第2話 美術部部長、宇佐美 紫乃
その人影はドアのところで立ち止まって怪しむようにこちらを見る。
短めのボブヘアーを後ろでちょこんと結ぶ彼女は
紫乃は最初こそ目を丸くしていたが、美術室の人影がすぐに俺だと気づいて、
「来てたのね。」
とだけ言う。
会話を交わすことはなく部屋の隅からイーゼルを僕のたった1メートル先に運んでくる。そして椅子も同様に並べる。
「近くないか…。」
と俺は思わず声を漏らしたが声は届いていないようだ。仕方ないのでばれないように椅子を離そうと思い中腰になる。
しかし、紫乃に変な気を遣っていることを悟られて心理的な距離を置かれては困る。そんなんで部員二人の美術部が崩壊してはたまったもんじゃない。そう思い、椅子はそのままで腰を下ろすことにした。
紫乃はクラスこそ違うが美術部に入ってから初心者の俺に色の作り方や構図のとり方などを教えてくれる同級生ながら絵の先生のような存在だ。
それから何気ない世間話や相談事もできる関係になった。もっとも、絵に関係ない相談に対しては具体的なアドバイスがなく”そうなんだ”とか”大変だね”という返答しかない。
それでも俺は心から紫乃を数少ない友達の一人であると思っている。俺が紫乃を、信頼そして尊敬する理由は他にもある。
紫乃は準備を終える。カッターで削り上げられた鉛筆を何本も手に取り、そして、すぐ横の机に置く。
今日は彼女が描かない日——。
それでも絵は完成する。人々が魔法と呼ぶ力によって。
体験入部の日、初めて紫乃の魔法とその絵の美しさを目にした。俺には到底習得しえない圧倒的センス。なるべく絵と離れたところに身を置こうとさえ思い、しばらく入部届を出せずにいた。しかし、一度見たら忘れられない絵の美しさと魔法の高等操作。それをずっと近くで眺めていたかった。だから俺は先輩部員も次々と抜ける状況のなか美術部に入部したのである。
「じゃあ、始めるね。」
紫乃は一瞬ちらりとこちらを見たあと画用紙に向き直る。
俺は息を呑んで見守る。
彼女は集中力を高める。
ふわりと彼女の髪が風をはらむ。机に置いていた鉛筆が浮き上がり、彼女の目の前でぴたりと静止する。
——次の瞬間、複数の鉛筆が舞うように絵を
ものの数分でスケッチは完成を迎える。
スケッチには細部まで描かれた部屋と窓が見える。さらに、顔はぼんやりとしているが椅子に座ってこちらを見る制服姿。この美しい濃淡で描かれたスケッチの題材がこの美術室であると一目で分かる。
「いつ見てもすごいな。」
「ありがとう。ところで、雪くんは今日描かないの?」
「せっかく、こんな良い日にこんな綺麗な絵を見てさ、最後に自分の絵で気分を台無しにしたくないからさ。」
「それもそうだね。」
紫乃がいつものように毒を吐く。
「少しは否定してくれてもいいんだよ。」
去年の俺が彼女の口から今の言葉を聞いていたら絶対に立ち直れなかっただろう。しかし、今ではそれが彼女なりの冗談だと分かる。そう、おそらく冗談だ。
俺は前から気になっていた、あることについて尋ねる。
「紫乃は手で描いた絵とどっちが好きなの?」
「うーん。どっちも好きだよ。」
「まあそうか。」
「でもね、魔法で描かれた絵は自分の理想通りの出来栄えになるんだけど。」
「だけど?」
「やっぱり手で描いた作品の方が好きかな。魔法を使うと具体的なイメージさえできれば簡単に絵が完成するけれど。だからこそ気持ちを込めにくいというか。」
「想像を自分の手を通して表現することでやっと気持ちを込められるってこと?」
「言葉にするならそんな感じだけど、実際はもっと複雑かもね。」
魔法を未だに発現していない俺にとって感覚的なことは分からない。そのため予想でしかないのだが紫乃の魔法は、視界を写真のように脳へ焼き付けた後、寸分の狂い無くアウトプットするというものではないかと思っている。ただ、仮にそうだとしてもカラーの映像をどのように鉛筆のスケッチで表現しているのかなど本当に分からないことだらけである。
それに鉛筆を自在に浮かせていたことから、念力のような魔法も関係していると思われる。紫乃以外にも念力のような魔法を発現する人はクラスメイトにもいるし、世の中的にはモノを動かす魔法を発現する人の割合は高いのかもしれない。
そんな中、紫乃の魔法が他と一線を画しているのは脳のイメージを”超”精密に再現できる点ではないだろうか。
「後で教えてよ。その魔法の使い方。」
「ユキ君には無理だよ。」
「そうだよね(笑)」
「でも絵のことならいつでも教えるよ。」
「それは本当に助かる。」
「今週の土曜とかユキ君は暇かな?」
「え? 休日に部活動ってこと?」
「ダメだった? 学外でスケッチでも、って思ったんだけど。」
俺の母親は仕事を掛け持ちしており休みの日も出勤している。もとより遊びに行くような友達が俺にはいなかった。そのため、週末に誰かと出かけるという機会がほとんど無かったのである。
休日に人に会うことはあまりにも僕にとってイレギュラーな出来事であるせいか、想像しただけで漠然とした緊張と不安が込み上げてくる。…それも、女の人と。
だが、今は何よりも魔法をもっと知って習得するきっかけを掴みたい。魔法をつかいこなし、同年代の人たちに追い付きたい。そのためには紫乃のような魔法操作の上手い者と一緒に時間を過ごすことで何らかのヒントを得られるかもしれないと思った。
「もちろん暇です。行きたいです。」
「うんうん、今後も敬語でよろしく。じゃあ、
紫乃はたまにこちらに目を向けながら帰り支度を進める。
「あ、夕方か。それで大丈夫だよ。」
「敬語、忘れてるよ
「夕方はさすがに起きてるよ(笑)。じゃあ、また。」
彼女は支度を終え、ジャージ姿にはアンバランスに見える革の鞄を肩にかける。
そして”美術部部長”
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