第6話


 あの決闘の夜から数日がつ。


 スワンガン伯爵家当主は酒に依存する日々を送っていたらしい。バイレッタとの勝負であっさりと負けてから、ワイナルドはきっぱりと酒をやめた。


 その代わり、剣の稽古と称した勝負の日々が続いている。小娘に負けたことがよほど悔しかったのか、別人のような変わりようで鍛錬に打ち込んでは、手合わせを望んでくる。


 酒の抜けた義父の腕は確かになまっているだろうが、なかなかに手ごわい。舌戦を繰り広げたかと思えば、真剣片手に庭先で剣を交えているのだから、おかしな関係になったものだと呆れる。


 まるで実家にいるようだ。いや実家よりも快適かもしれない。存外、居心地がいい。夫という存在がいなければ好き勝手できるらしいと気がついたバイレッタは、のびのびと生活させてもらっていた。


 何よりこの屋敷には癒やしがある。今も廊下を歩いていると、可愛らしい少女がこっそりと扉から顔をのぞかせた。


 家族に怯えた姿は鳴りを潜めて、幼子らしい好奇心に満ちた視線が向けられる。


「あの、おねぇさま……」


 容易たやすく心臓を打ち抜かれた。


 舌ったらずな口調は、あまり話し慣れていないからだろうか。年齢よりも幼く思えたが、いとけない少女からお姉様と呼ばれ慕わしげな瞳を向けられるとか、なんのご褒美だろうか。


「どうしたの?」


 できるだけ優しい声で、にこりと微笑めばぷっくりとした白い頰を染めて少女が上目遣いで見上げてくる。決して犯罪を匂わせるような怪しげな笑みにはなっていない、はずだ。


「レタおねぇさまとおよびしてもいいですか?」


「もちろんよ! 私もミレイナと呼んでもいいかしら」


「はい」


 満面の笑みで頷いてくれた義妹に心が温かくなった。結婚生活も悪くない。


 夫がしばらく戻らないのならば、このまま伯爵家で快適に過ごさせてもらおう。


 しかし、この伯爵家は予想よりもはるかに深刻な問題を抱えているようだ。


 目の前の義妹は義父と義母の子供だが、思った通りシンシアは五十六になるワイナルドの後妻で三十歳になる。つまり息子であるアナルドと年齢が近い。そんなことは貴族階級の婚姻にはよくある話なのだが、貧乏な男爵家の当時二十歳のシンシアと無理やり結婚した挙げ句、実の息子を早々に追い出して義父はやりたい放題をしていたようだ。主に酒と暴力である。


 先妻との間にできたアナルドは十五歳になると士官学校に入学してしまったため、ほとんど屋敷に戻ってこない生活をしていたらしい。寮の設備があり、家に戻らなくとも困りはしない。卒業後は軍から与えられた部屋に住んでいたらしく家人の誰も彼の居場所を知らないという。そのため母娘おやこを守る者もおらず、使用人たちはいつか夫人や令嬢が殺されるのではないかとひやひやしていたが、主に逆らうこともできず、また腐っても帝国軍人でもあった義父を止めることもできず非常に緊迫した日々を送っていたようだ。


 そんな話を家令のドノバンを筆頭に使用人たちから口々に教えられた。


 食堂で義父を剣でもっていさめた際に、とうとうにんじよう沙汰かと彼ら一同は青くなったそうだが、結果的には丸く収まったため屋敷中の人間から感謝された。じゃじゃ馬だのお転婆だの、もっと女らしいことをしろだのと昔から口がすっぱくなるほど言われ続けてきたバイレッタは、生まれて初めて自分の気性を褒められ感謝されて有頂天になったほどだ。


 最初は猫をかぶるつもりだったが、素でいてもはやされ救世主扱いだ。浮かれるのも当然だろう。


 実家に知れたら即戻ってこいと言われるだろうが、ばれるまでは好き勝手させていただこうと義妹の小さい手を取りながら心に誓う。


 何より、この愛らしい手を守れたことが嬉しい。暴力の跡がなくなった義母の顔色もよくなって、重苦しい伯爵家を包む空気も晴れたような気がする。


「何をして遊びましょうか。ミレイナは何が好き?」


「いつもはぬいぐるみのお友達であそびます。ごほんもあるの」


「そう。じゃあまずはお友達を紹介してもらえるかしら」


「はい」


 頰を桃色に染めてニコニコと笑う少女にきゅんきゅんしてしまう。兄しかいないバイレッタにとってミレイナは特に可愛らしく思えた。この家に来て本当によかったと実感する。


 二人で連れ立って廊下を進みながらバイレッタは幸せをしみじみとめた。


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