第22話
そのまま領主館に戻ってバイレッタは深々と息を吐いた。
穏やかな日々とはかけ離れた目まぐるしい毎日を過ごしているが、決して自分の仕事ではないはずだと言いたい。自分は領主の妻になったわけではなく、その息子の妻のはずだ。肩書は。当の領主はひとまず資料を集めて対策を検討している様子は見受けられるのでよしとして、その息子は何をしているのか全くわからない。そもそも彼はなんのために視察に同行しているのか。未だに目的がわからないのだ。
視察をすればついてくるので、一緒に過ごすことも多い。時折、彼は軍人ならではの視点で感心するような話題も出すが、バイレッタをからかったり怒らせたりと余計なことも多い。
無駄に存在感があるのも問題だ。つまり無視することができない。別に口数が多いわけでも四六時中自分につきまとっているわけでもないのだが、いつの間にか
部屋に一人でいると余計なことを考えそうだ。夕食の時間まで少しあるので、ガウンを羽織って庭を散策することにした。スワンガン領地に滞在する時は二、三日で帝都に戻っていたのでこんなに領主館をゆっくり見て回るのは初めてだ。
領主館の中庭は幾何学的な模様に植えられた芝生の外れに小さな花壇が一つある。何気なく眺めていると庭師とバードゥがやってきた。
「この花壇は奥様のコニア様が手ずから植えられたものなのです。ご病気に
「そう。植物に造詣の深い方でしたのね」
スワンガン領地に適した小さな花が季節を移ろっても咲くように配慮されている。数種類の花々を見て、バイレッタは感心した。
「おわかりになりますか、若奥様。そうなのです、自然が好きなとても愛情深い方でした」
庭師が皺を深めて頷くと、バードゥも優しい瞳をしていた。
「当時は珍しいことに旦那様と恋愛結婚で。それはもう仲の良いご家族でしたよ」
「恋愛結婚?」
今のワイナルドの姿からは考えられない。
バイレッタの驚きに庭師は朗らかに笑う。
「若い使用人に話してもびっくりしますよ、今の姿からは想像もつかねえでしょう。若様はコニア様と本当によく似ておいでだ。すっかり大きくなった姿を見て使用人一同とても喜んでおります。ですが、旦那様にはお辛いことかもしれません。どうしたって奥様を思い出させる」
ここの使用人はアナルドの亡くなった母親を奥様と呼ぶ。帝都にいるミレイナの母は認めていないのだろう。こちらに来ることもないので問題はないのだろうが、時間が止まっているような違和感を覚えた。
「アナルド様はお小さい頃にはこちらに滞在されていたのよね」
「そうです。お生まれになられてからずっと領主館でご成長されて。学校に入るために帝都に戻られてからは一度もこちらにはいらっしゃいませんでしたが。奥様が倒れられた後には花壇の世話をよくされておられました。奥様によく花をお持ちになられて」
「母親
庭師が声を震わせて俯く。
バイレッタは軍人であるアナルドしか知らないので、冷徹だの冷酷だのと言われている噂も納得していたものだ。八年も放置された後におかしな賭けを持ち出して引き留められ初夜を済ませたことも軍人らしい合理主義かと思ったのだが。
昔を知る使用人たちにとっては病弱な母親を想う
「スワンガン領主館の天使様と呼ばれておりましたよ」
「げほ……っ」
何も飲んでいないのに、
……天使?
なるほど、あれほどの美少年で病床の母の下に花を届ければそんなおかしなあだ名がつくことも頷ける。顔だけはとにかく整っている男なのだ。
笑ってはいけない、きっと彼らは本気だ。
バイレッタは話題を変えることにした。
「そ、そういえば、少し前に貰った手紙のことだけれど」
義父に嘆願書を送っても解決しないと悟ったバードゥはバイレッタのもとに時折領地の報告書を送ってくる。ちょっとした文通相手である。解決できそうなことなら手を貸してきた。もちろん義父の仕事だとは思うので、控えめに最低限だが。
査察官が来る前に届いた手紙は川が氾濫した場合の
「今回はその件で旦那様と若様がいらしたのではないのですか」
「それもあるけれど、アナルド様は別件よ。下見というか、まあ事前の情報収集というか。怪しげな一団がスワンガン領地に入り込んでいるという話を聞いたから帝都から軍を派遣してもらう予定なのよ。それを一個中隊にするか小隊にするかをアナルド様が見極めるというわけ」
「怪しげな一団ですか?」
「各村にも聞いて回っているの。もうしばらくしたら軍が来る予定よ」
「それはなんとも物騒なことですな」
「そんな話は聞いたことがありません」
茫然と執事頭が
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