第8話


 帝国が誇る高等教育機関であるスタシア高等学院にバイレッタが入学したのは十二歳だ。そして十五歳で卒業して十六歳で結婚したことになる。その間に起こした騒動は確かに淑女からは程遠い。だが、やむにやまれぬ事情があったのだ。


 けれどそのせいで、現在の社交界でも男を弄んでいる毒婦のように語られている。義父や叔父とただれた関係にあるだの、学院中の男を手玉にとっていただのと言われ放題だ。バイレッタの美貌を妬んだ者や商売敵、夫のかつての恋人たちのひがみのようだ。ぼうちゆうしようもいいところだし、そもそも興味がない。仕事に没頭しているので、余裕がないともいえる。つまり放置しているのだ。


 その噂を知っている叔父は昔から心配はしていたが、むしろ噂を利用してバイレッタに余計な男が近づかないようけんせいとして使っている。そのため積極的に噂の火消しを行わない。


 サミュズは母の弟にあたる。商家の次男の出だが、いつの間にか家を出奔して商売を始めた。それがハイレイン商会だ。二十年以上かけてハイレイン商会は帝国のみならず大陸全土に店舗を構えるおおだなになり、今でも成長を続けている。奔放さや商魂たくましいところは叔父に似たのだとバイレッタは自負しているほどだ。だから彼に油断できないなどと評価されるのは釈然としない。


 叔父は世間からは随分悪どいことにも手を染めているとささやかれているが、真実ではなくやっかみが多分に混じっている。自分と同じく悪名をとどろかせて、利益を得ているのだ。自分も同じ方法を辿っているだけである。


 叔父の場合は涼やかな顔とは対照的に腹の内は苛烈であることを知っているので、噂を強く否定することも難しいところではあるが。


 商いの関係で忙しい両親に変わって母が叔父を育てたようなもので、すっかり感謝して親の言うことより母の言うことばかり聞く。父と結婚する時は、大反対をしたのが祖父ではなく叔父だというところでも察することができる。父は相当いびられたらしい。その時の記憶がよみがえるからか父は今でも叔父を恐れている。


 だからこそ母によく似たバイレッタをとても可愛がってくれた。


 結婚せずに商人が向いていると力説して、十五歳の小娘に一軒の店を与えるほどの溺愛ぶりだ。表向きは店を仕切っている店長の名前になっているが、資金はすべて叔父が出してバイレッタの好きなように経営させてくれた。それが今の店の前身だ。成人を迎えてからは名義はすでに自分に変えている。


 愛されている自覚はある。そしてその分、いろいろと気苦労もかけていたらしい。


「結婚したといっても顔を見る間もなく戦地に向かってしまわれましたので、実感すらありませんよ。落ち着くなんて無理ですって。それに嫁ぎ先では実家以上に自由にさせていただいていますわ、ご存じでしょうに」


「自由と言いますが、お義姉様はお父様にすごくこき使われているのですわ。今日の午後も屋敷にいろと朝食の席で命令されていましたもの。また何かしらのお仕事のお話です」


「なんだって?」


 ミレイナが表情を曇らせて告げ口すると、サミュズの顔色も変わる。


「もうミレイナったら。いつも大丈夫だと言ってるでしょう。叔父様が心配することではありません。領地のことに関して少しだけ相談相手になっているだけです。領地の収支報告書を読まされたり、最近の市場動向を聞かれたり、まあ世間話に付き合わされるようなものですよ。時折、領地にも連れていかれましたが、最近はめっきりなくなりましたし」


「なるほど、昔教えたことが役立って嬉しいよ。私の姪は本当にさとい。賢くて可憐だからね。だがそうなると不思議だな。最近、スワンガン領地はあまりいい噂を聞かないから」


