第26話  ギーリウス・ラウカー夫婦(1)

 その日、病院はパディとサーキスが往診のため、リリカが一人カウンターで留守番をしていた。正面にはショートボブのファナがシャドウボクシングのようなことをしながらリリカにしきりに話しかけてくる。

「しゅっしゅっしゅっ。リリカも一緒にやろうよー」


 リリカはカルテの整理整頓、経理関係の計算に追われて忙しかった。

(面倒くさいわねー。早くサーキスが帰って来ないかしら!)

「サーキスから習ったんだよ。ダイエットにもいいんだよー」

「ダイエット…。あたしはあまり動かないからそれもいいわね…」


「でしょー! サーキスが教えてくれるのってパンチとかキックばっかりなんだよ。でもね、サーキスの技って組技主体でしょ? あれなら力がない私でも自分より大きい男をやっつけられそうな気がするんだ! それを教えて欲しいんだけど、サーキスが私の腕を触っただけで真っ赤な顔で照れるの! そこがまたかわいい!」


 ファナはそう言いながらワンツーパンチの後にローキックを放つ。筋がいいようでなかなかさまになっていた。

「組技やりたい! 腕バキ! 足バキ! 首バキ! 私は正々堂々戦うぞー! さあ来い!」


(もう死んでるわよ…)

 リリカが仕事に集中できずにいると玄関が開く音がした。

「邪魔するぞ」

 入口に筋肉隆々で体格の良い、長剣をぶら下げた男が現れた。見ればサーキスの同門のギーリウスであった。


「ギーリウス…。こんにちは…」

「ああ。お前はリリカだったな。ジョセフはおかげで元気だぞ。礼を言う」

 リリカは前回、ギーリウスに憤慨してしまったため気まずかった。


「そ、それはよかったわ。えっと…。紹介するわ。こちらはファナ。あたしの友達よ。サーキスの友人でもあるわ。…で、そちらがギーリウス・ラウカーさん。サーキスの寺院の同門よ。師匠の息子さんですって。先日、当院へ扶養のお子さんを連れて参られたわ。孤児院をやってるそうよ」


「おおー! サーキスがよく言ってる寺院時代の!」

 ギーリウスの顔は苦虫を嚙み潰したような悪人面あくにんづらだったが、ファナは気にしない様子で両手で握手を求めた。

「師匠の息子ならケーキが作れるんだよね!」


「サーキスはそんなことまで言っているのか。まあ、作ってるぞ。孤児院のガキどもに作らせて販売もしている。貴重な収入源だな」

「すごーい! 私も食べたーい!」

「ふむ。それなら今日は土産を持って来るべきだったか。申し訳ない。次回は必ず…」


 初対面の二人がもう和んでいると後ろから女性のするどい声がした。

「ギル! 女の人を見たらすぐにこれです! デレデレしちゃって、もう!」


     *


 サーキスとパディが病院に戻ると待合室でファナとギル、そしてもう一人女性が談笑していた。パディがギルに挨拶した。

「やあギル君!」

「邪魔してるぞ、ドクター」


「ギルか…」

 サーキスはもう一人の、特に美人を見てたじろいた。白いワンピースに長い黒髪、優しそうでおっとりとしたたれ目が印象的な女性だった。

「あなたがサーキスさんですね! 私をゴリラみたいな筋肉女と言った悪い人ですね!」


 女性は言葉と裏腹に包容力に溢れる笑顔をしていた。

「私はミア・ラウカー。ギルの妻です。そしてセルガーさんの友達でもあります。初めましてサーキスさん! 会いたかった!」


 サーキスは手にしていたパディの診察用の鞄を床に落とした。ゆっくりとミアと名乗った女性に近づいて行く。

「あ、あ…。よかった…。何て幸せそう…」

 サーキスは涙を流し始めた。


「俺はギルのことが気がかりだったんだ…。寺院があんなことになって…。奥さんも親っさんも…。ギルは表情が変わらないから幸せか不幸かわからない…。ギルの奥さんがこんなに幸せそうならきっと大丈夫…」


「やっぱり寺院の皆さんはお優しそうな方ばかりですね。ギルのお父さんも今のあなたの姿を見たらきっと喜びますよ」


 サーキスが号泣する。そしてどちらからというわけでなく、サーキスとミアは抱きしめあった。周りにいたパディ、リリカ、ファナは何のことかはわからなかったが、初対面の二人がひと時で理解しあって抱き合う姿は何とも美しいものがあった。三人は言いようのない感動で胸を打たれた。


 ひとしきり二人が抱きしめ合っていると、無粋にギルが割って入った。

「俺の嫁さんからさっさと離れろ。お前殺すぞ」

「むむーっ! お前の奥さんはたった今から俺の味方になったぜ! そんなことを言うと奥さんが許さないぞ!」


「いけませんよ、ギル!」

「ほら怒られた」

「汚いぞサーキス!」

「いやなあ。ギルの奥さんでセルガーの友達ならこんな感じかなあと思って。ノリがうちの寺院流だ。ミアは面白いぜ!」


 過去にミアは、ギルの友人セルガーが営業する酒場に幾度となく通っていた。会話をしているうちにバレンタイン寺院の感性がうつってしまったらしい。暴力的な師匠に、弟子が着るのは統一感のない法衣など、自由奔放で混沌とした雰囲気の寺院。


