神子元の激流
時間は深夜3時。
太陽さえまだ眠っている時間。
今回行く海は、伊豆において、もっとも上級者ポイントと言われる『神子元』だ。
一般にはあまり知られていないが、伊豆の海でもハンマーヘッドシャークの群れをみることができるポイントがある。
それがこの神子元の海。
1群にいるハンマーヘッドシャークの数はなんと50~100匹にも及ぶのだ。
潮は強く、時に複雑に流れ、ガイドには潮を読む経験と判断が必要とされる。
ダイビングスタイルはドリフトダイビング。
潮の流れを利用したユニークなダイビングだ。
あまりにも硬派なイメージの為、『神子元』はゲストのリピーター率も群を抜いている。
今回のゲストは白井さんと鈴木さんの2名。
もちろん新米の私にはガイドできないから片岡さんがガイドをする。
滅多にいかない海の為、陽菜乃さんとダイブマスター候補生の竹内君も同行することになった。
ゲスト2名よりもスタッフの方が多いので、半ば研修ダイビングみたいな雰囲気。
「ハンマーヘッドシャークって人を襲ったりしないんですか? 」
「大丈夫だよ。ほぼね。あいつらは群れで行動するんだけど、やっぱり群れに馴染めない奴もいるんだよね。そういう単独ハンマーは少し危ないかもね。群れ社会に馴染めないのは気性が荒いとか性格に難がある奴なのかもしれないから。ははは、そういうのは人間と同じだね」
安心していいのか悪いのか..
****
神子元のダイビングボートの器材置き場は特殊な形だった。
ちょうど人の肩の高さの台の上に器材セットが並んで配置されるようになっている。
ポイントにつくとダイバーは自分の器材を素早く肩にかけて背負えるようになっているのだ。
ボート上の他のダイバーはほぼロクハンを着て足には大きなダイイングナイフを携えている。
まるでこれから戦いに行く歴戦の猛者のような人ばかり。
そしてポイントに着くと『はいっ! 次! 』『はいっ! 次! 』といった感じで手早く海の上に落とされていく感じだ。
まるで統率のとれた訓練兵士のようにスピード良く行動しなければならない。
ぽわ~んとした黄金崎ビーチのまったりダイビングが好きな私にはかなり厳しい世界だ。
「エントリーはヘッドファーストで一気に水深18mまでいくよ。流れがあるから固まって潜らなければ、すぐにはぐれてしまうから。もしはぐれて合流することが出来なければフロートを上げてから浮上すること。ボートが多い場所だからぜったいにむやみに浮上しないように。危険だからね! 」
そんなブリーフィングというよりも『言いつけ』があった。
そして私たちはボートから水面に落とされる!
バシャン! バシャン!
「行くよ!! 」
水面の片岡さんの号令で一気に潜降する。
真っ青な海。
底まで見えるような透明度だ。
かなり心がワクワクし始めた。
8mくらい潜降した時、突然、今まで経験したことがないような流れが身体を襲った。
音は無いが確かに『ゴォォ』という音が鳴っている!
フィンをかくこともなく身体がどんどんと流されていく。
尋常な流れではない。
これは「ダウンカレントだ! ! 」
この流れにみんな翻弄されバラバラになった。
私はかろうじて片岡さんの姿が見えていた。
斜め後ろにはゲストの白井さんがいる。
目の前に大きな岩の影が見える。
その壁面に片岡さんがしがみついた。
私も手を伸ばし岩をつかもうとするが..『白井さんはどこ? 』
白井さんはわずかに手が届かずに流されていく。
とっさに白井さんを掴もうとした瞬間私の手も岩から離れてしまった。
もう片岡さんが捕まる岩が見えなくなっていく。
せめて白井さんの近くに!
これ以上ダウンカレントに巻き込まれないように流れを横切らなければ..
白井さんの手を取ると瞬間に身体が違う流れに流されていく。
今度はアップカレントだ!
私たちはダウンとアップの合間で洗濯機のように巻き込まれていく。
身体が潮に押し上げられる。
急浮上だ。
少しでも浮上速度を遅くしなければいけない。
どうしたらいい! ?
とりあえずエアーを抜くんだ!!
水深が8mくらいのところで流れがゆるくなったのを感じた。
私は素早くフロートを上げた。
身体はどんどん横方向に流されていく。
白井さんとはぐれないようにお互いのBCDを掴んだ。
水中ではまたどんな流れに巻き込まれるかもわからない。
すぐに浮上することにした。
モーター音、船の影がないことを確認して水面へ!
BCDに空気を入れ浮力を確保。
「白井さん、BCにエアー入れてください! ケホっ、ケホっ」
周りを見渡すとボートは遥か向こう側にある。
私はホイッスルを鳴らした。
——ピィィィィィ!
笛の音に気づいたボートが近づいてきた。
ボートには片岡さん、陽菜乃さん、竹内君、ゲストの鈴木さんも既に乗っていた。
陽菜乃さんと竹内君は潜降するや直ぐにはぐれてしまい、浮上をしたそうだ。
片岡さんはしばらく潮をやりすごしてから浮上。
私達が一番流れに翻弄されたようだ。
船長の予想と違い、海の中が思ったよりも複雑な流れになっていたようだ。
その日の1本目は中止となった。
港に戻ると私は片岡さんに呼ばれた。
私は白井さんを追って行った事を叱られた。
『そういう行動がみんなを危険にさらすんだ、バカが! 』
別に追おうと思って岩から手を離した訳ではないのだが、きっと片岡さんにはそう見えたのだろう。
私は反論せずに謝った。
2本目、白井さんと私は大事をとって潜らなかった。
潜った人の話では、それは素晴らしい海ということだ。
妬み半分、私の気持ちは、『やっぱり黄金崎ビーチのまったりとしたダイビングのほうがいいや』
こんなこと口にしたら『おまえの好みなんか心底どうだっていい! 』って言われちゃうから心に仕舞っておこうっと。
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