 いつもの叔父のお世辞が始まったかと聞き流そうとして、最後の一言に不穏な空気を感じて身が引き締まった。


「そんな話をどこからお聞きになられたのです。スワンガン伯爵の領地経営は上手くいっていると報告を受けていますし社交界でも特に悪い噂は聞いていないのですが」


 バイレッタが嫁いだ頃に比べて随分とまともになった。何せ嫁いだ頃は義父が領地経営に全く興味を示さず領地にいる使用人に丸投げしていたのだ。領地に足を踏み入れたことも数年単位でなかったらしい。国から行政査察官が派遣されており、その報告書を読むだけの簡単な仕事だとうそぶいていた。それに気がついて義父の首根っこを摑まえて領地に強制連行したのは今となってはいい思い出である。一緒に馬車に乗って領地に向かう間、盛大に文句をつけられ、いまだに義父には恨み節をぶつけられるほどではあるが。なぜ自分が領地に領主を連れていかなければならないのか。領主の監督者ではないのだが、とバイレッタ自身が何度も心の中で文句を言い続けたのは仕方がないことだろう。


 領地にいる執事頭からも時折嘆願書のような手紙も送られてくるが、それほどひつぱくした様子は感じられなかった。いや、そもそも領主に送るべき嘆願書がバイレッタ宛に来ること自体が問題なのかもしれない。多少の危惧は抱くべきだったかと反省しつつも、社交にもよく付き合わされるがおかしな様子はない。領地の噂も上々で、悪い話は聞こえてこないのだ。


「それは上手く隠している者がいるからだ。敏い商人たちがあそことはあまり大口の取引はしないように注意しているほどだからね」


「あら、物騒なお話ですこと。詳しくお聞きしてもよろしいでしょうか」


 上目遣いで叔父を見やれば、彼はとても嬉しそうに破顔した。


「もちろんさ。と言いたいところだが、時間がかかるから報告書をまとめておいたよ」


 手に持っていた封筒を差し出して、サミュズは片目をつぶってみせる。バイレッタは礼を述べながら受け取った。


 屋敷に戻ってから義父を問い詰めなければならないだろう。


「それからもう一つ、こちらは喜ばしい報告だ。隣国が降伏勧告を受け入れたそうだ」


「エトー様、それはどういうことです」


 ミレイナが驚きつつ声を上げた。


「休戦協定が結ばれる。事実上の終戦だ。近々新聞報道されるだろうけどね。つまり君のお兄さんが帰ってくるんだよ」


「え、お兄様が? お、お義姉様、ど、どういたしましょう!?」


 常々、スワンガン伯爵一家には、終戦となってアナルドが戦地から戻ってくることが決まったら離縁するつもりであることは伝えてあった。義父は渋々だが、義母も義妹もどちらも大賛成してくれた。冷たいアナルドの姿を知っているからだろう。彼を夫にしていても幸せにはなれないと面と向かって言われてもいる。


 戻ってきたところで、バイレッタに関心すら抱かないだろうと二人は太鼓判を押してくれたが、それならばなおさら、離婚しておきたい。


 すでにバイレッタは二十四歳になってしまったが、まだまだやりたいことがいっぱいだ。戦争が終結したら、帝都は復興に湧くだろう。需要が伸びるのだから、商売も好調になる。今までの比ではない。


 商売人のバイレッタの頭は目まぐるしく回転する。売りたい物も買い付けたい物もまだまだたくさんあるのだ。自分に無関心な夫に邪魔されるわけにはいかない。


「順次南部戦線から撤退させていると聞いたが、下級兵士たちが最初だろう。君の夫は佐官として指揮をとるためにまだ前線基地にいるだろうね」


「離縁状を送りますわ、さっそく動かなくては」


「お義姉様、少し寂しいけれど応援しております」


「ありがとう、ミレイナ。叔父様も教えていただきありがとうございます」


「晴れて姪が自由になれるのだから、協力は惜しまないよ。上手くいけば一緒に南西に買い付けに行かないか。面白い鉱石を見つけたんだ。君も気に入る」


「叔父様ったら気が早いんですから。でも楽しみですわね。すぐに、お義父様に会わなくては」


 バイレッタは微笑を浮かべてはいたが、伸ばした背筋から立ち昇る気配は尋常ではない気迫に満ちていた。

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