第29話

「取引……ですか?」


「ええ、お義父様、頼んでいたものはできています?」


 突然話を振られた義父は、こくりと頷くと執務机の上に置かれた書類を三枚持ってきて、ゲイルの前に並べた。


 穀物の届けを偽装するために知恵を貸した対価である。


「ここ数年のスワンガン領の穀物の推移です。こちらが国に報告している分ですね。例年不作が続いて、それほど国に税を支払っていません。もう一枚は今年の分です。こちらも同様に不作の報告になっています。お義父様が追加で物資を送っていますが、それでもまだ不足している──ということになっています。実際には、どこにありますか?」


「一部はナリスに運んですでに消費しています。残りはまだこの領地にありますね」


「東の国境沿いに以前使われていたとりでがあります。今も幾人かの兵が詰めていますが、その倉庫に保管しています。土囊として雨期の間の土砂を塞ぐためと偽っているので、知っている者は我々だけですが」


 バードゥがゲイルの言葉を継いで説明する。


 領地を持つ領主たちは独自に私兵を持つ。国境沿いの砦はナリス王国と仲が悪ければ国の重要拠点として帝都から兵が派遣されるが、有事でなければ管理は領主が担うものだ。


 帝国は今、南部に力を入れているので国境の砦はいい保管場所になったのだろう。


「我々も普段はそちらを使わせていただいておりました」


 ゲイルが申し訳なさそうに告げる。


 どこかに潜伏しているのだろうと思ってはいたが、まさか堂々と国境の砦にいたとは。


 義父は苦虫を嚙み潰したような顔をしているが、二十年以上も放置していた領主が悪いに決まっている。だからもっと真剣に領地に滞在しろと言い続けたというのに。というか隣国の者が勝手に入り込んで、国境の砦を占拠して穀物をくすねていたのだから国にばれたら命がない。全くどうしようもない義父だ。


 ゲイルにやむにやまれぬ事情があって本当によかった。単なる利益のための窃盗だったら、義父が売国奴と言われても仕方がない。下手をすれば一族郎党で処罰される案件だろう。人道的な支援物資と言えば、ばれても多少減免されるに違いない。相手が友好国というのもありがたい。


「お義父様ってば、本当に素晴らしい領主様ですわね。その天性の悪運の強さにぜひともあやかりたいものですわ……」


「貴様はどうしてそう一言添えなければ気が済まないんだ?」


「言いたくなる気持ちも察してくださいな……睡眠不足のせいかひどい眩暈がするのですわ」


「ほう、これが済めば好きなだけ休ませてやるぞ」


「あら、なんともお優しい領主様ですこと! では、アダルティン様、これからのことをお伺いしたいのですがお国に戻られるつもりですか?」


「国に戻っても家族がいるわけでもなく、戦争中に職を辞した兵士がおめおめと戻れるものでもありません。今回薬を配ったということですが、隠蔽したことで病を拡大させた王候貴族を恨んでもいます。できれば、こちらで橋などを直している今の生活を続けたいと考えておりますが……まぁ窃盗犯が夢見るたわごとですかね」


「とんでもありません、少しでも気持ちがガイハンダー帝国にあるとわかってぎようこうですわ。では、穀物はそのまま砦に備蓄させておきます。お国の病も解決されたので、今更追加は必要ありませんでしょう? しばらくは風評被害があるかもしれませんが、食べ続けて病気にならないとわかればほとぼりも冷めますからね」


 そこで一旦言葉を切って、バイレッタは困惑げに瞳を揺らす男に微笑みかけた。


「ご覧になっていただいたように、バードゥが単独で行っていたと思われる時期を除いて穀物でほぼ三年分が失われたことがわかります」


 明確な数字を表示すると、ゲイルの顔色が変わった。なんとも浮き沈みの激しい要件で申し訳ないが、本来は窃盗犯なのだから甘んじて受け入れてもらおう。


 ちなみにスワンガン領の収入は穀物に依存していないので、穀物三年分の収穫といっても領地の年間収入のうちの三割に満たないのだが、それは黙っておく。つまり、領地経営上はそれほど大きな損失にはなっていないのだ。


