第39話 セリーンの勇者(1)

 その日の手術がひと段落して、もう少しで昼食の時間。手術室でサーキスが後片付けに勤しむ中、部屋にはパディと二人きり。そんな時、サーキスが急に瞳を輝かせてパディにたとえ話を始めた。とっておきの、どうしても言いたいことのようだった。


「あのね先生、俺考えたんだけど! もしも俺が子供の時に予知能力が使えたとして!」

「君はまた変な話を始めるなあ…」


「仮に俺が子供の時の話。ある人が肺炎になるんだけどその時はまだ治療方法がない。でも俺は予知能力で数年後にパディ先生と会うことはわかってる。それでその肺炎の人には違う要因で死んでもらうの。


 それでその死んだ人をパディ先生に会わせる。そして呪文で生き返ってもらうんだ。それで先生に肺炎の治療をしてもらうの。そしたら、その肺炎の人も助かるよね! これ、できたらすごくない⁉」


 嬉々として語るサーキスにパディは眉も動かさず彼をじっと見据えている。

「それは駄目だ」

 パディは静かに冷静な口調だが、そのたった一言でサーキスは逆鱗に触れたと知った。


「命はそんな安っぽいものじゃないぞ。病死を免れるためにその人を違う方法で殺そうというのだろう! 呪文や刃物や鈍器で!」

 サーキスは言ってはならないことを言ったと後悔した。恐ろしさでサーキスは震え始めた。


「わかったよ、もう言わないよ…」

 サーキスは泣き出したが、パディは言葉を止めなかった。

「駄目だ。聞きなさい」

 サーキスのパディ医師への尊敬の念は強い。そこまで長い付き合いではないが、サーキスにとってパディは彼の師匠であるバレンタイン牧師と同等の存在になっていた。


「君はなぜか肺炎に固執しているが、肺炎の薬を作ったゲイルさんは決して君みたいな軽い気持ちじゃなかったぞ。知っていると思うがゲイルさんは人を救いたい一心だった。君のそのやり方ならどんな人間も助かるかもしれない。僕が治療できない人間も千年後には治せるかもしれない。だが! そんなのは生きていると言えるのか? その人の人生を考えていると言えるのか?」


 サーキスはもう泣くばかりだった。言葉を尽くしたパディはサーキスに「裏庭に行って反省しなさい」と命令した。

 サーキスが行ってしまうとパディは独り言を言い出した。


「結局、最終的にその人を助けることができなかったらどうする、サーキス? 君はただの人殺しだぞ? ははは。でも、きつく言い過ぎたな。自分も一度は同じようなことを考えたことがある。合理性だけを求めたたちの悪い医者の考え方だな。サーキスは優しいからいつか本当にやるかもしれない。ここで釘を刺せてよかったのかもな…」


 そこでひらめきが起こった。パディが何年も追い求めていた打開策だ。

「いや、待てよ! そうかその手があった! それだともう人工心肺なんか必要なくなる! やったぞー!」


 翌日、パディがサーキスと顔を合わせるとサーキスはバツが悪そうな顔で謝った。

「昨日はごめんよ。よく考えたらとんでもないこと言ってた…。反省しました…」

(ふふ…。珍しく僕に敬語を使ってるな。気持ちは伝わったよ)

「いいんだよ! 僕も言い過ぎた。気にしないでね!」

 なぜか機嫌が良いパディにサーキスはに落ちない顔をした。


     *


 風もめっきり涼しくなり、紅葉が一枚一枚、空へと舞って行く。そんな時期に突然スレーゼンの天候が悪くなった。黒い曇り空ながら雨も降らない。厚い雲に覆われて昼間も闇に包まれたようになっていた。実際、その雲はヨーロッパ全土を覆っていたのだが、地上に住む人間達には誰もわからなかった。


