第45話 お願い、先生を助けて(2)

 そしてまた沈黙が支配した。サーキスはパディ、フォード、ゲイルの胸中も想像した。きっと三人とも自分を拝み倒したい心境だろう。こらえた気持ちが心に刺さる。

 ゲイルがパディに言った。


「具体的には心臓をどうするのですか? 心臓の薬が必要だと、うちで作ったワーファリンを差し上げて、ライス先生はまだ薬を飲んでない様子ですが…」

「は、はい…。以前も言いましたが、ごほ…僕の…大動脈弁が壊れています。サーキス…。僕の大動脈弁は…どうなってる…?」


 大動脈弁とは簡単に言えば心臓の蓋だ。健康な人間なら弁の三枚の蓋の羽根が同時に開閉して血液を正しい方向に流す役目がある。

「弁の蓋の羽根…三尖弁さんせんべんの内一枚がやぶれてぷらぷらになっているよ…。それに大動脈弁は糸で縫った跡が多くある…。それに全体的に硬くなっているように見える…。こんなの見たことないよ…」


「石灰化だね。もう…二十年も前に手術したからそうなったんだ…。僕の大動脈弁は生まれつき二尖弁だったんだ…。それを手術で…三尖弁にしてもらった。これを…自己弁温存と言う。もう…限界なんだよ。それで…ごほごほ…大動脈弁を替える必要がある…。リリカ君。僕の…ステントレス生体弁を手術室から…持って来てくれないか…」


 リリカが一旦、部屋から出るとしばらくして木箱を持って戻って来た。リリカは木箱を机の上に置いた。木箱を開けるとワラのクッションで保護されたコルク付きの瓶が現れた。それを木箱から抜き出して瓶をみんなに見せた。瓶は液体で満たされていて中に肉の円柱があった。直径は三センチ、長さは親指ぐらいのものだった。


「僕が…豚の心臓から加工した、人工弁です。これと…今の僕の、大動脈弁と…取り替えます…」

 サーキスがそれに驚いて瓶の近くに歩み寄った。それを覗き込んでみれば大動脈弁と似た三枚の弁がある。豚の支柱も大動脈と似ている。確かにこれと交換すれば心臓の逆流も止められそうだ。


「それと僕の弁を…交換するに当たって…。皆さんに聞いて欲しいのです…。ま、まず…」

 パディが手順の説明を始めた。


「し、心臓を止める必要があります。これは人工心肺装置というものを作ろうとしていましたが、うまくいきませんでした…。そ、それで解決策を思いつきました。簡単なことで僕が一度、殺されて死ねばいいのです…。最後に手術が終わったら、呪文の完全復活レザレクションで生き返らせてもらえばいい。これはサーキスのアイデアを拝借しました。サーキス、あの時は怒ってごめんね…。ははは…ごほ…」


 切れ者のパディが出した愚かしい提案にリリカ以外の三人が息を飲んだ。

「ぼ、僕を殺す方法はなるだけ血が出ないようにして欲しい…。心臓破壊ブレイクの呪文なんか問題外だ…。首の骨を折るとか、そんな方法で頼みたい…。これに適任なのはギル君…。


 彼は人を殺しても生き返らせれば罪は無い、そんな倫理観皆無…。そんなギル君が必要だ。なんと言っても完全復活レザレクションの呪文が使える…。ごほ…。

 僕は…一度、誰かから心臓破壊ブレイクで殺されてよかった…。すごく良い実験になった。死ぬ前と後で心臓の調子は全く変わっていない…」


 ここでフォードが口をはさんだ。

「ところで手術っていつやるのがいいんだ?」

 リリカが素早く説明した。

「先生は今回、心不全で気絶しています。もう一度、倒れるようなことがあれば死ぬ可能性がかなり高くなります。できることならすぐにでも始めたいところです」


 リリカの言葉がサーキスの胸に刺さった。そしてフォードががっかりした表情で言う。

「パディちゃんが倒れるのってもっと先だと思ってた…。急過ぎだ…。もっと言えばワシはこんな日は永遠に来ないと思ってた…。家賃をまけてもらいたいがために嘘でも吐いてるんじゃないかって…。だったらいいなあって…」


 ゲイルも力なく言う。

「私もです…」

(知らなかったのはやっぱり俺だけか…)

 パディがベッドの上で体を起こしてシャツを脱いで上半身があらわになる。真っ直ぐ縦に二十センチほど胸を切った手術痕しゅじゅつあと。それを見て驚いたのはやはりサーキスだけだった。


「サーキス、やるかやらないかの返事はいいから、僕の…手術方法だけ聞いてくれないか…。よかったら宝箱トレジャーでもう一度僕の心臓を視てくれ…」

 サーキスは宝箱トレジャーを唱えてパディの胸を視た。


「最初に皮膚と筋肉を切る。このあとに合わせて切ってくれ。やりにくかったらもっと切っていい…。どうせ死んでるからね…。はは…。それで…胸骨きょうこつを結んでいるワイヤーが見えるかな…?」

「本当だ! 骨を細い針金みたいなので縫ってる!」


 人の胸には心臓を守るための胸骨という大きな骨がある。パディの胸骨は一度切断した跡があり、ワイヤーが輪っか状に縫っていてそれは全部で八本あった。


「僕が殺された時に君は胸骨のここを見逃したね…。ふふふ…。ごほごほ…。君はまだまだだよ…。でも君に今日まで見つからなくてよかったよ…。ワイヤーが筋肉の下で玉止めされてるんだ…。たまに玉止め部分が筋肉に刺さって痛いんだ…。さっきも君が思いっきり心臓マッサージをしたから痛くてたまらないよ…。


 これは必要ないから見つけて抜けたら捨ててくれ…。胸が人にぶつかったりしないか、いつも冷や冷やしてるんだ…。今回の手術が成功したらこの痛みから解放されるよ…。ふふふ…。

 話を戻そう。皮膚と筋肉を切ったら胸骨を切断する。ダガーみたいな大きな刃物で切る。僕の胸骨の厚みはたぶん二センチ少しあるのではないかと思う。かなりの厚さだ。刃物はリリカ君の火撃ファイアで熱してもらえばより切れると思う。


 胸骨を切ったら薄い心膜しんまくがあるだろう? これは切り開いて。

 ここでようやく心臓にたどり着く。それで大動脈…。心臓から送り出される大きな動脈だ。サーキス、よく見てみて」


 サーキスが声を上げた。

「よく見たら本物の動脈じゃない! 布だ! 途中から切られて布に変えられてる! 何て言うか、地面に苔が生えたみたいな自然さ…。血液の膜で覆われてるよ!」


「そう。僕の大動脈は人工物だ。二十年前に伸びきって使い物にならなくなったから、取り替えてもらってる。上行大動脈じょうこうだいどうみゃくの上部から始まって大動脈弓だいどうみゃくきゅうから下行大動脈かこうだいどうみゃくまでが人工物になっているだろう…。


 大動脈弁を替えるために、まず上行大動脈じょうこうだいどうみゃくの根元を切る。四分の三程度に切ってくれ。そしたら大動脈弁が見える。そして大動脈弁を切り取ってくれ。石灰化している弁輪べんりんも全てだ。そして大動脈を糸で縫い付けてステントレス生体弁…豚の弁を入れて冠動脈かんどうみゃくに高さを合わせて切る。


 人工弁の上部を縫い付けて、後は心臓の空気を抜いて最後に完全復活レザレクションで生き返らせる…。

 それからリリカ君、手術が終わったら僕に血液をさらさらにする薬、ワーファリンを飲ませて。一日二錠。これは人によるけど、前の時はそうだった」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る