第50話 寺院の解散(1)

 寺院を再開して一か月半ほど経った頃、弟子入りしたいと一人の男がユリウスの元へやって来た。名前はセルガー・アリエーブ。年齢は十八歳。修業を始めるのなら若ければ若いほど上等な僧侶が育つのだが、彼は少し志願が遅いぐらいだった。

 頭はリーゼントで肥満体型。酒の飲み過ぎで目立って腹が出ていた。


 聞けばイステラ王国から来たそうで前職は酒場の店員。代々、酒場を経営する家計らしい。ここへ来た理由は酔っ払いの相手が嫌になったこと、そしてユリウスの妻が亡くなった話を聞いて僧侶になろうと思ったそうだ。僧侶が増えればあのような悲劇は起こらなくなると。


 話を聞いたユリウスは感動を覚え、セルガーを弟子にした。そんな酔狂な人間に他の弟子達も彼に興味津々だった。

 セルガーの教育係にギルが就いた。寺院が開かれる前の朝方、ギルがセルガーを食堂へ連れて行くと命令した。


「下っ端は雑巾がけからだ! 床をピカピカに磨け!」

 ギルは当時十二歳。セルガーから見れば全くの子供である。それを人生の先輩にこのような言葉遣いは許し難いものだった。

(ボンボンが、偉そうに! 社会の厳しさというものを教えてやるぜ!)


 喧嘩っぱやいセルガーはギルに殴りかかった。その拳は案の定、簡単に避けられセルガーは逆に強烈なボディブローをもらった。肥満の腹も歪むような一撃だった。ギルは飛び上がって頭を一発殴ってセルガーに床を舐めさせた。さらに後頭部を踏みつけ、鼻の骨も折った。床にだくだくとセルガーの血が広がって行く。これが生涯の親友となる二人の出会いだった。


「弱いくせに俺様に手を出すからこうなる! 床をピカピカにしろと言ったのに血で汚しやがって! …チッ、起きやしない。誰か、こいつを回復してやってくれ」

 ギルが見渡すと兄弟弟子がずらっと揃っている。弟子達はこうなることを予想してその場を見物していたようだった。


「俺の勝ちだ! ギルに勝てる奴はどこにもいないっての!」

「くっそー! 新入りはオッズが十倍だったから賭けたのに! ちくしょう!」

 賭けまで行っている弟子もいた。年長者のグレイスが怒っている。

「ギル! 寺院内は暴力禁止って決まってるだろ!」


 弟弟子の一人が呆れた顔で言った。

「グレイス。それは弱い人間の遠吠えだな。そういう決まりって弱い奴が作っても説得力がないよねー」

「ギル! 何でも暴力をふるって人に言うことをきかせようというその態度! 俺は絶対に認めないからな!」


「セルガーというその男も何か志を持ってここへ来たのだろうよ! 初日でお前みたいな子供にやられたら心がポッキリ折れてもう家に帰っちゃうかもな!」

「そいつ出血多量で死んじゃうかもなー」

 仲間達から責められてギルはおろおろと狼狽し始める。


「だ、誰か回復してやってくれ…」

 誰も名乗りをあげない。ギルは同じ年齢のサーキスの顔を見た。サーキスは終始黙って腕組みをしながら観察しているようだった。ギルがサーキスに助けを求める。

「サーキス…」


 サーキスはぷいとそっぽを向いてギルを拒否した。そして兄弟子の一人が言った。

「仕事に行こうぜー」

 全員がギルを無視して食堂からぞろぞろと出て行った。ギルは仕方なく自ら小回復キュアをセルガーに何度も唱えて彼の鼻の骨折だけは治した。初めから怪我をさせなければこんなことをする必要もなかった。全く無駄な行為だった。


「俺は僧侶じゃなくて聖騎士パラディンだから回復呪文もちょっとしか使えないんだぞ。鼻は治ったみたいだけど、他のところは我慢しろ。自力で治せ」

 セルガーはわけもわからず震えていたが、ギルは雑巾を持って血に染まった床を拭き始めた。


「俺が少しは手伝ってやる。お前、弱いんだからもう人に手を出すなよ。…俺はギーリウスだ。みんなギルって呼んでる。お前の名前は?」

「セルガーだ…」


 その後、この二人は馬が合ったのか何かをするにしてもいつもお互い共に行動した。ギルはセルガーのことを子分と思っていたし、セルガーの方はギルのことを自分の弟のように慕うこととなる。多少、お互いの気持ちに行き違いはあったが、周りは二人のことを親友と見ていたようだった。



