第23話
「これまでの報告書と視察の結果をまとめると、つまり五年分の穀物がどこかへ消えたことになる。もちろん少しずつだろうが、積もれば大きいものだな」
領主館の執務机に座りながら、義父がぎりりと奥歯を嚙み締める。バイレッタはそんなワイナルドを見下ろすように机を挟んで立って、これまでの書類を眺めた。アナルドは応接セットのソファに座って目を閉じている。
領地内にある各農村で採れた穀物のうち領主館に収めた量を過去の記録と照らし合わせて五日ですべて確認した。五日はワイナルドが領地視察のために設けた期限でもある。ここ数日の慌ただしさを振り返ってバイレッタはやや遠い目になった。
義父は結果に相当ご立腹だ。
さすがに村々の資料を
どこかで中央に報告する者が出てくるからだ。また数ヶ所の村だけ改竄すれば、なぜ穀物量が減ったのか調べられる。火事が起こったことや村人の急激な増加など、やはり記録や村人の記憶と照合すれば虚偽かどうかは調べることができるのだ。
結果的にこの十五年で、五年分の収穫量に当たる穀物が誤魔化され、報告されていないことがわかった。豊作が三回あったが、不作として報告されていたことも大きい。
「領地の作物の四分の一は国へと献上する決まりだ。もちろん国庫の備蓄も兼ねているが、前線への補給物資としても使われている。今はこちらのほうが、割合が多い。まさか、これほどの量を報告していないとなると処罰は免れないな」
「いかがいたしますか?」
ワイナルドを窺うと、腕を組んだまま微動だにしない。
執務机の前に並べられた応接セットのソファに深々と座りながら紅茶を飲んでいたアナルドは我関せずと言いたげである。彼は領地を継ぐ気は全くないのだろうか。義父の領地経営の
バイレッタはふうっと息を吐いた。
「随分と余裕だな、小娘。伯爵家が取り潰されれば困るのはお前も一緒だろう?」
「あら、私、爵位にはもともと興味がございませんの。結婚すらしないで、身一つで生きていくつもりでしたから。どうぞお気になさらないでくださいな」
「本当に貴様という小娘は……とにかく知恵を貸せ。このままでは、そうだ、お前が可愛がっているミレイナも食うに困るほどの貧困にあえぐことになるぞ」
「でしたら、私はミレイナを連れてお店でも始めますわ。美人姉妹ときっと評判になること間違いなしですわね」
「ぐぬぬ、貴様……っ」
「そうですわねぇ。どうしてもというのなら考えて差し上げてもよろしくてよ、お義父様。その代わり、私のお願いを一つだけ聞いていただきたいわ」
義父ににこりと微笑めば、彼は戦慄した。美人が微笑んでいるのに、顔色を変えて震えるとはどういうことだ。あまりの素晴らしさに神々しく感じて畏怖したということだろうか。ならば、納得してあげてもいい。
「お前からのお願いだと? どんな願いだ。内容にもよるぞ」
「そんな大したものではございませんわ」
「以前もそのようなことを言ったが、わりと大事になったがな」
アナルドにちらりと視線を向けた義父が、諦めたように息を吐いた。離婚の一筆を入れたために息子からつきまとわれたとでも言いたげだ。
「それはそれ、これはこれですわよ。ちょっと書いていただきたい書類がありますの」
「また書類とは。貴様は詐欺でも始めるつもりか?」
「まあ、まっとうな商売人に向かって失礼ですこと。もちろん、双方にとって利益しかない取引ですわよ。ご安心なさって?」
「双方にとって利益があるなら、こんな形で願わなくても叶えてやるが。つまり、お前にしか利益がない話なのだろうが」
「またとはどういうことです。以前にもこのような書類を頼んだことが?」
それまで黙っていたアナルドが突如口を開いたので、バイレッタは内心でぎょっとした。
酒浸りの義父を打ち負かして貴方との離縁状に一筆入れてもらったと言えば、義父が離婚に同意しているというスタンスが崩れることになる。賭けの勝敗はわからないが、せっかく義父を味方につけたのだから下手なことは話したくない。
バイレッタは平静を装って義父に向き直った。
「別件で少々頼み事をさせていただいたことがあるのです。今回だって領地とは無関係でもないのですけれど……お義父様、物の見方は多面ですわ。ある方向から見れば、双方の利益が得られると思いますが」
「詐欺師の
なんとか誤魔化せたか。バイレッタは澄ました顔をして、胸を張る。
「このご時世、馬鹿正直に収穫量を報告している領主のほうが少ないですわ。多く報告すればそれだけとられてしまうことがわかっているのですから。それに、以前までの分はもう報告も済んだものです。穀物ですよ? 今の形がどうあれ、二年以上も前のものなどなくなっていますよね。今更、追加で徴収する
「黙っていろということか」
「悪いのは国がこちらの報告書を見抜けなかったことです。こちらは本当に知らぬ存ぜぬで通しましょう。実際に知らなかったのですから、堂々とすればよろしいかと。これならば軽い罪で済みます。監督不行き届き程度のお𠮟りはあるでしょうけれど。ですが、今年の分は気がついてしまった上に、報告書を作成中ですよね。これだけは正確に記す必要があります。ただ、すでに一度目の報告が不作というからには豊作の量を報告するのはいかがなものかと……」
「今回の虚偽で報告した分の差分はどれほどですか」
アナルドが考えつつ尋ねてくる。
「追加で穀物を送っているので、領民が消費したとしてもほぼ八ヶ月分の穀物に相当します」
「それほどですか」
黙ったアナルドを確認すれば、彼は神妙そうな顔をしているだけだ。考えていたよりも総量が多いのだろう。異論を唱えるつもりはないようなのでひとまず無視する。
国に報告する書類は収穫直後におおまかな報告を一回と、正確な数字を作成した春頃に二回目を作成する。
今は夏なので、秋に向けての報告書を作成している時期である。つまり大まかな数字の下地を作っている段階に当たる。
「それで、その差分の采配はどうするのだ?」
ワイナルドが疲れたように聞いてきたので、にんまりとバイレッタは笑う。
「盗賊にまんまと盗まれてしまうのですわ」
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