第17話




 長閑のどかな小麦地帯の中にある小さな集落だ。


 領地へ移動してすぐに仕事を押し付けてくるワイナルドは相当にやる気に満ちている……などということではなくて、嫁を存分にこき使ってやろうという魂胆が見え見えだ。


 当の本人は腰が痛いだのと文句ばかり言う。日程を組んだのはワイナルド本人だが、祝勝会が悪いなどとぼやいている。


 とにかく渋る義父を馬車から降ろし、なぜか無言でついてくるアナルドと三人で村を見ることになった。


 事前の連絡があったのだろう。村長の歓迎を受けて小さな村の様子を見て回っていく。バイレッタはふと村長と義父から少し離れて作業をしている村人に近づいた。


 ちょうど畑を耕していた男は、バイレッタを見つめてぽかんと口を開けた。戦地から男手が戻ってきてはいる。彼が軍役に就いていたかはわからないが、構わずに話しかけた。


「最近、雨は多いですか」


「こ、今年はあまり降ってこない……です」


 無理やり丁寧に話そうとしてくれる様子に、バイレッタは申し訳ないと思いながらも質問を続ける。


「そうなんですね。収穫に影響しますか」


「そうでもないが、今年も収穫は多いほうです。水にからなかったからダメになるのが少ないです」


「最近、この辺りで見知らぬ人たちを見かけましたか」


「いや、見ないが。ここいらは顔見知りばかりだ、よそ者が来たらすぐにわかる」


 男はびっくりしたようにいつもの調子で話し出した。


「もし見かけたら領主館にお知らせください。そのうち都からも軍が派遣されるでしょうが、少し時間がかかりますものね」


「盗賊でも出るのか。随分と大がかりだな……です」


「そういう情報を聞いたので、領主様が見回りを強化されるそうですよ」


「ああ、領主様の……お貴族様がこんなところで何かと思ったが」


 領主のことを話しても男に悪感情はないらしい。普通は働きもしない領主は嫌がられるものだが。バイレッタが知らないうちに、義父が何か手を打ったのか。


 いや、やはり領地に残っていた者たちが頑張ったからだろう。だからこそ何年も放置できたのだろうし。


「何か他に要望があれば、いつものように村長に話してください」


 ほかの村人たちにも同様の質問をしている時に、アナルドがやってきた。なぜか問い詰めるような鋭い瞳をしている。何か機嫌が悪くなるようなことでもあるのだろうか。


「ここで何をしていたんです。随分と村人と距離が近いようですが。夜の相手の物色ですか」


「何を馬鹿なことを……」


 夜の相手の物色?


 アナルドが自分を放置しているからといって、体がうずいて眠れないということは決してない。夜はぐっすり眠れて快適だ。やはり一人寝の良さを実感しているのに、なぜわざわざ村人を誘惑しなければならないのか。領地に向かう際は馬車の中で寝ていたのであまり快適とは言い難かったが。


 カチンと来て、バイレッタは夫を鋭くねめ付けた。


「少し話を聞いていました。最近は雨が少ないらしくて、今年も豊作らしいですよ。やはりかなりの穀物の量が流れていると考えられます。それと少しだけ餌をきました。獲物が食い付いてくれればいいですけど」


「餌ですか?」


 村人たちから足早に離れながら、彼らに聞こえないように仕方なく口を寄せて、こっそりと耳打ちすれば彼はやや目を瞠った。


 バイレッタはふふんと勝気に微笑んだ。


「もし食い付かなくても、また別の手立てを考えますけどわりと成功率は高いと踏んでいるんです。貴方がいらっしゃるからしんぴよう性が増しますもの」


「俺が? 何に利用されているのか聞きたいところではありますね」


「種明かしは後です。上手くいったら教えてあげますよ」


 バイレッタは辛らつに言い捨ててずんずんと進んでいくと、小さな川に架けられた橋に出る。橋の向こうに義父たちの一行が集まっているのが見えた。進もうと一歩橋に足を出したところで、後ろにいたアナルドに強く腰を抱かれた。


「きゃあっ」


 背後から夫に抱きしめられていて、若干足が宙に浮いている。


 今度はなんの嫌がらせだと怒りを覚えたが、思わず背中越しにしっかりした筋肉を感じて言葉に詰まった。この男は細身に見えて、軍人らしいしなやかな筋肉の持ち主だ。恐ろしいほどの美貌の持ち主なのに麗人に見えないのはその体軀のおかげだろう。


 実際、村に着いた時の村人の視線を独り占めしていた。いつものことなのか、彼は少しも表情を変えなかったが。


「突然、なんですか」


「この橋は老朽化していて、近々新しいものに架け代わるそうです。明日にはよそから男たちが修繕に来る予定だそうですよ」


 彼が話す度、首筋をくすぐるように息が吹きかけられる。ぞくりと腰が疼いて、バイレッタは思わず暴れた。夜を思い出すなんてどれだけ自分の体は好き者なのかと悔しくなる。一人寝を喜んでいたのは事実なのに。寂しいなんて絶対に気のせいだ。


「わかりましたから、放して」


 彼の腕の中でもがくけれど、力強くしっかりとバイレッタを固定したまま解放する気配がない。


「暴れると本当にをしますよ」


「ひゃあん……そこでしゃべらないで!」


 彼の吐息を吹きかけられて、全身が熱くなっている。真っ赤になっているのがわかるのに、アナルドは少しも構わず話し続ける。


かいはあちらです」


 架けられた木製の橋は確かにボロボロで朽ちている。今にも踏み抜きそうではあった。アナルドが示すほうに視線を向けると、板を渡しただけの簡易の橋があった。


「助けていただいてありがとうございます、だから放してくださいっ」


 衆人環視の中、どんな羞恥プレイを強いられているのか。


 恥ずかしくて泣きたい。


 体を繫げた相手ではあるが、バイレッタには異性と触れ合う経験は皆無だ。こんなふうに密着して抱き上げられた記憶など父とだってない。そしてこれほど恥ずかしいものだとも知らなかった。


 だがバイレッタの葛藤など露程も思いやることもなく、夫は感慨深く息を吐いた。


「どうにも難しいものですね」


「簡単ですよ、手の力を抜けばいいだけです!」


 真っ赤になりながら叫ぶと、アナルドは首筋をぺろりと舐めた。


 首筋を這う生暖かい感触に、かっと肌が熱くなった。


「あまりにしそうで」


「お腹が減ったなら食べ物をご所望くださいっ」


 からかわれて、遊ばれている!


 解放されたバイレッタは首筋を押さえながら、羞恥にもだえつつ怒鳴るのだった。

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