第12話 トマーシュ・クロッカス 含歯性嚢胞(がんしせいのうほう)(2)
クロッカス夫人が続けて言った。
「これって…魂の器って綺麗でしょ? それで冷静になったの。このまま死んでてもらった方が役に立つって。生き返ったらまたあのつらい生活に逆戻りですよ。こうやって光っててもらった方が綺麗だし、燃料もいらないし。暗い夜も助かりますよ。
役所にもちゃんと届けましたよ。死亡届。私は手続きが難航すると思っていたけどあっさりできた。実際、レアケースだけど、他にも魂の器のまま生き返らせない人がいるんですって。蘇生のお金が足りない人とかね。役所の人から生き返らせたくなったらまた手続きしてって言われちゃった。…誰がするものか。
あなた達も勝手にこれ、…旦那を生き返らせたら死ぬまで恨みますよ! 絶対にやったら駄目ですよ!」
「僧侶の俺もそんな事情がある人って知らなかった…。俺もまだまだだぜ…」
パディも関心した顔で言った。
「勉強になりました。はい、承知いたしました!」
「よしよし。トマーシュの部屋に行きましょうかね」
三人がトマーシュの部屋へ入ると、本人はベッドに横になって壁の方向を向いていた。
「何だよ…。また来たのかよ…」
鋭い目つきの少年がこちらを向くと悪態を吐いた。黒い髪は前髪が特に長めで、全体的に少しウエーブがかかっていた。一言でぐちゃぐちゃの髪だった。サーキスは彼と同じような髪型の人間を見たことがあった。パディがトマーシュに言った。
「今日は僧侶を連れて来たよ。彼はサーキス。さあ、お口を診てもらいましょうね」
トマーシュは嫌々口を開けた。サーキスが呪文無しで歯並びを見た。虫歯が少しあるようにも見えたが、そこまで問題があるようにも思えない。
「兄ちゃん、どこが痛いの?」
「奥だよ! 奥歯! 見た目何ともないけど、いてえんだよっ!」
母が謝った。
「ごめんなさい…。いつもはいい子なんですけど…」
「サーキス。彼は何もない状態、別に怪我もした覚えもないのに過去に下の顎の骨を骨折している。寺院で回復呪文をかけてもらったらその時は痛みが治まったらしい。そして時間が経ってトマーシュ君は歯の痛みを訴えている。僕が診たところ、おそらく
「歯の下にまた歯があるっていうわけか? 嘘だろ…。アハウスリース・フィギャメイク・……ディラアピア・テュアルミュールソー・リヴィア・
サーキスが左手をかざして視るとパディが言った通り、奥歯の下の歯茎の中にもう一本歯が生えていた。それも横向きになっている。根元は虫歯になっていた。サーキスは背筋が寒くなった。
「先生の言った通りだ…。歯が横に生えてる…。こんな役にも立たない場所になぜ生える…。虫歯になってるし…。何だこれはでかいな…」
虫歯の隣は大きくて赤黒いものができていた。見た目は血の塊にも似ていた。それは歯の数倍ある大きさだ。
「腫瘍って言っていいのかな? 俺のとまた違う袋みたいなのがあるぜ…」
「それが
「この細いやつか? 何度か他のところでも見た…。なんとなく先生が言うことはわかるが…。当たってるね! その嚢胞っていうのに神経が触れてる!」
若いからさすがに目がいい。パディは思った。
「骨折も
パディの指示により、サーキスは他にも親知らずがないか調べた。結果、四隅に上下四本あることがわかった。上の歯はまだ嚢胞は小さいが、左下の嚢胞は結構育っているらしい。
「了解。これは取れば治るよ。下の歯は両方取った方がいいね」
トマーシュが言った。
「治るっつったな⁉ 俺は死ぬほどいてえんだよ! 何なら今すぐ殺してくれていい! だいたい歯なんか診れる医者なんてこの世にいるのかよ⁉」
「大丈夫だよ、トマーシュ君。…お母さん、これから病院で手術をしたいと思います。トマーシュ君を連れて行きますが、よろしいですか?」
「いいです! お願いします!」
「一応、簡単に手術の説明をします。下の奥歯を両方抜きます。右側も今後痛くなるのがわかっているからです。歯茎を切開して親知らずと嚢胞を取ります。後は呪文で回復して終わりです。見た目には歯を二本、中にもあるから合計四本抜くことになります」
「はいはい、わかったよ! 痛くなくなりゃどうでもいいよー! 歯を全部抜いてくれたって構わない!」
サーキスはトマーシュを背負った。
「ババアは来んな!」
トマーシュはそういう年頃だった。パディが彼の母に耳打ちした。
「こっそり後から来てください」
そうしてサーキスとパディは病院へと急いだ。サーキスはトマーシュの気持ちを和ませようと雑談を始めた。
「なあ、トマーシュ! お前は普段、リーゼントにしてるだろ! 俺の後輩にもいたんだぜ! 整える前はそんな感じだから初めて見た時はびっくりしたもんだぜ」
「うっせえな! こっちはいてえんだ! 黙って運べよ!」
サーキスはこれぐらいでへこたれなかった。寺院時代の客はこのような人間ばかりだった。痛みさえ取れれば今のことも謝ってくれるはずだ。
(たぶんね…)
「だいたいライス病院ってのは噂が酷いんだよ! 良い噂と悪い噂、両方聞く! 良いこと聞いてなかったらこうやって付いていかなかったんだからな! いてて…。この痛みに終わりってないだろ…」
三人が病院に着くと、リリカが手術の準備をして待っていた。
さっそくトマーシュを手術台に寝かせてリリカが睡眠呪文を唱える。そしてパディが言った。
「では含歯性嚢胞の手術を始めます」
リリカが金属製のマウスオープナーを使い、トマーシュの口を強制的に開いたままの状態にした。そしてリリカがパディにメスを渡す。パディは奥歯の歯茎にメスで切れ込みを入れた。
サーキスは思った。
(ペンチで抜くって思ってたけど、医者は刃物を使うんだ! こっちの方が効率的だ! 奥歯は虫歯じゃないから尚更だ! これは僧侶が発想できないことだぜ! 僧侶には人を切れない!)