 それもバードゥが横流しを続けていた大きな理由だろう。義父が不作だからと追加の物資をあっさり用意できた理由でもある。


「ここからは取引のお話ですわ。アダルティン様たちもそのまま砦暮らしをしていただきます。今は捕らえられた賊ですけれど、立場は変わります」


「どういうことです?」


 訝しげにゲイルに問われ、バイレッタは三枚目の書類を提示した。


 義父に頼んで作ってもらった図面だ。用意するまでに時間がなかったので細かいところまではできていないが完成予想図までついているので、一目で何を造るのかはわかる。


「スワンガン領では近々大規模な災害予防のための水路を計画予定です。そのための男手が必要なのですが、我が帝国は戦後のため人足の確保はできるのですがそれを指揮する者がどうしても不足しています。そこで隣国から流れてきた者たちを雇い入れたことにします」


「それは……よろしい、のですか? 我々は犯罪者なのでは……」


「そもそも全面的に悪いのはお義父様です。領地経営を部下に任せきりなどと領主失格のらくいんを押されて領地を没収されても文句は言えませんわ。本来なら領民たちの反抗に遭って追い出されているところです。それを食い止めてくれたバードゥと、領地内の橋などを修繕してくださったアダルティン様たちには、感謝こそすれ批難するつもりはございませんわ。そもそもどの顔して詰れると? ねぇ、お義父様」


 こてんと首を傾げて隣を見つめれば、ぐぬぬとうなり声が聞こえた。


 犯人の目星をつけ、今回のてんまつを義父に話していた時にも、散々批難させてもらったが、その時も自分の非を認めてほとんど反論らしい反論をしてこなかった男だ。


 無理やり連れてこられて働かされている意趣返しも多分に含んでいるが、甘んじて受け入れてもらおう。楽しんでいるのは事実だが。


「今年はそれほど大きな不作にはならなかったのですが、穀物は昨夜、賊に盗まれ残った分は倉庫ごと焼失してしまったので報告書通りの量しか国に納められません、という話になっています」


「ですが、こちらでいくらか頂戴している分はどうしますか」


「ご心配なく。これまでくすねた分は、橋などの修繕費用として貴方たちにお渡ししたものということにします。ちなみに倉庫はもともと空っぽで近々改修するつもりの古いものでしたから時期が少し早まっただけでこちらに痛手はありませんからアダルティン様が気にされる必要はありませんよ。取引内容は以上ですが、いかがでしょうか?」


「我々に選択権がある、と?」


「もちろん。お義父様からの感謝の気持ちですもの、当然ですわ。といっても、引き受けていただかなければ、盗賊として捕らえて隣国に送らせていただくことになりますので、あまりお勧めはいたしませんが。こちらに残ってもいいとお考えであれば詳細については、領主様からお話があります。それを聞いてから引き受けるかどうかご検討くださっても構いません。条件が気に入らなければ強気にふっかけても大丈夫かと思われます」


「余計なことを言うな」


「あら、取引を持ち掛ける際は、相手方の権利もきちんと認めなければ信頼ある商売などできませんわよ。長く働いてほしいのならば尚更ですわ。以上ですけれど、よろしいかしら?」


 とうのようにまとめ上げると、義父は鼻白んで顎をしゃくる。アナルドは安定の無表情なので問うまでもない。


 出ていってもいいと解釈することにした。


「では皆様、失礼させていただきますわね」


 優雅に礼をしてさっさと部屋を出ていく。


 とどまっていても、義父の不快指数が上がっていくだけだということはわかっているので。八つ当たりされるバードゥは辛いかもしれないが、一応犯罪を見逃してあげたということで、頑張ってもらいたいものだ。


 心の中で合掌をして、あくびを嚙み締める。


 二度寝というのも捨てがたいが、お腹も減った。軽く食べてから午睡というのも素晴らしい。これまでの忙しさを考えれば、物凄い時間の無駄遣いだ。ぜいたくすぎる。どうせ明日にはアナルドとともに帝都に向かわなければならない。また過酷な馬車の旅だ。祝勝会まで日がないので、どうしてもスケジュールが厳しい。


 バイレッタは憂鬱な明日のことは考えないようにして、うきうきと一日の予定を立てて足取り軽く食堂へ向かうのだった。


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