第10話
「私がですか?」
「移動を含めて、十日ほど領地行きに付き合え。できるように、仕事を調整しろ。そうだな、こちらの資料も集めねばならんから一ヶ月以内には向かう」
「そんな無茶な。新作ドレスの発表も控えておりますのに……今シーズンの流行の発信が……」
「領民とどちらが大事だ?」
なんだその仕事か私どちらが大事みたいな新妻あるあるな質問は。父より年上のワイナルドから言われるとは思わなかった。可愛くないし、きゅんともしない。しかし、夫がいなくても横暴な義父がいれば、嫁は従うしかないらしい。
こうしてスワンガン伯爵家の領地への視察が決定されたのだが、バイレッタの本日の用件は査察官の報告だけではなかった。
「お義父様、終戦協定が締結されたことをご存じですか」
「ああ、そんな話を聞いたな。締結されたのか。そういえば息子宛に式典参加の招待状も来ていた。それが祝勝会ということだろう」
「そのようです。ですから、以前に頼んでいた離縁状を夫に送りたいのですけれど」
言いながら用意していた離縁状をワイナルドの目の前に差し出せば、彼は中を
「随分と皮肉げな内容だが、離縁したいというのは本気だったのか」
見知らぬ夫へ宛てた手紙を皮肉げと言うが、バイレッタにとってみれば噓偽りのない事実である。そこには終戦を聞き、離婚したい旨をしたためてある。それ以外にどう書けというのか。
「送ることは構わんが、息子から返事が来ないことには儂にはそれ以上どうすることもできんぞ」
「いえ、これ以上お義父様のお手を煩わせるわけにはいきませんもの、一筆いただけるだけで結構ですわ」
顔も見ずに戦地に向かった夫だ。自分に執着される覚えはないのであっさりと離婚に応じてもらえるとは思っている。何事も不測の事態というのは起こるものだが、今回のことに関しては手紙を送ればおしまいになるだろう。
「そんなに別れたいものなのか。別に嫁ぎたい相手がいるわけでもあるまい」
「私はそもそも嫁ぐつもりはありませんでしたから。夫に縛られるのはごめんですわ」
「息子は束縛するよりは好き勝手させるだろう、今の生活となんら変わらん」
「それでも妻という立場上、夫に付き合わなければならないことも多いでしょう。妻にしてほしくないこともあるでしょうし。外国への買い付けも許してはくれないでしょう?」
「どこまで口を出すかはわからないが、外国へは簡単には行けないだろうな」
「それが苦痛なのです。商機を逃がしてしまうかもしれないことに恐怖を覚えるのです。そもそも商品の買い付けは自分の目で見てきちんと確かめてから行いたいですね」
バイレッタが力説すれば、義父は呆れたように息を吐いた。
「根っからの商売人だな」
「褒め言葉をありがとうございます。ですから、身軽になりたいのですわ」
「好きにするがいい。だが領地への査察は付き合ってもらうぞ。終戦が締結したといってもすぐに戻ってくるわけでもない」
「そうは言ってもいつ戻ってくるともしれない相手ですよ。早々に立ち去りたくはあります。そもそも領地問題は本来ならばお義父様のお仕事ですからね」
「ふん、最初に指摘したのは貴様だ。だから最後まで責任を取れ。そのために、しばらくは屋敷にいろ。どうせ息子は戦場から戻ったところで屋敷に寄り付きもしないからな」
義父は淡々と口にする。確かに親子仲は悪いようで、使用人の誰に聞いてもバイレッタの夫がこの屋敷に顔を出すことはよほどのことがない限りないと断言しているほどだ。
「わかりましたわ、領地にはご一緒させていただきます」
確かに手紙を送ってもすぐに戻ってくるわけではないだろう。引き上げてくるとしても興味のない妻に会いに来る
それにどこかほっとしているくらいには、この家に未練があるらしい。
「おかしなことですわね、お義父様にはこき使われた覚えしかないというのに……ここでの生活が意外に楽しかったようですわ」
「貴様は相変わらず歯に
「まぁ、お義父様こそ変わらぬ褒め言葉のセンスですわね。最後まで矯正できなかったことが悔やまれますわ。不徳の致すところで申し訳ございません」
殊勝に謝ってみせたバイレッタに、義父はなんとも言えない表情で口を真一文字に閉じた。だがこれ以上彼の機嫌を損ねるのは危険だ。一筆書かないとごね始めるかもしれない。
「穀物の件はこちらでも少し調べてみますから、お義父様は一筆書いてください」
譲歩案を出して義父を
翌日には戦地へ宛てて送ったが、半月経っても返事がこない。帝国新聞にも休戦協定が正式に締結したことが載っていたので夫が戻ってくるのは間違いないはずだが、郵便事情が悪化しているとしてもこれほど返事に時間がかかるとは思えない。
訝しみながらも、領地視察を行う日は近づいてくる。バイレッタは日々の忙しさに追われてしまったのだった。
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