第3話



 その後もバイレッタの抗議は聞き入れられず、着々と結婚の準備は進む。信じられないことに二ヶ月後には結婚式当日を迎えていた。


 暴れても、脅しても、逃げ出しても白紙に戻らなかったので、さすがのバイレッタも腹をくくった。直接相手にじかだんぱんしようと決意して、伯爵家が用意したごうしやな馬車に半ば押し込まれるようにして乗り込む。花嫁しように身を包み、同乗した父と一緒に揺られることはんとき


 辿たどいた家は帝都の中央に居を構えていた。外れのほうでこぢんまりと建っている我が家との違いにがくぜんとした。


 大きな屋敷に広大な庭。こんなところに嫁ぐだなんて、信じられない。何かに化かされた気分だ。旧帝国貴族の血を引く由緒ある家柄だというのも納得できる。自分の家とは明らかに家格が違う。


 父に連れられ、屋敷の中へ入ると使用人一同に出迎えられた。彼らの案内に従えばスワンガン伯爵家当主のワイナルド・スワンガンが応接間で待ち構えていた。


 年の頃は五十代だろう。茶色の髪に白いものが交じり始めているが、たいの立派な男だ。ただし水色の瞳はドロリと濁っている。どこか退廃的な様子に違和感を覚えたが、バイレッタの意識はすぐに別のものに向けられた。


 当主の横に座る女性の顔色がすこぶる悪いのだ。金色の艶やかな髪を結い上げたまだ年若い女性だ。三十代くらいだろうが、疲れたようなかげを背負っている。とても二十五歳の息子がいるとは思えないので後妻だろうとは想像がついた。はかなげといえばそれまでだが、あまりに痛々しい様子に、知らずバイレッタの眉間にしわが寄る。


 バイレッタがこうして自分の結婚相手以外に注視しているのは、その肝心な結婚相手の姿がないからだ。まさか花婿衣裳に身を包むのに手間取り遅れてやってくるとでもいうのか。とりあえず現時点での自分の花嫁衣裳の場違い感が甚だしい。


 だがその疑問はすぐに解消した。


あいにくと息子は昨日戦場へ出立した。戦況がよろしくないらしい。結婚式は改めて帰還してから相談してくれ。ただし書面上はもう我が義娘むすめとなっているとのことだ。あの忌々しい息子は階級を上げて出征していきおったからな」


「伯爵様、それはどういうことでしょうか」


「聞いておらんのか。結婚すれば、階級を上げてやると言われて二つ返事で引き受けたのだ。妻を出迎えた後は屋敷の中で適当に過ごさせておけと言いおいてな」


 父は初めて聞く話なのだろう。中佐に階級が上がったと話してはいたが、バイレッタとの結婚が条件だと知らなかったに違いない。顔色を変えて絶句していた。


 だがそんな父の横で、夫がいないのであればその間は妻という立場にいてもいいかと考えを改めた。夫というろくでもないぼうに縛られることもなく、家族から結婚をうるさく勧められることもなくなるのだ。なかなか快適な生活ではないか。


 もし夫が戦場から戻ってくるのであれば、その時に逃げればいいのだ。都合のいいことに夫も自分には興味がないようだし、あっさりと離婚に応じるに違いない。それに夫以外にも気になることはある。先ほどからうつむいたまま一言も発しない義母だ。


 ワイナルドは特に隣に座る彼女を気にかけることもなく、話を続けた。


「当主たるわしがあやつの言うことを聞く道理もあるまい。肝心の夫もいない今、帰りたいならば子爵家で暮らしても構わぬがどうする」


 りに問いかけられ、バイレッタはゆっくりとまばたきをした。


「バイレッタ、さすがにこれは私が悪かった。家に帰ってきてもいいのだぞ」


「いいえ、お父様。私、このままこのお屋敷で過ごさせていただきたく思います。夫からのお言葉もありますもの」


 強い視線を向ければ、父はバイレッタの意思に気がついたように一つうなずいた。仁義と人情にあつい娘の琴線に触れる何かがこの家にはあるとわかってくれたのだろう。


 こうして、バイレッタはスワンガン伯爵家へと迎えらた。


 結局、父は心配そうにしながらも帰っていった。結婚式も行われないのだから、いても仕方がないと伯爵に追い出された形だ。


 また様子を見に来ると言っていたが、父もこの度の戦争には駆り出される予定になっている。父は後方支援部隊なので遅れて召集されているのだ。バイレッタは戦争に行くわけではないので父よりずっと安全な場所にいることは間違いない。まさか婚家で命を奪われることもあるまい。娘のことより、己の心配をしろと思う。


 バイレッタが父の無事を祈ると、父からは帝国軍人たる者いついかなる時も勇猛果敢にさんじるべし、といつもの真面目腐った言葉をいただいた。勢い込んで失敗しなければいいけれど、と心の中でつぶやくにとどめる。


 結婚相手の態度もワイナルドの態度も散々だが、一応部屋は用意されていたらしい。今日からバイレッタの部屋になるという広い個室へ使用人に案内された。家から持ってきたささやかな荷物はすでに使用人により整理されており、バイレッタは静かな部屋でぼんやりと過ごした。とりあえずやることがない。何か動くにしても、情報が足りないのだ。


 結局、夕食に呼ばれるまで部屋にあるカウチでじっとしたまま昼間の父とのやりとりを反芻するのだった。



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