第5話

 場所を移動してランプのあかりの下、食堂の軒先に出れば先に出ていた義父が目をすがめる。


「その格好でいいのか」


 さすがに花嫁衣裳からは着替えているが、やや華やかなドレスを着ているのは間違いない。ふんわりと裾の広がるワンピースだ。ちなみに伯爵家には全く用意がされていなかったので自前のものだ。


 結婚祝いにと両親が贈ってくれたものなので、血で汚すわけにもいかない。伯爵家に嫁ぐのだからと、生地もなかなか高価なようでごしごし洗ってのりを落とすわけにもいかないのだから。


 もしかしたらこういうことを予想して戒めのために贈られたのかもしれないが、要は汚しさえせずに華麗に沈めればいいだけだ。


「もちろん、スカートだから負けたとは言いませんわ。それに、慣れておりますの」


「ふんっ、小娘が生意気な! 儂に挑むとはそこそこの腕で鳴らしているのだろうが、所詮は小娘の手慰みだろうに。女子供は歯向かわず大人しくしておればよいものを。すぐにその減らず口、叩けなくしてくれるっ」


 随分と怒り狂っているようだが、バイレッタの婚姻の条件は知らないらしい。息子とは仲が悪そうだから、道場破りのような条件に嫁が合致しているなどとは想像もしないのだろう。単なるご令嬢のたしなみ程度と思われているのであれば、こちらとしては好都合だ。慢心は格好のつけ入る隙なのだから。


「お義父様こそ、めいていしていて手元がぶれたなどと言い訳なさらないでくださいね」


「はははっ、面白いことを言うな、小娘。儂に勝つ気でいるなどと……ふん、もしお前に打ち負かされるようであればなんでも要望を聞き入れてやるぞ」


 初めからバイレッタはワイナルドに深酒をやめるように懇願していただけだ。だが、どうにも話が大きくなってきた。なんでも要望を聞いてもらえるというのなら、一つだけ聞き入れてもらいたいことがある。


 バイレッタが思案している間に、義父は不敵に笑った。


「そんなことができるものならな。退役軍人と侮ったこと、あの世で悔いるがいい」


 全く手加減はされないらしい。あの世で悔いるとなると確実に殺す勢いで義父はかかってくるのだろう。


 ワイナルドは言葉とともに構えた真剣を正面から振り下ろしてくる。それをバイレッタは自身の剣で受け止め、横に流す。


 たとえ酒に酔っているといっても男の力にかなうはずもない。受けて、流す。ただひたすらにそれを繰り返す。見た目に派手さはないがかなりの技術だ。この技を身につけるためには長い修練がいるが、ワイナルドは気づいてはいないのだろう。だが忌々しそうに舌打ちした。


「受けてばかりで、逃げるだけか」


「小娘ですもの、それなりのやり方がありますわ」


 義父の剣先は思ったよりも速い。だが、現役大佐の父には劣る。文官である兄にすら届かない腕前だろう。酔っているせいか、動きも単純でわかりやすい。愚直なほどだ。


 不意に結婚の条件を思い出した。根性があって肝が据わっている腕っぷしのたつ一応性別が女であることだなんて言われて道場破りなどとたとえたが、まさか的中していたとは。


 それを面白く思っていると、ワイナルドの眉が僅かにひそめられた。別に義父を馬鹿にしたわけではないが、顔に出ていて勘違いしたのかもしれない。


 何度も上がるけんげきの音は、どこか粗雑だ。いつまでも決着のつかない勝負にれているのだろう。


「このっ」


「はあっ」


 焦りは隙を生む。少し大きく振りかぶった剣の軌道は読みやすい。よこぎされた剣をそのまま自身の剣で絡めとって、はじく。義父の手から離れた剣はくるくると弧を描いて、やや遠くの地面に突き刺さった。


 ぼうぜんとした様子の義父の喉元にきらりと輝く剣の切っ先を突き付ける。


「勝負ありましたわね、お義父様。ですから、酔っていると申し上げましたのよ」


「くっ、お前……何者だ」


「まあ、どれほど酔っていらっしゃるの。私は本日こちらに嫁いできましたスワンガン伯爵家の嫁でしょう。もうお忘れですか?」


 艶やかに微笑めば目をみはったワイナルドが、くっと唇をゆがめた。


 自身をあざわらっているかのような表情だ。先ほどまでのになったような姿も鳴りを潜めている。もしかしたら、彼にも何か事情があって酒に逃げているのかもしれない。


 そうはいっても婦女子に手を上げる理由にはならないが。


「そうか……あいつはこんな娘を嫁にしたのか。わかった、好きにするがいい。何が望みだ」


 決闘前の買い言葉のような約束を、にするつもりもないようだ。再度、口にしたワイナルドをしげしげと見下ろす。


「そうですわね。望みを聞いてくださるというのなら、いい機会です。そんなたいしたものではございませんが、いただきたいものがあるのです」


「ふん、早く言え」


「私、離縁を考えておりまして。旦那様がお帰りになられる際に離縁状を送ろうと考えておりますの。そこにお義父様からも離縁を認めると一筆入れていただけませんでしょうか。書簡には伯爵家の封蠟をいただければなおいいですわね」


「は、離縁だと……? 小娘、旧帝国貴族の由緒ある血統を持つ我がスワンガン伯爵家を愚弄するか」


「おかしいこと。軍人になられた方が貴族派の肩を持つのですか」


 ガイハンダー帝国は戦争の歴史にまみれている。いくつもの周辺国を吸収して成り立っているからだ。元は旧帝国と呼ばれる小国の集まりだった。その旧帝国時代に貴族位を拝命している者たちは貴族派と呼ばれる。古き良き時代を貴ぶ頭の堅い政治的思想の持ち主が多い。対して軍人はバイレッタの家系もそうだが数々の戦争で爵位を得た元平民が多い。貴族といっても成り上がりだ。歴史も浅い。そのため貴族派とは対立していて軍人派と呼ばれる。


 スワンガン伯爵家が旧帝国貴族の血統であったとしても軍人であるだけに、血統を重視していない可能性が高いのだ。


「はははっ、なんともおかしな娘が嫁いできたものだ。婚姻したその日に離縁の相談とはな。地位目当てでやってきたわけではないのか」


「道場破りのような見合い条件にたまたま合致しただけですわね」


「なんだそれは……」


 意味がわからないといぶかしげに目を眇めた義父の反応は正常だ。


 誰より詳細を知りたいのは自分なのだから。なぜ顔も知らない夫は自身の妻の条件に度胸と腕っぷしを求めたのか。謎すぎる。だからといって馬鹿正直に答えても義父に笑われるだけなのは簡単に想像がついた。


「それから、こちらは初めからのお願いに戻りますが」


 これ以上の深酒の禁止と、酒はほどほどにという忠告を伝えれば、本当に爆笑される。対応に困ったシンシアと家令を筆頭に使用人一同が、あるじの様子に驚天動地の心持ちで直立している様子が手に取るように伝わってくる。


 しばらくの間、伯爵家には高笑いだけが響いたのだった。

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