第20話




 次の日の朝食後、近隣の村々を見て回るために領主館を出発する。義父ともちろんアナルドもついてくるので、天気はいいのに馬車の中の空気はとても重苦しい。


 街道ほどには整備されていない砂利道をがたごと進めば不快指数は上がるが、それ以上に馬車内の空気が悪いのだから悪路のほうがありがたい。おかげで余計な口をきかずに済む。


 いくつかの村を見て回りながら、一部の地域の水害が問題だとバイレッタは気がついた。資料にも何年にも亘っての被害額が記載されていて、ワイナルドにそれとなく尋ねてみると、昔から水害が多いことは認識しているようだが、だからどうするという考えはないようだった。


 仕方なく視察の途中で湖の見渡せる場所に立ち寄ってもらった。


 別に夫の行動を頭から追い出したくて盲目的に領地の視察を増やしているわけではない。ないと思っているが、どうしても羞恥を振り払って頭を使うことばかり考えてしまう。


 いや、とにかく今は領地の視察の話だ。


 趣旨を説明すれば、義父は納得いかないような顔をしていたが、実際に見せてみれば顔つきも変わるだろう。


「こんなところにやってくる意味はあるのか」


「川が一度氾濫すれば作物が水没し穀物の収穫率が減るだけでなく、土砂で流された動物や魚の死骸を放置していればそこから疫病が発生します。不作の上に、疫病によって人が死ぬだなんてどう考えても対策を打つ必要があると思われませんか」


 ぶつぶつ文句を零していた義父に実際の水害の被害を語って聞かせると、目の前に広がる水を湛えた湖を見て憮然と口を開く。


「それで、ここはどうする?」


 湖の重要性は理解したようで、先ほどまで文句を言っていた姿はどこにも見えない。


 ここに来てようやく領主らしさをアピールし始めた義父は、あちこち回ってはバイレッタに改善案を出させる。少しは自分で考えるか、専門家を雇えと言いたい。


 だが、せっかくやる気になっているのだから、損なわせるのも領地や民のためによくないだろう。


「はいはい、話をはぐらかそうとする態度はわかっておりますが、乗ってあげますわね、お義父様。優しい義娘に感謝なさって? こちらは水路を造ったほうがいいですわね。あちらの村近くまで引きましょう。そうすれば、少しは雨水や氾濫した泥水に浸かる範囲も少なくなるかと」


 湖の近くに広がる長閑な村は、最近長雨が続くと村が水に浸かって大変なことになるらしい。


 雨水で増えたみずかさが湖の貯水量を優に超えて水があふれて流れてくるとのことだった。こうなってしまってはどこかに流すしかない。だが、溢れた水は肥沃な土壌をもたらす。その一方で病のもとにもなる。対処を間違えないように計画立てることが重要だ。


 そのためには水量を管理して村に被害がないように水路を造るべきだ。


「戦争帰りの男手が戻ってきますから、造るのは今ですわ。ただ基礎は丁寧に造らなければ後で大変な目に遭いますよ。そのために専門家の方に一度見ていただくべきかと。基礎が固まれば一気に進めるのが無難でしょう。基礎工事だけでも、水害は今の半分に抑えられるでしょうね」


「そのような知識はどこから得られるのですか?」


 バイレッタの横で景色を眺めていたアナルドが不思議そうに問いかけてくる。


「こやつは商売人だ。大方、かねもうけに敏感なのだろう」


「ですから、こうしていろいろと助言させていただいておりますでしょう。もっと褒めていただいても結構ですわよ」


「貴様を図に乗せると碌なことにならんことは知っている」


「吹けば折れそうななよやかな女でございますよ、もう少し優しく労ってくださいな」


 ころころと笑えば、義父はふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。


 口で勝てないとわかるとすぐにねる。


「何か不愉快なことでも考えただろう」


「とんでもございませんわ、お義父様。このような素敵な場所に連れてきていただいて感謝しているのです。領地内の現状がよくわかりましたから」


「お前が儂を必要もなくお義父様と呼ぶ時はたいてい皮肉が込められていると、残念ながら気づいてしまってな」


「あら、お義父様。申し訳ありませんが、皮肉だけではないので改めさせていただきますわね」


「なるほど、こうして誤解が生まれるんですね……」


 アナルドが横でしきりに感心しているが、いったいなんの話かはわかりかねた。だが尋ねる前にアナルドがとうとうと説明する。


「あちらの土地とこの土地を見れば、岩盤がもろいのはあのあたりのようです。むしろこちらは堅いので動かすことはできないでしょう。削るなら、奥から手前へと水路を引くのが妥当かと」


 指を動かしてりようせんを辿り、バイレッタに示していく姿は随分と堂々としていた。今まで黙っていた彼は、地形を見つめつつ考えていたのだろうか。全く興味がないように見えたが指摘は的確だ。


「それはどうしてわかるのですか」


「岩の色が違うでしょう。斜めに斜線が走っているものと赤茶けたものでは種類が異なるのです。東で戦をしていた時は山をよく削りましたから間違いないですよ」


「お義父様、お聞きになりまして。やはり専門家をお願いしてくださいな」


「お前たちは怪しげな賭けをしていると聞いたが……存外馬が合うのではないか」


 義父には一ヶ月だけ離婚が延びたとしか告げていないはずだ。どこから賭けのことを聞き付けたのか。アナルドとは会話らしい会話をしているところを見たことはない。ミレイナにはつい話してしまったので、彼女から聞いたのだろうか。


 だが馬が合うとはどういうことだ。


「お義父様ってばもうもうろくされてしまったのかしら。先々が心配だわ、こんな大事業ですもの、後任の方に引き渡したほうがよろしいのでは?」


 無駄口を叩くなと暗に告げると、義父は案の定真っ赤な顔をして小高い丘を下り始めたのだった。


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