 セルガーは呪文の勉強を始めてたったの一週間で小回復キュアを覚えてしまった。これには兄弟子達も驚愕した。まさに僧侶になるべくしてなった男だと驚いた。それでいてギルやサーキスのおかげでただでさえ肩身が狭い思いをしている兄弟子達。セルガーに自分が天才であることを勘づかれないよう皆で嘘を吐いた。


「ふ、ふーん、一週間ねえ…。お、俺は三日で小回復キュアを、お、覚えたぜ…」

 年長者のグレイスが瀧のような汗をかきながら大ボラを吹いてセルガーを騙し込んだ。師であるユリウスもセルガーが慢心しないようにあえて平静を装った。


 結果的にセルガーはバレンタイン寺院の大きな希望になった。特にユリウスはセルガーの天才ぶりに夢中になっていた。このことは兄弟弟子が一番嬉しく思うことだった。たくさんの不幸を背負った師匠が一時でも気がまぎれれば、立ち直る材料になってくれるのなら本当に何でもよかった。


 以前から放任主義の師匠であったが、セルガーだけに対しては時間を作って彼に修業の進捗状況を聞きに来たりしていた。

「どうだ、セルガー。今日は何か覚えたか?」

「え? 防御力が上がる呪文、覚えたけど?」


「すごいぞ、息子よー!」

「父さん!」

 ユリウスとセルガーが抱きしめ合う。この嘘の親子ごっこは頻繁に行われ、知らない者が見ると本当の親子だと皆が誤解したようだった。

 そんな二人が気付かぬ場所で、柱の陰からギルが眺めていた。


     *


 セルガーが寺院へやって来て四年が過ぎた。サーキスは十六歳になっていた。成長したサーキスはすっかり手足や身長も伸びていた。顔は少年らしくあどけない。対して同年齢のギルの方はサーキスより頭一つ分背が高かった。剣術の訓練をしていたせいもあってか筋肉隆々。この四年で急に顔が大人びた。ギルはすでに二十歳以上に見られることが多々あった。同年齢であるサーキスとギルのあまりの成長の違いに兄弟弟子は笑う他なかった。


 その頃、雪がちらつく寒い時期になっていた。寺院は価格設定の安さもあり、毎日、千客万来の行列だった。

「うわっ、今日も客がいっぱいで吐きそうになるぜ…」

 リーゼントのセルガーは客の列にいつも文句を言いながら仕事に就いていた。


「前はこんなんじゃなかったんだぞ」

 サーキスがセルガーをたしなめる。

「聞いてるよ…」

 全員が力を出し切ればその日の客を全てさばくことができた。サーキス達は以前よりも仕事は楽になっていた。


 当時、ローマでは他国と戦争が起こっていた。戦いはバレンタイン寺院より遠方で起こっており、今回は寺院に直接の影響はなかった。

 ローマの皇帝は兵士に戦争に集中させるために、兵士達に結婚を禁止する法律を出した。これもバレンタイン寺院の人間は自分達と関係ないことと、その時は思っていた。


 その頃、不良僧侶達は夜中に寺院を抜け出してしょっちゅう酒場へ繰り出していた。それも僧侶の法衣のままである。ギルもセルガーもサーキスも例外ではなかった。


 満員で賑わう酒場で弟子が揃って酒を楽しんでいると、彼らのそばのテーブルに座る男達が何やら愚痴を言っていた。

「俺、結婚したい彼女がいるけど、戦争中で結婚できないんだ…」

不憫ふびんだよなあ…」


 聞き耳を立てると二人はどうやら国の兵士らしい。そこへ顔に似合わず人懐っこい性格のギルが隣のテーブルに移って二人の話を聞いた。そして兵士の内の一人、ジュリアスと名乗った男が顔をほころばせると酒場から出て行った。しばらくしてジュリアスは女を連れて戻って来た。

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