第4話


 息苦しいほどの緊張を孕んだ夕食の最中、がしゃんと食器が割れる耳障りな音が食堂に響いた。


 夕食時、伯爵家の食堂の長テーブルに着くのは四人だ。伯爵夫妻と幼い少女。今年六歳になったばかりのミレイナだ。義妹にあたる。


 母親譲りの金色の髪に父親譲りの水色の瞳をした少女は、おびえたようにおずおずと自己紹介をしてくれた。年齢にそぐわずひどく大人しい。バイレッタ自身と比べても格段に静かだ。内気というよりは何かに怯えているような様子に、こちらに残ってよかったと内心で息をく。義母のシンシアだけでなく、義妹にまで害を及ぼすとは許せない。


 元凶は食器を床に叩き付けた男だろうことは容易に推測ができた。


「うるさい、うるさい! お前まで指図するのかっ」


 かんしやくの原因はシンシアがワイナルドをたしなめただけだ。お酒の飲みすぎだと。だが、それが怒りに火をつけたようだ。義父は強い力で義母の頰を打った。腫れ上がった頰を見ると、口の中も切れているようだ。真っ白な肌に染まる朱が痛々しく映る。


 だが、食堂にいる家令も給仕の男もメイドも誰も当主の暴行を止める様子はない。


 できるだけ顔に出さないように息を飲んで眺めている。


「あの愚かな息子が帝都からいなくなったのだ、少しくらいは好きにさせろ」


 再度、手を振り上げ暴れる男に、バイレッタは慌てて近づいてそっと手を摑む。


「守るべき婦女子に手を上げるなど、元とはいえ帝国軍人の風上にも置けませんわね」


 伯爵は退役軍人だ。戦中肺を患って傷病兵となり、以後は屋敷に籠もって領地経営にいそしんでいると聞いていた。だが、この様子だと怪しいこと限りない。スワンガン伯爵は領地持ちで、その経営はくいっていると聞いていた。大きな借金もないようだったが、義父を見ているとそうは思えない。


 領地経営については追々調べるとしても、今は目の前の男を押さえることのほうが優先だ。


「なにをするっ」


「こちらの台詞せりふですわ、おさま。よほどお酒を召し上がられたのかしら。おさまもこうおつしやっておりますし、もうおやめになられたほうがよろしいかと」


「うるさい、子爵ごときの小娘が儂に指図する気か。名ばかりの捨てられた妻のくせに大きな顔をするな!」


「あらお義父様、おかしなことをおっしゃいますわね。小娘ですもの、顔など小さいに決まっておりますわ」


 ほほほと乾いた笑い声を上げれば、顔を真っ赤にした義父は唾を飛ばさんばかりの勢いで怒鳴った。


くつをこねるな! さっさと手を放さんかっ」


「元帝国軍人でいらっしゃるのにおかしなこと。か弱い小娘の力でも押さえ込めるほど酔っていらっしゃるの、呆れたことですわね」


「貴様、表に出ろ! すぐに剣のさびにしてくれる」


「だ、旦那様……おやめくださいっ」


 怒鳴り散らしたワイナルドに、シンシアが慌ててすがる。心根の優しさに感動する。


 バイレッタの母など、父娘の喧嘩など空気の扱いだ。日常茶飯事すぎて止めるどころか呆れ返って口も出さない。


「全く小娘相手に容赦のないこと……けれど、ご自身がどれほどお酔いになっているのか実感されるのもよろしいでしょうね」


「なに!?」


「受けて立ちますわ、そこの軒先でよろしいかしら」


 バイレッタの言葉に義父を除く、その場の全員が息を飲んだ気配がした。


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