第48話 サーキス達のバレンタイン寺院(2)
翌日の夕方よりサーキスの訓練が始まった。
「ワシの技の基本はテイクダウンだ。全てのことを布石にしてワシを地面に倒してみせろ」
サーキスはユリウスの片足にしがみついて、その巨体を持ち上げようとしている。
「敵を地面に付けて腕や足に関節技をかける。そうすれば相手を必要以上に傷付けることなく、降参させることができる。ワシが寺院を立ち上げるまでに様々な敵と戦い、身に着けた格闘技だ。ワシはバレンタイン流格闘術と呼んでいる」
そう言うユリウスとサーキスの体格差は二倍近くあった。
「お、重いよ…。親っさんが持ち上がるわけないよ…」
「テコの原理だ、テコの原理を使え!」
師匠は何事においても教えることが下手だった。
「あーっ!」
サーキスがやけくそになって右足を上げて力いっぱいに振り下ろした。それがたまたまユリウスの小指を踏みつけ、あまりの痛みに師匠は軽く飛び上がった。
「ぎゃーっ!」
(おっ⁉ 今だ!)
サーキスがタイミングを合わせて脚を抱えたまま跳躍する。
ズシーン。
見事にサーキスはユリウスを地面に倒した。
「いいぞ、サーキス。ワシが言いたいことはそう言うことだ。しかし、い、痛い…。足の小指が、小指が…」
ユリウスは教えることが下手だった。
「やったぜー!」
それからもサーキスは一人肉体を鍛えることを続けた。時には日が沈むまで大型の石を持ち上げてスクワットなどの鍛錬を行った。兄弟子達は酒を飲みながら無駄な努力とサーキスを嘲笑った。
一か月ほど経った頃、裏庭でいつものようにサーキスとユリウスがスパーリングを行っていた。お互いが上半身裸だ。ユリウスはたくましい肉体、サーキスの方もいい具合に筋肉が乗り始めていた。
ユリウスがパンチを繰り出すと、サーキスが素早い動きで頭一つ分の幅で避ける。さらに拳が飛んでくるが、リーチの差があるサーキスに立ち技では反撃方法がなかった。回避に徹する。
「逃げてばかりではワシには勝てんぞ!」
サーキスは長く伸びるストレートパンチを横に避けるとユリウスの踏み込んだ膝を踏み台にした。
「何⁉」
そこから肩を掴んで背中に回り、両手でユリウスの首を締め上げた。
「やるな! だが、まだ甘い!」
ユリウスが背中から倒れこんでサーキスを地面で押しつぶそうとした。サーキスは読んでいたのか、背中から離れて地面に体を付けた師匠の腕を両手で掴んで逆方向に捻り上げた。
「親っさん! 自分から倒れたぜ!」
「くそっ!」
ユリウスが反対の腕でサーキスを引き剝がそうとしたが、彼はすでにその場にはおらず、足にまわって足首に関節技を
「痛い、痛い! 降参だ! 参った!」
「やった! 親っさんに勝った!」
立ち上がって両手を上げて喜ぶサーキス。ユリウスはかなり手心を加えたが、サーキスに自信を与えたと確信を持った。
「バレンタイン流格闘術、免許皆伝だ。…それでも精進を続けろよ。肉体はどれだけ鍛えても無駄にならない。きっとお前の人生に役立つ」
「おう!」
これだけ強くなれば飲んだくれの不肖の弟子どもを倒すことも造作ないだろう。サーキスの仕上がりにユリウスは満足感を覚えた。
そしてサーキスの復讐が始まった。彼の兄弟子は八人おり、年齢は十代から三十歳に近い者と様々だった。一番年配の先輩、グレイスから兄弟子を順番にやっつけていく。特に自分を一番いじめた五歳年上の先輩、カイルは泣くまで痛みつけた。
サーキスの反乱により寺院内の年功序列という言葉は完全に崩壊した。一番若いギルが最強。次点にサーキス。立場がなくなった最年長のグレイスは寺院内では暴力は禁止と決まりを作った。
「おーい、サーキス。法衣がほつれたから縫ってくれないか? お前が一番うまいから!」
「おう、俺に任せろ!」
おだてに弱いサーキスはその後も先輩達からいいように扱われた。
*
サーキスがバレンタイン寺院へやって来て一年が経った。その頃、付近で小さな戦争が起こった。兵士はもちろん、戦争と直接関係ない一般市民も被害を受け、傷付き、死んでいった。そこで人々が救いを求めたのがバレンタイン寺院だった。
寺院の前にはあっという間に長い行列ができた。一日ではさばけない人数だった。サーキスは覚えた呪文を可能な限り使って客の回復にあたった。
それまで表に出ることのなかったギルも客の回復に駆り出された。
ユリウスも弟子達もありったけの呪文を使って客を回復する。寺院の方針で客に無理に支払いを求めないことが災いして、行列は日増しに長くなっていった。
長い行列で順番を待つことに苦痛を感じている客達。怪我の治療や蘇生を受けても感謝の言葉を口にする人間が徐々に減っていく。
「バレンタイン寺院は国の保護があるから安い」「あそこは一人助けると補助が出る」だのありもしない噂が広がっていった。貧乏人が貧乏人を呼び、色んな所から人が集まってくるようになる。そしていつしか金を持った人間はバレンタイン寺院には近寄らなくなっていた。
怪我人は弟子達だけである程度さばくことができた。困ることが蘇生だった。蘇生の呪文、
人々の列は毎日少しずつ増えていく。そして当たり前だが、死んだ人間全てを生き返らせることはできるわけではない。できるのは怪我で死亡した人間だけ。老衰死も、病死も無理だ。無知な人間にはそれにいちいち説明が必要だった。
そして
連日連夜、なくならない蘇生の順番待ち。終わりの見えなくなった行列。もう客のほとんどが金も払おうとしない。自分のことしか考えられない身勝手な客ばかりが増えていった。
ユリウスは決心した。しばらくの間、寺院を閉めようと。
弟子と家族は大賛成だった。毎日、休みなしで働く牧師。皆はなにより彼の体のことを心配していた。
それから弟子達が大量の食料を買い込み、立て篭もりに備えた。そして、準備が整うと何の勧告も無しに門を閉めきった。
客達は怒った。見殺しにする気だと思った。皆怒声を上げて門を叩いたが、寺院の者達は聞かぬ振りをした。
「どうかなあ。死んだ人間生き返らそうなんてやっぱ間違ってるよな」
仕事がほとんどなくなり、食堂で弟子達は久方ぶりの雑談に興じていた。寺院が閉まって心の余裕ができたところだった。
「いーや。俺は持てる力があるなら使うべきだと思うぜ。でも、相手がありがたがらねえと駄目かな。俺は
僧侶の法衣をまとった眼帯の男がそう言いながらお茶をすする。弟子達は、本当は酒の方がよかったが、寺院がこんな状態なので酒は控えることにしていた。
「お前達、バカだな。やっぱ金だろ。ぼったくってなんぼだろ」
「ふん。僧侶の呪文をマスターしたら、もう金なんかそんなに要るとも思わないだろ。俺は助けたい人間だけを助けるね!」
バレンタイン牧師の弟子は本当に荒くれ者が揃っていた。口も人相もすこぶる悪い連中ばかりだった。彼らの話している内容も端から見れば、聞こえは良くないが、それは人の生死に慣れ、生者必滅を理解した者達だからこそ出てくる言葉だった。
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