第9話



 スワンガン伯爵邸に戻るなり義父の執務室に駆け込んだ。真っ当な商人が手を引くと言われた時点で、どうにもきな臭い話になると踏んではいたのだが、叔父から預かった報告書を帰りの馬車の中で読んで息を飲んだ。


 その報告書は領地の穀物について書かれており、実際の収穫量から算出された納税分の数字が異なると告げていた。つまり、横領だ。


 ワイナルドからはちょうど、午後に領地を見回っていた査察官が報告書を持ってくると聞いたので、離縁状を送る件は一旦置いて同席を申し出た。領地の仕事は領主の務めだと義父に丸投げしていたのがよくなかったのだろうか。だが、これは義父の怠慢だ。


 義父を問い詰めたい気持ちをぐっと抑えて、やってくる査察官を警戒しつつ待ち構えた。


「それはもう領民も食べる物に困るくらいのありさまで……」


 義父に言われた通り昼食を食べ終わった頃現れた査察官は、悲痛そうに顔を歪ませ語った。肩を震わせ俯くさまはあわれみを誘うほどだ。


 執務室の応接セットでテーブルを挟んでたいするが、迫真の演技にしばし言葉を失う。だが、義父はぜんとした面持ちのまま、冷たい声で告げた。


「追加で物資を送っただろう。なぜ、まだ足りていないんだ」


「いえ、それは配りましたが。今年は出産が多かったので、足りなくて」


 義父の隣に座っていたバイレッタは、問いかけた。


「不作なのに、多産だったのですか」


「え、はい」


「死産や死者は今どれほどになっています?」


「は、ああ……ええと、こちらに確か……これですね」


 査察官が出してきた書類を受け取り、領民の人数と出産数、死産数、死者数の数字を追っていく。ざっと眺めて、思わず眉根を寄せてしまう。


「あの、例年と変わりないように見えるのですが」


「そりゃあ、そうですね」


「え、でも不作で物資も足りないのに、死者数は変わらないんですか?」


 バイレッタの質問に、査察官の顔色が変わった。悲痛な表情を通り越して本当に真っ青だ。今にも倒れそうなほどで、義父も様子がおかしいと瞬時に悟ったようだ。


「どういうことだ」


「すみません、書類不備のようです。たぶんどこかで数字を間違えたものをお持ちしてしまったのかと」


「ふざけるな!」


 義父が一喝して立ち上がる。


 そこからの行動は早かった。査察官をすぐに締め上げ吐かせた。彼によると、領地に置いている執事頭からの指示だというのだ。


 その後、査察官を憲兵に突き出した。余罪を確認してもらっているところだが、基本的には領地の問題は領主が解決することとなっているため、憲兵からの情報など期待できない。これ以上彼が罪を重ねないようにろうに入れてもらうだけだ。


 二人きりになった執務室で、憤る義父に目を向ける。


「何が経営状態は問題なし、だ。問題だらけではないか」


「素直で他人を疑うことを知らない善人のかがみのようなお義父様のことですから、報告書を型通りに受け取ってよく見もせずに、査察官を帰しておられたのでしょう。ざっと調べただけでも数年単位で穀物の収支が合わないように思います。とにかく領地に行って、お義父様がしっかり監督なさったほうがよろしいかと。いつも数日足らずで戻ってこられるのでおかしいとは思っていたのですが。監督不行き届きですわよ」


「ぐっ、相変わらず生意気な口をききよって……領地の視察に時間をかけたところで何も変わらん」


 そんなわけないだろうという文句は飲み込んで、バイレッタは努めて冷静に告げる。


「どうも怪しい人物たちが、穀物を横流ししているようですよ。それも隣国に流れているのだとか……」


「どこから聞いた?」


「商売人には商売人なりの情報網があります」


 サミュズから渡された報告書に書かれていた内容をちらつかせれば、ふんっと義父は鼻を鳴らした。


「では、お前もついてこい」


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