第49話 サーキス達のバレンタイン寺院(3)
弟子の一人が言った。
「親っさん、あれからずっと寝てるらしいな。無理もないぜ。毎日毎日、
「客もバカばかりだ。おやっさんが死ねば
その言葉に皆がうなずいた。サーキスとギルがそこへやって来た。
「おーい、母さんがパウンドケーキ焼いたぞ。みんな食べろ」
ギル少年がトレイいっぱいのケーキを青年達に見せる。サーキスとギルはリナリアの手伝いで度々ケーキを作っていた。
「イチゴジャム入りのやつと、オレンジママレードジャム入りのやつだ。うまいぞ」
「やったぜ! 今日はごちそうだぜ!」
一週間が経過した。閉め切った寺院の前には相変わらず、治癒と蘇生を望む人々が待っていた。一時と比べ、その数はだいぶ少なくなったが、また寺院が開くことを信じる者が未だに百人ほどの列を作っていた。
一方、ユリウスの方は寺院を再開する目処が立っていなかった。
このまま何の手立てもなく寺院を開けたとしても、牧師自身が過労で倒れると弟子と家族から強い反対があった。弟子達は、牧師に今は休むことに専念するようお願いした。そして、今後の寺院をどうすればいいのか皆で考えていた。
そんな時に突然、悲劇が起こった。朝方のことだった。
「みんな来てくれ! 母さんが! 母さんが!」
ギルの母、リナリアが病に倒れていた。息が荒く、咳が止まらない。体中の毛穴から汗が拭き出し、額を触ればものすごく熱い。
「ごめんね、はぁはぁ…。ギル……。迷惑かけるから…黙ってた…。はぁはぁ…。ごほごほっ!」
実はリナリアは一週間ほど前から具合が悪かったという。それで自分が病院へ行くと言えば、せっかく閉め切った寺院を開けることになる。具合が悪いのはただの風邪だと思い、放っておけばそのうち直るだろうと症状を軽くみていた。それも周りを心配させると悪いので、持ち前の我慢強さで気を張り、体調不良を隠していたらしい。
「ごめんね。はぁはぁはぁ…。ごほっ。…母さん失敗だった。あはは…。はぁはぁはぁはぁ………。病院行かなくて治ると思ってたから……。はぁはぁ、ごほっごほっ。ケーキ屋さんの約束……守れそうにない…。ごほごほっ! ごほごほっ! ごめんね…」
「ふざけたこと言うなよ! バカなこと言うな!」
「病院へ連れて行くぞ。門を開けろ」
バレンタイン牧師が妻を背負った。一刻の猶予もなかった。
ギル、サーキスを含めた弟子全員が寺院の門を開けると、治癒と蘇生の力を求める客がいっせいにおしかけ、ユリウスらを取り囲んだ。
「助けてくれ…。助けてくれ…」
客達は生を求めるゾンビのように、ユリウスに群がって来た。百人もの人の壁。その壁は厚い。
背中の妻は依然息が荒く、咳こんでいる。急がなくてはならない。しかし、立ちふさがる客はじわじわとこちらに迫って来る。訳を言って道をあけてもらうか。いや、話し合ってわかってもらえるならそもそもこんな事態にはならなかった。
そんな父の前に息子のギルが飛び出した。
「お前達、道をあけろ! 母さんが死んじまう! 病院に連れて行かなくちゃ! うう、うわーん! ううっ」
突然、現れた泣きじゃくる子供。そんな子供を見て、客の一人が言った。
「魔法で治せばいいだろ」
ギルはその男に向かって駆け走り、思い切りぶん殴った。大人の体が一発で吹っ飛んだ。
「道をあけろ! ぶっとばすぞ! 母さんが! 母さんが! うわーん、うわーん!」
ギルは泣き叫びながら、見境もなく人を殴った。怪我人も誰も彼もおかまいなしだった。
不本意ながら道が開けた。ユリウスは息子と客には本当に申し訳ないと心の中で思った。
「道をあけてください!」と後から弟子が続き、ユリウス達は何とか寺院から離れることができた。
病院へ着けば、医者の診断はこうだった。
「おそらく肺炎です」
ユリウスもその弟子達も顔が青ざめた。わからない顔をしていたのはギルとサーキスだけだった。
