

 2回目の焼き上げ時間直後くらいに店につくだろう。


 そう思った時だった。


「ねえ君、ちょっとお茶しない?」


 背後からそんな台詞が聞こえた。

 最初は自分に対してだとは思わなかった。

 だから振り返る事もせずそのまま歩き続ける。


「ねえ、聞こえているんだろ」


 これって私に対してなのだろうか。

 考えてみればこの通り、人は少ない。

 振り向いて確認してみる。


 白人風の知らない男の人だ。

 年齢は和樹さんと同じくらいだろうか。

 髪もきっちり整えて一見だけは好青年風。


「ねえ、いいビジネスがあるんだけれどさ。ちょっと話だけでも……」


 一瞬で理解した。

 近づかない方がいいタイプだと。

 

「ごめんなさい。興味ありませんから」 

 

 ここは言葉を濁さずはっきり意思表示をするのがポイント。

 そうちひさんは言っていた。


 断るという意思表示が明らかなのにつきまとう事は違法だ。

 それを気にせずつきまとおうとした場合、治安機関が遠隔で強制措置をとる。

 それを知っている者ならつきまといを続けるような事はない。

 

「ケッ、移民のくせに金持ちぶっちゃってよ」


 捨て台詞が聞こえるがそれ以上は近づいてこない。

 どうやらこれ以上つきまとうとどうなるかは知っているようだ。


 移民のくせに、か。

 街のこちら側ではあまり聞かない台詞だ。

 この辺は比較的治安が良くて、そういった差別的な言動はほとんど見られないから。


 ただヘラスはそこそこ大きな街だ。

 治安がいい場所があれば悪い場所もある。


 勿論、犯罪は魔法によって発生と同時に発覚するし、場合に寄っては遠隔による強制措置も行われる。

 それでも治安の悪い地区では時に暴動なんてのが起きたりする。

 

 ヘラスは国の南西部を開拓する為に出来た街だ。

 だから政府関係の役人を含め住民は、何らかの形で開拓に関っている人がほとんど。


 圧倒的に多いのが開拓者優遇策に惹かれてやってきた人だ。

 私達のように地球から移住した人だけではない。

 国内やオースの他の国から一発逆転を狙って開拓民になった人も多い。


 ただそういった人で、開拓や事業で成功しているのはごく一部。

 和樹さんやちひさんのようなのは1割もいないらしい。

 結果、事業は上手くいかず開拓も失敗。

 特に技能等も無いから力仕事等に雇われているなんて人は多い。


 そういった上手くいっていない人の中には自分が失敗した理由をあとから来た移民のせいにする人もいるようだ。

 自分が失敗したのは自分のせいではない。

 自分の後に来た移民が仕事や機会を奪ったからだと。

 

 よくある話だと私は思う。

 自分は悪くない、他人が悪い。

 そう思う方が楽だから。

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