第51話 寺院の解散(2)

 それからギルはその男女を酒場の上座に並べると彼自身が二人の前に立ち、大声で客全員に声をかけた。

「静かにしてこちらに注目してくれ! これよりユリウス・バレンタインの名において結婚の誓約を始める! ジュリアス、汝は病める時も健やかなる時も、貧しき時も豊かな時も、喜びにつけても悲しみにつけても生涯の伴侶としてマリアを愛することを誓うか?」


「誓います!」

「汝、マリアは病める時も健やかなる時も…」

 兄弟弟子は驚愕しながらもギルを止めようと考えた。しかしながら、ここで彼を止めに入ればギルに殺される。全員が金縛りにあったようになり動けなかった。

「二人に幸多からんことを」


 結婚の誓約が終わると酒場の中で割れんばかりの拍手が巻き起こった。兄弟の元へギルが戻ると手のひらにいっぱいの銅貨を見せた。

「謝礼をたっぷりもらったぞ。今日は俺が奢ってやるぞ。みんな喜べ」


 意気揚々と酒を注文するギルに兄弟は釈然としない表情で酒を飲み続けた。ギルから奢ってもらった酒は正直言ってあまり気分のいいものではなかった。帰りに、もう結婚の誓いは二度とやるなと全員がギルに釘を刺した。


 翌日また僧侶達が酒場へ行くと、今度は違う兵士が女を連れてギルを待っていた。

「いいだろう。謝礼の方はしっかり頂くぞ」

 ギルは兄弟弟子に睨みを効かせて、「死ぬ覚悟がある奴は俺に意見してみろ」と脅し、今回も結婚の儀式を無事に終わらせた。


 その後もあとからあとから結婚したいと言う兵士が名乗り出て来る。結婚を禁止する法律を破った者は死罪だった。しかし、兵士が処刑されたという話は僧侶達も一切聞かなかった。おそらくこのことは皆の善意で発覚しないのだろうと弟子達は考えた。


 それからはギル以外の僧侶達の方が結婚したい兵士はいないか積極的に探すようになった。酒場では連日連夜、結婚式が行われ大反響となった。酒場の店主からもたいへん感謝された。僧侶達が飲む酒の品種もどんどんグレードアップしていく。時には一本何千ゴールドとするワインを飲み明かしたりもした。酒に酔った僧侶達は罪の重さも忘れていた。


「俺、金が余ってしょうがないから法衣の袖に宝石を散りばめたんだぜ。いいだろ?」

「いいなあ! かっけえ! 俺も真似しよう!」

 酒場での結婚式はどんどん派手になり、エスカレートが止まらなかった。そして終わりは唐突にやって来た。


 ある日の、夜が明ける前の朝方、ローマの警察が大勢で寺院に押しかけ、取り囲んでいた。

「ヤバいぜ! みんな起きろ! 警察が来た! 殺されるぞ、逃げろ!」

 弟子達は皇帝を甘く見ていたのか、こうなることをあまり想像していなかった。何の準備もなく、着の身着のまま全員が寺院から逃げ出した。


 もちろん、申し合わせなど一切なかったため、弟子達はローマの国を三々五々さんさんごごに出て行くことになった。

 サーキスも手ぶらで寺院から全力で疾走していると後ろから兄弟子の声がした。

「待ってくれ、サーキス!」


     *


 診察室の椅子に座るサーキスは語り続けていた。

「その時にはもう法律を破った兵士があまりに多くて、違反者がどれだけいたかもわからなかったようだ。本当に全員を死刑にしたら、たぶんローマ軍の戦力が少し落ちるぐらいだったんじゃないかな。それでいて皇帝はものぐさだったのか、見せしめに親っさん一人に犯人を絞ったみたいだ。一罰百戒だ。