 そんな日に病院へ訪問者がやって来た。

「すまない、また来た! 誰かいるかー⁉」

 ドラゴンの戦士、ドレイクだ。今回で四回目の訪問だ。本日も患者を連れているようで、黒髪の男の手を取ってゆっくりとエントランスを歩いて来る。サーキスが彼らを迎えた。


「おー! ドレイクさん! 今日も患者さんを連れて来たの⁉ …ということはその人がもしかしてセリーンの勇者⁉」

 その男は視点が合っていないぼやけた表情をしていた。体格はサーキスと似ていて細身の体付きだった。


「そう、セリーンの勇者だ。セレオス・フィッツ・ジェラルド。二十九歳。それで彼は…」

 廊下から現れたリリカが驚いて声を上げた。

「セレオス! セレオスじゃない⁉ あたしよ! リリカよ!」


「こんにちは。君はかわいい声だね。僕達は会ったことがあるんだね」

 年齢の割に若く見えるセレオスという男は、目は開いているが、目の前のものが見えない様子だった。彼の顔はうつろなまなこだ。

 ドレイクが説明した。


「セレオスはマーガレットと違ってまぶたは開くのだが、目が見えないらしい。おまけに記憶もなくしている。セレオスは自分の目的も忘れて病院を転々と入院していたそうだ。バロウズの呪文のおかげでセレオスを見つけるのは簡単だったが、退院の手続きに手間取った。すぐにここに連れて行きたかったのだが…。


 私はセレオスと家族でもないし、バロウズとは仲間であったようだが、セレオスにその記憶がない。セレオスが入院している病院へ自分達の説明に時間がかかった。さらに任務を忘れたセレオスに説得と色々とな…。お前はセリーンの勇者だと何度も言い聞かせていた…。

 それもリリカと知り合いだったとは…。リリカ、セレオスとはいつ知り合った?」


「六年ぐらい前よ! あたしがここで働く少し前! ちょっとしか一緒に冒険しなかったけど…。あたしはこいつが勇者なんて聞いてなかったわ…。こいつは自分のことを聖騎士パラディンと言っていたわ」


「セリーンの勇者は基本的な能力は聖騎士パラディンと変わりないらしい。セリーンの武具を装備できるかできないかの違いぐらいだ」

「セレオス! あんたは一体あたしに何をさせようとしたの⁉」

 リリカは記憶がない人間に無理な問いかけをした。そして意外な答えが返って来た。


「たぶん僕は君のことが好きだったんじゃないかな。だから内緒にするか嘘を吐くかで君と一緒にいたかったんじゃないの?」

 セレオスは笑顔で答えたが、誰も笑わなかった。重病患者の言葉は重々しく笑えなかった。それから、遅れて自分の部屋から出て来たパディがドレイクに挨拶した。


「やあ、こんにちはドレイクさん。今日も患者さんを連れて来たんですね」

「こんにちはパディ先生。彼は目が見えなくて、記憶もおかしくなっている。先生でもこんな症状を治せるものか…」

 パディは一旦全員に呼びかけて診察室へと入った。セレオスを椅子に座らせると不意にドレイクに訊いた。


「そうだ、ドレイクさん。今日はマーガレットさんとバロウズさんは一緒じゃないの?」

「二人は街に遊びに行かせている。大勢でおしかけてもセレオスがこんな状態では彼が混乱すると思ったからだ」


「なるほど。…サーキス、セレオスさんに宝箱トレジャーを使って。視るところは脳。たぶん腫瘍しゅようができてるんじゃないかな」

 サーキスは呪文を唱えてセレオスの頭に手をかざす。患者もこのような状態のため、サーキスは緊張した。赤い脳味噌の中を探っていると頭のほぼ中央に白い腫瘍を見つけた。色が脳と違う。境界がはっきりとしている。


「あったよ腫瘍…。大きい…。小さなみかんみたいな大きさだ…。腫瘍ってだいたい体のあちこちにできてるけど、これは黙ってられないぐらいびっくりだ…。腫瘍の場所は目の後ろぐらいだね…」

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