第46話 お願い、先生を助けて(3)
そこまで話が終わるとまた静けさが戻った。サーキスはまだ返答に詰まっているようだった。そこでゲイルがおずおずと言った。
「心臓のことは聞いていて全くわかりませんでした。すみません…。こんな時に恐縮ですが、黒死病、ペストの薬が何なのか先生からまだ聞けてません…」
「そうだった! ワシもすっかり忘れてしまっていた!」
「ははは…。僕も忘れてました。ペストの薬はストレプトマイシンです。今、倉庫にたくさんあるんでしょ?」
「ええ⁉ 結核の薬が黒死病に効くんですか⁉」
「パディちゃん、お前⁉ こうなることがわかっていたな⁉ だからワシらにストレプトマイシンを大量に作らせたな⁉」
「ははは…まさか。たまたまですよ…。ストレプトマイシンはペスト菌にかなり効果的です。でも百パーセント、ペスト菌を殺せるわけじゃない…。まず感染拡大を止めることが先決です…。ペストはネズミが運ぶノミが感染源です。噛まれて発症、発症した人間の飛沫からまた人に感染します。だから徹底的にネズミを処分することが肝要です…。ごほ…。
ウッダート王国の魔法使いを総動員してネズミを焼き殺すといいでしょう。この時、火事にはならないように。あと間違っても死んだネズミを素手で触らないこと。ペストが感染します。ネズミは今の寒い時期、家屋の屋根や床下に忍びます。そういった入口は塞ぐべきです。それから
ノミ本体は
言い遅れましたが、一番大事なのはペスト菌の発見です。僕の見当違いかもしれない…。一度、感染者の血液を調べる必要がある。そして調査するにも、ストレプトマイシンを輸送したり、注射したりするにも誰かがウッダート王国へ行かないといけない…。ごほごほっ」
「私が行きます!」
瞬時にゲイルが名乗りを上げた。
「先生がいなければ妻は死んでいた。おそらく私も結核にかかって死んでいたことでしょう。せっかくもらったこの命、人のために使いたいのです。私がウッダート王国へ行くことによってガルシャの人を助けられるのなら尚更です…」
「えっとあの…。押し付けるような…。すみません…」
パディが恐縮した様子で謝った。
「いえいえ。もう解決方法も先生が考えてくれてたみたいだし、私はたぶんすぐに帰って来れますよ。それからよかったら注射器を一本もらえますか? 先生がワーファリンを飲むのなら、服用前の血液のデータが欲しいと思いまして」
リリカが戸棚から注射器を取るとゲイルに一つ渡した。ゲイルは断りを言ってパディから血液を採取する。そしてサーキスに言った。
「サーキス君。私の妻に君のことを話したら、妻は君とすごく会いたがっていたよ。いつか君と会わせたいよ。それとブラウンさんのお孫さん…。君の奥さんってどんな人? 私はあまり話したことがないんだ。ははは…。最後に会った時はまだ子供だったからね」
「あー…。俺の奥さんは思ったことを何でも言う人だね。ははは。あんまり考えて喋らないというか…。面白い奥さんだよ。俺にはもったいないっていつも思うよ」
「ふふ! いつか家族ぐるみで会いたいね!」
サーキスはゲイルに気を遣わせたと思った。ゲイルとパディは付き合いも長い。パディの手術を懇願しているはずだ。すぐに返事をしないで本当に申し訳ないと思った。
「…では先生、今日はこれで帰ります。先生の血液を調べないといけない。それにサイネリア薬品の社長に私がウッダート王国へ行くことを話さないといけない。また明日来ます」
「はい。ペスト菌の情報はリリカ君にまとめてもらいます。またお渡しします。あとウッダート王国へ行ったらゲイルさんには防護服を着て欲しい。全身を全て覆う。それもマスク付きで。あちらの人がどうなっていもいいわけではないが、僕はゲイルさんだけは死んで欲しくない…。お願いします…」
ゲイルはパディに笑顔を向けると黙って帰って行った。それからフォードが言った。
「ギーリウス・ラウカーを連れて来る必要があるな! その役目はワシに任せろ! 奴に嫌とは言わせない! 金の力で引っ張って来てやる! ひとっ走りロベリアまで行って来るぞ!」
フォードの力強い言葉にパディが目を細めた。
「ありがとうございます…」
フォードはパディ達に背を向けて歩き出した。そして過去のことが頭をよぎる。かつてこちら側へ飛ばされて来たパディを助けたのは他でもない、このフォードだった。当時、見たこともない格好の男にフォードは彼がこの世界の人間ではないと知った。
パディ・ライスはおかしな、それも役立つことを多く知る男だった。フォードはパディと出会って間もない頃、さらに自分が金儲けできる方法がないか訊いた。パディの答えは意外なものだった。
「それなら貧困をなくすことです。あなたが己のためだけの利益を求めたら、貧富の差は広がる。金を持たない貧乏人はいつかあなたへ牙を剥く。どんな善人も家族のためなら悪に染まることでしょう。追い詰められた人々はあなたを傷付け、財産を奪いに来る。…と、これは僕の国にいた人の受け売りです。その方は人々のために必死に働きました。結局その人は僕の国で指折りの金持ちになりましたよ」
病院の外へ出たフォードは涙を一筋流して独り言を言った。
「何をチュルチュル頭が…。偉そうに…」
診察室ではリリカが思い出したように玄関へ急ぎ、休診の札を出した。パディがこんな状態では診療はしばらく無理だ。
サーキスがパディの胸に
「ありがとう…」
リリカが診察室へ戻って三人が揃う。フォードがギルを連れて戻るまでまだ数時間はかかる。元々、三人とも大の話好きだったが、この時ばかりはさすがに誰も口を開かなかった。しばらく沈黙が続いた。
「あ、あの…」
そこでサーキスが口を開いた。
「こんな時で申し訳ないけど、よかったら俺の寺院の話を聞いてくれないか?」
「え? え? いいわよ」
「うん、それはずっと聞きたいと思ってた…」
「俺の寺院はローマにあったバレンタイン寺院って言うんだ。俺の師匠の名前はユリウス・バレンタイン」
リリカが驚いた。
「その人は殺された人⁉ バレンタインデーの人じゃない⁉」
「そうなんだ…。なぜかチョコレートの日の人なんだ…。誰が考えたか知らないけど、いつの間にかバレンタインデーに恋人や家族にチョコレートを贈るってそういう日になってた…。お菓子会社の陰謀だよ…」
「あんた、すごい人が師匠なのね! チョコレートの日にされたバレンタイン牧師本人はどう思ってるのかしら…」
「きっと小躍りして喜んでるよ…。『ワシが歴史に残ったー! みんながワシを称えてくれる! こんなに嬉しいことはない。うっうっ』って泣いて喜んでるね。たぶん」
「死んでるのに?」
「結局、今、親っさんが生きているのか死んでいるのかはわからない。それを確かめる旅をしてたんだ…」
「それをあたし達のせいで…。ごめんなさい…」
「とんでもない! リリカのおかげで俺は今すごく幸せだ。本当にここに住んでよかったよ。あんな暴力親父、探すのやめて正解だよ…。親っさんと出会ったのは俺が十一歳の頃だった…。あの頃、俺は食べ物がなくて小さな寺院に忍び込んだ。そして、パンを盗んで逃げた…」
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