パディは血まみれになった奥歯を引き抜いて更にその下の歯茎を切開。血が溢れるがリリカの魔法の吸引機で血液を吸ってもらう。歯茎の下の歯がむき出しになり、嚢胞とセットになっていたものが除去された。一旦、サーキスの回復呪文で歯茎を治し、反対側も同じように歯を二本抜いた。終わりにサーキスに
手術も終了、後はトマーシュが起きるのを待つだけとなる。サーキスが言った。
「俺もこの兄ちゃんと同じでパディ先生にも口の中は治せないって思ってたんだ…。人のお腹はなんとなくわかるけど、足の裏とか心臓までって…。先生の国の医療ってどんだけすごいんだよ…。守備範囲広いよ…」
「ははは。フォードさんも言ってたけど、僕は悪いところを切るだけだよ。病気も一回見たら誰でも覚えられるよ。サーキスももう覚えただろ? 含歯性嚢胞」
「おう!」
しばらくしてトマーシュが目を覚ました。
「ふぁああ…。あ、痛くない…。ん? 歯が…なくなってる…」
リリカがトマーシュに手鏡を渡した。大きな口を開けて自分の顔を見たトマーシュは笑い始めた。
「綺麗に歯がなくなってる! 下の奥歯が二本とも! わはは! 面白い顔だ! いや人の口の中までは誰も見ないか! あ…」
トマーシュは急にしおらしくなって言った。
「先生、さっきはすみませんでした…。サーキス…さん? 酷いこと言っちゃった…。ごめんなさい」
「いいってことよ! でリーゼントにしてる?」
「はい、いつもはリーゼントです! 気合バリバリで仕事してます、よろしくぅ! この病院の前の舗装も俺達がやったんですよ!」
「へえ! 水はけが良くて今日も歩きやすかったよ!」
「地面を一メートルぐらい掘って砂利で埋めてますから! スレーゼンの道は全て舗装してしまうそうです!」
気付けばそばにいたトマーシュの母が言った。
「この調子でトマーシュは普段は働き者なんですよ」
「母ちゃん、来るなって言っただろ? 恥ずかしいなあ…」
「支払いもあるでしょ? …ここで失礼を申し訳ないけど、私はセリーン教徒なんですけど、カスケード寺院の言うことはやっぱりおかしいですね…。ライス総合外科病院には決して行かないように教えられていたけど、先生がいなかったら息子はどうなっていたことか…。先生、皆さんありがとうございました」
「いえいえ。こほんっ。一応、術後に僧侶の彼にまた内部を視てもらいましたが、親知らずがあった場所には顎の骨が伸びたそうです。完治してます。
それと下の奥歯がなくなったことによって上の歯が宙ぶらりんになってますから、何年かすると上の歯が下に降りてきます。それでいて上には親知らずがあるので結局また抜かないといけません。なので一年に一回ぐらいはうちに診せに来てください」
ここで言ったパディの完治とは回復呪文の力がなければ一年以上かかるものだった。
「はい、わかりましたー! 痛いの嫌だからまた来ます! 俺、いつも道端で仕事してますから見かけたら声かけてくださいね!」
クロッカス親子は再び礼を言って帰って行った。トマーシュの様変わりがサーキスには何ともおかしかった。こんな気持ちはいつぶりだろう。寺院時代とはまた違うこの心地。患者と身近に接して病気を治す行為は感動すら覚えた。
(俺はやっぱり旅をやめてここに居るべきかな…)
仁王立ちでボロボロと涙を流す彼にパディとリリカは
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