「サーキスさんはセルガーさんと似ているようで違いますね。寺院の人はみんな同じような感じって思ってました。サーキスさんは爽やかです。ギルとセルガーさんみたいに悪のオーラが出てないですね! それからサーキスさん、ギルが敬語を使っていたでしょう?」


「使ってた! 慇懃無礼みたいで気持ち悪かったよ!」


「私も同意見です。孤児院のシスター、もう故人ですが私の育ての親がギルを洗脳してこうしてしまったんです。敬語が使えるようになることを私との結婚の条件にしたんですよ。で、彼は今まで以上にうわべを取り繕うのが上手になってしまった。とても残念なんです…」


「あ、当たり前だ!」

 ギルが狼狽して言った。

「敬語を使えないせいで俺が何度殺されそうになったと思ってるんだ⁉」

「それと女性を見るとすぐに話しかける癖、やめて欲しいですわ…」


「お、俺は性別で人を見てないぞ! 興味がある人間に話しかけてるだけだ!」

「皆さんにお願いがあります。ギルが浮気している現場を見たら私に教えてください! 私が罰を与えますから!」

(何か見た目美人だけど変わった奥さんだな…。ギルたいへんそう…)


「わかったよ、すぐに教えるね!」

「ありがとうございます。ファナさん」

 ファナが笑顔で手を上げた。

「私、ミアと友達になりたい!」


「あら奇遇ですね。ファナさん、私もですよ!」

「これからみんなでご飯を食べようよ!」

 リリカは思った。

(サーキスは初対面の女の人でも共通の知人や話題があれば話せるのね。ふーん)


    *


 薄暗くなった夕方、待合室でサーキスとパディとギルの三人が酒とつまみを口にしながら小さな宴会を開いていた。女性陣の希望で男女に別れて食事を取ることになったのだ。女性三人はナタリー食堂へ移動してしまっている。サーキスはぼやいていた。


「俺、あっちに行きたかった…。あ、ギルって子供を連れて来なかったの? お前とミアの間に生まれた子。見たかったなあ」

「ああ。まだ小さいしな。孤児院のガキどもが今世話をしているだろう。それに俺の子供だけお出かけさせるとえこひいきになる」


「ふえー。孤児院やるのもたいへんだなあ…」

 パディがギルに小さなコップを差し出して言った。

「ギル君、少しお酒ちょうだい」

 ギルがコップにウイスキーを注ぎ、パディへ渡した。


(え⁉ 先生、ファナが言ってた通りリリカが見てない所でお酒飲んでる⁉ これって…報告した方がいいのかな…)

「どうでもいい話だけどギルってモンスターを倒した後に宝箱を開けたことがある?」


 この世界のモンスターが持つ宝箱はほとんどの物に罠が仕掛けられている。

「ああ、あるぞ。軽く千は超える。悪の魔法使いの地下迷宮で最後は盗賊もいなくてな。俺が全部自分で開けていた」

「ふーん。成功率ってどれくらい?」


「六割ぐらいだな」

「それじゃあ、罠を喰らったりしないのか? 爆弾とか喰らったら普通死ぬぜ!」

「まあ、爆弾ぐらい俺は三発は耐えられるぞ。罠ではないが、呪文の神焼く炎ハイフレアも一発は耐えられる」


(見たことないけど瞬間温度一千度を起こす爆発呪文だ! …人間じゃないぜ…。でも、俺は宝箱の開錠って一回も失敗したことないんだよな…。難しいって言う人が多いけど、それが俺にはわからないぜ…)

「久しぶりの酒はうまいな…」


 パディが舐めるように酒を飲んで味をかみしめている。

(ギル君の人間辞めてる話もいいけど、僕がいるからやっぱり二人の秘密は避けて話してるよな…。寺院の話もこのままするはずもないよな…。話を振ってみるか)


「ところでギル君の奥さんって嫉妬深そうだよね。どうして? 出会った時からそうなの?」

「ふーむ。結婚してからと言った方がいいかな…。他人のせいにしてしまうようだが、原因はある女小説家のせいだ。


 過去に俺はイステラ王国のカレンジュラという都市で悪の魔法使い退治のため地下迷宮に潜っていた。最初は三人の仲間と俺、合計四人パーティーで冒険をしていた。パーティーの内一人が女魔法使いで俺のことが好きだったらしい。俺は当時全く気が付かなかった。


 俺は雑貨屋でミアと出会って付き合うようになる。その時にはすでに俺達のパーティーは解散していて、女魔法使いは小説家になっていた。ペンネームはニキータ・L・テスターと言う。ミアはニキータのファンだった。ほどなくしてニキータはカレンジュラの街から離れることになった。直前にカレンジュラに住む俺の友人、セルガーがミアとニキータを会わせている。ミアは大喜びしたらしい。


 それからニキータは何冊目かに『マリーの恋』という本を書いた。内容はマリーという女主人公が傍若無人ながら情深い一面を見せる男とパーティーを組み、惚れてしまう。しかし男はパッと出の雑貨屋の女と恋仲になって、マリーは泣きながら街を去るというものだ」

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