天使の囁き

私たちは峰岸さんの壮行会を2回行った。


まずはダイビングチーム「アクチーニャ」のメンバー12人で行うもの。

なんと、このひと月でメンバーが8人も増えたのだ。


その時、正式にアクチーニャの代表を清水萌恵と発表した。

私は副代表となったのだけど、敢えて名前を伏せてもらった。

それは、あくまでも萌恵ちゃんの友達として手伝いをしたかったからだ。


2回目の壮行会は峰岸さんが旅立つ直前に行われた。

参加者はいつもの4人だ。


4人で顔を合わせれば、思い出深い沖縄慶良間ダイビングの話は尽きない。

そして『今度は離島にいきたいね』と峰岸さんが帰って来てからの話を切り出すのは、いつでも萌恵ちゃんだった。


喧噪な東口ではなく、オフィスビルが並ぶ西新宿の居酒屋で私たちの会はしっとりと行われた。


そして二次会は小田急前のマネキネコでカラオケをした。


萌恵ちゃんは、別れが近い寂しさを覆い隠すために燥ぎまわっているように感じた。

このカラオケ屋においてもお酒のペースが落ちなかった。


そんな萌恵ちゃんが気になって見守っていると、時々、明里さんが耳元で何かを囁いている。


「じゃ、次は萌恵が歌いますよ~! 聞いてくださいね。へへへ、あれ、歌う曲が入ってない? 」


萌恵ちゃんの番に選曲とは違う曲が流れ始めた。


「これじゃない。これじゃないのに....」


マイクを通した萌恵ちゃんの声が響く。


曲をキャンセルしてもなかなかキャンセル出来ずに間違った曲が流れる。

そしてやっと止まった後には静寂がおとずれた。


「これじゃないよ。峰岸さん! 」


その訴えに峰岸さんが困り顔でなだめるように返事をする。


「わかってる、わかってる」


「わかってないよ..ぜんぜん、わかってない....」


曲の伴奏が始まった。


「人の気持ちも知らないで!! 私の気持ちをわかってないじゃない! 」


その声が部屋にこだますると萌恵ちゃんが泣き始めた。


私がウーロン茶を注文すると、明里さんが言った。


「私と桃ちゃんは少しの間、外で酔いを醒ましてくるから。峰岸さん..萌恵ちゃんをね。さ、桃ちゃん、外に行こう」


・・・・・・

・・


「ふふふ、青春してるわね~」


眼を閉じて笑みをこぼす明里さん。


「あの、明里さん、萌恵ちゃんに何か言ったんですか? 耳元で何かささやいているようでしたけど」


「あら、見てたの? ..別に何も言っていないわよ。ただ『オーストラリアって雄大で開放感あって良いところ。私も行ってみたいな』って。ああ、それとあちらでは『男性女性、いろいろな国の人々が入り混じり、みんな積極的なんだよね~』ってね」


「なんでそんな意地悪な事いうんですか? 」


困惑した私の言葉を一瞬不思議そうな顔でみつめる明里さん。


「そうかしら? うん、そうねぇ ..ちょっと意地悪だったかしら?? でも、あの子が想いを吐き出すきっかけになったからいいんじゃない? 」


その顔はさっきまでの面白がっていた顔とは違い、長いまつ毛の奥には優しい眼差しがあった。



私たちが部屋に帰ると、峰岸さんの肩を借りて萌恵ちゃんが寝息を立てている。


「今日はありがとう。あっちで何か自分にプラスになることを身に付けてくるよ。俺に足りないものがあるなら補完してくるつもりだよ。今日はこれでお開きにしよう」


「峰岸さん、あっちで元気にがんばってください。あと時々、萌恵ちゃんに連絡してあげて」

「変な女にひっかからないようにね」


私と明里さんからの言葉に照れ笑いをすると、峰岸さんは愛おしそうに萌恵ちゃんを見つめていた。


「萌恵は俺が送っていきます。それと萌恵には出発前に改めていろいろ話をしようと思います。今、こいつ酔っちゃっているからダメだけど」


・・・・・・

・・


「この辺にはホテルがいっぱいあるのに初心うぶよね」

「また、そんな事言う。峰岸さんはきっと遠くに行く自分の事で萌恵ちゃんの心を乱したくなかったんじゃないですか? 」


そんな私の言葉を聞くと、すぐさま明里さんは言葉を返してきた。


「良い方に解釈するのね。それって『重荷になる』って言ってるようなもんじゃないの? 1年間くらい待つわよ。本当に好きなら」


いつになくムキになる明里さん、お酒に酔ったせい?



****


後日、萌恵ちゃんが私の部屋に遊びに来た。

2人で神田川沿いを散歩した。


「この子の名前何でしたっけ? 」

「太郎丸だよ。ねー、太郎丸。よし忘れないように萌恵ちゃんにグフグフ攻撃しちゃいな」


太郎丸が鼻先をグフグフと足に当てにいくと、キャッキャと走り回る萌恵ちゃん。


結局、あの後、峰岸さんは萌恵ちゃんに何を話したのかはわからなかった。

ただ、峰岸さんが旅立った今、いつになく元気な萌恵ちゃんがいる。


「桃さん、今度、また雲見にいきませんか?? 」


その声と共に振り返った彼女は、夏の日差しの中で輝いて見えた。

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