この時にはまだ肺炎の治療方法も薬もなかった。ユリウスは内心取り乱した。医者の首根っこを締め上げようかとそんな衝動に駆られる。しかし、ユリウスはそんな客を何人も見てきた。彼は自分の置かれた状況を客観的に見ることができた。見苦しい客の真似はしたくなかった。ユリウスは怒りを飲み込み、黙って耐えた。
ユリウスはリナリアの肺炎からの回復を祈った。そんな気持ちをよそに横たわる妻の体中から汗が噴き出して、白いベッドをぐっしょりと濡らす。
「ぜいぜいぜいぜいぜいぜいぜぃぜぃぜぃ……」
一刻して彼女の口はもう呼吸することだけにしか使えないようになっていた。妻は病院に着いてから一言も言葉を発していない。咳の音もけたたましい。咳をする度に体を大きく、くの字に折る。全身でする咳は体力を消耗させるだけのように見えた。
さらにしばらくして荒かった息が突然止まった。目は見開いたまま。呼吸困難による窒息死のようだった。無残な最期だった。
皆が泣いた。ユリウスが一番無様に泣いた。そこでギルが大声を上げた。直情人間の怒りが爆発した。後から思えば対象は誰でもよかったはずだが、矛先は父親に向けられた。
「親父のせいだ! お前のせいだ! 今から母さんに謝って来い! 俺が今から殺してやる!」
ギルは泣き崩れているユリウスの顔面を全力で殴った。本当に殺す気だったのだろう。巨体が倒れて床に背中を付けた。病院が揺れてガラガラと瓶など小物が倒れた。ギルはユリウスに馬乗りになって両の拳で何度も何度も殴った。ユリウスは一切抵抗せずにされるがままに殴られた。そしてそんな状態でも涙は止まらなかった。
「死ね! 死ね! 死ね!」
ギルが父親を殴る度に地響きが起こる。泣き続ける兄弟弟子の中でサーキスが声を出した。
「俺…。寺院に戻る…」
涙を流し続ける兄弟子達はサーキスに驚いた。
「俺が戻らないと…あの、世界一かわいそうな親子が帰る所がなくなるよ…」
サーキスは断りもなくリナリアを背負った。そしてそこから去ろうとする。
「俺も帰る…」
兄弟子達もサーキスの後に続いた。全員がその場を去ろうとすると、そこの医者が弟子達に言った。
「待ってくれ、あの子供を止めてくれ」
ひたすら父親を殴り続ける子供に戸惑う医者が助けを求める。
「このままでは病院が壊される…。助けてくれ!」
弟子の一人が涙を流しながら助言した。
「ああなったら、誰も止められないよ…。あんた絶対に手を出すなよ…。巻き込まれて死ぬぞ…」
「人を助けますって…看板を出しておきながら…助けられないと罰を受けるんだよ…。知らないってのは覚悟が足りないぜ…。思い知れ…」
役立たずの医者を見限り、弟子達は捨てゼリフを残して去って行った。
サーキス達が寺院へ戻るとユリウスの妻の死体を見た客達が唖然とした。兄弟弟子はその日に使える回復呪文を全て使ってその場の客を治療した。やはり客全員を治療することはできなかったが、同情もあったのか客は皆、解散した。行列はなくなった。
数日してリナリアの後を追うようにサーキスの犬、レオがあの世に逝った。
寺院に戻ったユリウスは抜け殻のようになっていた。ぼんやりと日々を過ごすだけとなった師匠に弟子達はただただ悲しく思った。父と子の会話も一切見なくなった。廃人のようになった師匠に見かねた一番弟子のグレイスはある日、師匠を引っ張って無理矢理、祭壇に座らせた。そして寺院を開けて客を連れて来た。
グレイス達は一時はどうなるかと思っていたが、本来、責任感が強いユリウスは客に治療を施した。そして師匠は徐々に自分を取り戻していった。
以来、バレンタイン寺院では客を無料で治すということはなくなった。
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