あいたい


「こうして会うのは、四年振りになるのかな」

「うん、久しぶり」


 再会したのは、とある公園の隅に設置されたベンチの前だった。


 彼女は、綺麗になっていた。

 引き込まれるような、洞みたいだと思っていた瞳。それは、磨き抜かれた宝玉を思わせる輝きを帯びており、ある種の近寄り難さすら覚える芸術のような美しさを持っていた。


 長かった髪は、高校卒業と同時に肩ほどの長さに切り揃えたらしい。今日の彼女は、焦げ茶色の髪を後ろで一括りにしていた。


 僕は、変わらない。変わらなくなった。

 去年から、前向性健忘症はすっかり鳴りを潜めている。本当に症状が出ないのか確かめる為、一年という時間を置いた。───というのは半分嘘で、実のところ決心がつかなかっただけなのだが。


「僕は、答えを見つけたよ」

「......聞かせてもらっても、いい?」


 あの日と同じ、僕を真っ直ぐに貫く瞳を見つめる。僕と同じで、彼女もどこかが大きく変わったのだろう。その瞳には、記憶にない感情が見えた。


「罪とは、とても流動的で相対的な言葉だ。ある単一の何かを指すわけでもないし、状況によっては対義語アントニムに近かったはずの言葉が類義語シノニムになったりもする。でも、最後の記憶障害が起こった日の夜に気付いたんだ」


 僕は、彼女の瞳を直視できるようになっていた。時間が解決した、というよりも今日の事を覚えていられるからだろう。以前の僕は、彼女との会話を忘れてしまう事が後ろめたく、常に引け目を感じていた。


「生存、無垢、平穏、贖罪、抛棄。ある条件下では罪の対義語アントとして成立する言葉はあれど、どれも罪を背負っている。ある意味では並の言葉よりも罪深いものだってある中で、ふと君との会話を


 手帳に記載されていない、覚えているはずもない、とうの昔に失われたはずの記憶。今思い返しても、なぜあの瞬間だけ記憶を取り戻すことができたのか分からない。

 たった一度、僕なりの「答え」に辿り着くために赦されたチャンスだったのではないかと、柄にもないことを考えてしまうほどに。


「君は、あの日言ったんだ。『それ単独で存在することができない【罪】は、もしかすると対義語アントなんて根本的に存在できないのかもしれない』と」

「......うん」

「罪は、単独では存在できない。本人が自覚できるのは罪になる前の原始的な何かだけだ。別の観測者が居なければ

 誰かの罪を見る時だって同じだ。観測者として俯瞰するとき、その罪から最もかけ離れているのは常に一つだけ」


「自我、或いは自己。これが、君の問いに対する僕の答えだ」







「───それが、あなたの答え?」

「ああ。忘れられた173人の僕と、今の僕の総意だ」

「そっかぁ」


 するりと、抱き寄せた腕から抜け出す野良猫みたいに彼女は立ち上がり、僕の隣に腰掛けた。

 張り詰めた糸のように、どこか不安定な美しさを湛えていた瞳は、四年前のそれに戻っていた。どこか畏れを感じさせる美しさの中に、穏やかな慈愛が満たされている。


「私は、彼らと君に繋がってほしかったの。ただ、情報を伝達するだけじゃない。彼らも、今の君を構成する一部なんだから。

 そのために、あの問を君に投げかけたの」

「───ありがとう。君が居なかったら、僕は生まれなかった。君が居たから、今の僕がある。......本当に、ありがとう」


 彼女は、首を横に振った。


「私は、あなたに酷いことを言ったわ。あなたが思い悩むことを考えもせずに、身勝手な責任感。いえ、独占欲と言ったほうがいい感情のままにあなたを振り回しただけ。あくまで結果論でしかないの」

「それでも、僕は紛れもなく君に救われたんだ」

「......こういう時に頑固なのは、変わらないのね」


 小さく笑うと、彼女は僕の眼鏡を滑らかな動作で抜き取る。


「......君の顔が、ぼやけて見えないよ。眼鏡を、返してくれないか?」

「どうだか。眼鏡を掛けたって、ぼやけたままでしょうに」

「───違いない」


 罪深い僕らは、いつまでも笑っていた。


 

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さよならを忘れて 湊咍人 @nukegara5111

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