 ちなみに俺は結婚の誓約を一度もやってない。面白そうだから俺も参加したかったけど、俺は女と話ができなかった…。奢ってもらってばっかりだったよ。

 そして俺は五歳年上のカイルと旅に出ることになった。当てのない旅だったからゆっくりと各国を巡って金を稼ぎながらエジプトへ着いた…」


 リリカは真剣な表情でサーキスの話に耳を傾けていた。彼の話に泣いたり、笑ったり表情をコロコロと変えていた。ベッドで横になっているパディの方も何度も咳き込みながらもサーキスの話を熱心に聞いた。


「それから帰還リターンの呪文でローマへ帰って親っさんが処刑されたことを聞いた。いわゆるバレンタインデーってやつだな。俺は親っさんを捕まえられる奴はいないって思ってた。あのおっさんは一騎当千の強さだった。


 でも、兵士側の立場もあって親っさんはやらせの公開処刑を受けた。宣伝までして国民大勢の前で首をはねられたそうだ。それから遺体は国外に運ばれて蘇生されることになっていた。俺とカイルは真相を確かめるべく、親っさんの後を追った。


 話が前後するけど、酒場で結婚式を開いてた時、俺達は金に目がくらんで想像力が欠如していたと思う。ちょっと考えれば結婚の誓約なんてやってたら寺院が崩壊するのは目に見えていた。それでもギルがあんなことを始めたのはきっと親っさんを寺院から解放して休ませてあげたかったんじゃないのかな…。


 たぶん本人に訊いても真意は話してくれないと思うよ。俺達兄弟はどこか性格が似てるからなんとなくわかるんだ…。

 俺とカイルは楽しく旅をしていたけど、本当に親っさんを見つけていいものかあやふやな気持ちがあった。それで行く先々で道草を食って人を治療したり、アルバイトしたり、遊んでたりしてたよ…。それでここまでやって来た…。


 ギルにも言ったけど、親っさんを見つけても、たぶん今のあの人は俺達を導くことができないだろうと思ってた…。きっと自分の人生を生きろ、自分の道を見つけろって言うと思ったんだ…」


 パディとリリカはサーキスの生い立ちを聞いて、破天荒ながらもどことなく保守的な彼の性格がわかるような気がした。

 それからサーキスは思った。

(奥さんが死んだあの日、俺は逃げなかった。俺にもちっぽけな勇気があったんだ…。気付かなかっただけなのか…)


「先生の手術、俺やるよ」

 リリカがパッと笑顔になった。

「ありがとう!」

 パディの方は謝った。

「ごめん…。ごほっ…」


「先生、謝るなよ! 気にするなよ! 話を聞いてくれたお礼だよ!」

 リリカも表情に影を落とす。そしてまたしばらく沈黙が訪れた。暗くなった診察室の雰囲気を変えようとサーキスが気を遣って言った。


「あのさ、先生。人工マッサージのやり方で、マウストゥマウスで口から直接息を吹き込む方法って意味はないって前に習ったじゃん? あれ、さっきリリカが先生にやってたんだけど、どう思う?」

「ちょっと、サーキス! そんなの言わないでよ!」


 パディは突然、呆けた顔になって中指でゆっくりと自分の唇をなでた。上唇をなでると下唇。愛おしそうに緩慢かんまんな動きで唇を触った。

「先生! どうしたの先生⁉」

「あ! ああ…。うん…。ごほっ…」


(リリカに何も注意しないのか…。ふーん…)

 ギルが病院に到着するまでまだ数時間はある。


「しかし、サーキス。さっきは簡単にしか説明しなかったけど…、弁置換の手術はかなりの難易度だ。君でも舌を巻くことだろう。ごほっ…。練習が必要だ…。それと心臓の部位をもう少し詳しく覚える必要がある…。リリカ君、僕の部屋から心臓のぬいぐるみを取って来てくれないか。げほ…」


 それからパディによる弁置換の講義が始まった。聞いてみればサーキスが知らない心臓の名称がまだまだたくさんあった。サーキスは恐れおののいた。

「大丈夫…。リリカ君のサポートがあればきっとうまくいくはず…」

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