第11話 トマーシュ・クロッカス 含歯性嚢胞(がんしせいのうほう) (1)

 昼食が終わった頃、診察室でパディはサーキスにちょっとした心構えの話をした。

「仮にも君はここで働くことになったのだから、当院の理念というか、患者さんに対しての心の持ちようみたいなことを聞いてもらいたい」

「おう!」


 そばにいたリリカは、サーキスが嫌がらないことを意外に思った。

(他の僧侶は面倒くさがったのよね…)

「えっと、とにかく患者さんには優しく接する。そして緊張させないこと。リラックスしてもらう。緊張した患者さんは口数も多くなって質問も増える。同じことを何度も言ったり、こちらの言うことを聞かなくなる」


「経験あるぜ…」

「ふむ。ここでは手術をするために患者さんを眠らせる。君は眠るのは怖かったかい?」

「全然! フォードさんの手術を見たからかな」


「そうなんだ。でも、普通の人は手術を受けることなんか一生に一度あるかないかだ。大抵の人が怖くてたまらないと思う。眠っている時に何をされるかわからない。だからこそ、丁寧な説明が必要とされる。どちらかと言えば僕が気を付けないといけないことかな。


 それでも、君も僕と同じような考えを持って欲しい。君が患者さんに直接告知するわけではないかもしれないけど。

 仮に最悪な関係、例えば僕とフォードさんみたいな感じだったとして、手術は成功した。君が患者さんで今目覚めたとする。さあ君はどう言うかな?」


「寝ている間にお前は何をしたー⁉ または、俺は最初から病気なんかなかった! かな?」

「うん、そうだね。信頼関係が成り立ってないときっとそう言われる。僕は反面教師になったね。君はお利口さんだよ。とにかく説明不足に優しさはないってことだね。患者さんは不安でたまらない気持ちでここに来るだろうけど、君の素敵な笑顔で患者さんを和ませてくれ」


「いつも笑ってればいいの?」

「それは駄目だよ。ある程度空気は読んで」

「細かいな…」

 そう言いながらもサーキスはパディ医師に関心していた。ただ患者を治療するだけでなく、人の気持ちもケアしようとしている。自分の寺院時代とは大違いだ。彼はいつも声を荒げて客を怒鳴りつけていた。そうでもしないと最後尾も見えない客達の、長蛇の列に終わりが来なかったからだ。


 順番を守れ、治療を受けたらさっさと帰れ。兄弟弟子もそのようなことをいつも叫んでいた。師匠には弟子を指導する余裕など皆無だった。今、パディの言葉を聞くと他にやりようはあったと思った。

(こういうのはもっと早く聞きたかったぜ…)


「ははは。昔は僕は悪い医者だった。患者さんに『私は医者だ! 医者の言うことを聞け!』ってな感じでね。人の悪いところを切るだけなのに何でそんなに偉そうにしてたんだろうね。過去に戻れるならやり直したいよ…」

 サーキスは共感できるものがあった。


「ところで君はまた患者さんの臓器を視るだろうけど、まだ内臓の正常な状態と異常な状態をわかっていないと思う。患者さんと比べるのに自分の体は視ることができないと思う。それで比較対象にはリリカ君の体を使ってくれ」


「患者さんと比べる時だけね。あたしを視るのに許可はいらないわ。好きに視てくれていい。ただ勝手に宝箱の呪文を使われると、いざという時にあんたのマジックポイントが足りなくなるからやっぱりこちらの許可待ちって感じになるけどね」


「お、女の体を…」

 サーキスがうろたえているとパディが補足した。

「僕みたいなおじさんは臓器の色も形も悪くなってしまっている。決して僕の体の中は視ないこと。君が間違った覚え方をしないようにね。リリカ君は健康体だからいい教材だよ」


「あたしは人生の全てを医療に捧げているわ。気にしないで」

「し、仕方ない…。了解したぜ…」

「ところでサーキスっていつも変な喋り方だよね。敬語って喋れる?」

 サーキスは息を大きく吸ってからここぞとばかりに礼を述べた。


「俺は僧侶のサーキスです! 先生、足を治療していただいてありがとうございました!」

(ふっ、師匠の息子も全く敬語は使えないんだぜ! 驚け! すごいだろ!)

「ふーん」

「まあ、いいかな」


(俺の呪文のレベルはあれだけ驚いたのに⁉ これが普通の人の反応⁉)

 リリカはサーキスの敬語に反応を示さずに、仕事の段取りを言った。

「さて、サーキス、これから往診に行ってもらうから着替えて。看護師の服を用意したから」


「むー…。先生に付いて行くのは構わないよ…。でも看護師の服って…。俺はここで仕事を手伝うのはいいけど、心は僧侶なんだよね。やっぱりバシッと僧侶の法衣をまといたいところなんだけど…」

 リリカが青白いシャツとズボンを見せた。


「髪の毛を切る時も言ったけど、見た目ってやっぱり重要かなあ? いや大事だって俺もわかるよ。俺としてはどっちか決めかねる…」

 リリカがシャツを広げるとそれの胸の部分に刺繡ししゅうが施されていた。女神セリーンの刺繡だ。

「おおーっ⁉ セリーン様!」


 二枚の羽を生やした女神は杖を持ち、堂々としたたたずまいだ。背景には波しぶきを描かれるまでの凝りよう。サーキスはいてシャツを着替えた。

「こんな所で着替えないでよ、もう!」

「ズボンの方はセリーン様がお昼寝してるぜ!」


 右のふとももには三日月をベッドにして女神が眠る刺繡があった。

「俺もセリーン様を服に刺繡するなんて思いつかなかったぜ! 最高だぜ!」

(あんた達僧侶が看護師のシャツを着ないから、こっちは無い知恵を働かせたのよ…)


 僧侶の二言目にはセリーン様。リリカは僧侶のこういうところが大嫌いだった。

「前の人のおさがりでごめんね。でもちゃんと洗ってるから安心して」

 パディが言った。

「さてサーキス、行こうか! リリカ君はお留守番で残るよ」


 パディとサーキスは病院の外へと歩き出す。パディは白衣だけを着て手ぶらだった。

 サーキスが空を見上げると、今朝の雨雲も嘘のようになくなり、太陽がさんさんと輝いていた。初夏の風が心地よい時期だった。


「でも、往診って何で? その患者さんは病院に来れないの?」

 二人は並んで道中を進む。

「いい質問だね! 今日の患者さんはトマーシュ・クロッカス君、十六歳。昨日、リリカ君と一緒に家まで診に行ったけど、歯が痛くて動けないんだって。普段は土木のお仕事をされてるそう。こほっこほっ…」


「先生ってたまに小さい咳をするよね? どうしたの? 風邪にも見えないけど?」

「ははは…。こほっ…。おじさんという生き物はよく咳をするものなんだ。気にしないで」


「ふーん。…でも、歯が最高に痛いと動けなくなるよね! 俺の師匠も昔、虫歯が痛いって言い出してね! どうしようもないから麻痺スタンの呪文で動きを封じて俺が歯を抜いてやったことがあるよ! ペンチで抜いたんだけどすっごく硬くて! 足で顔を踏んづけてやっとのことで抜けたよ! 兄弟子達も大笑いしてた!」

「師匠ってどんな人? 名前は?」


「…え? えっと…。何で?」

「もしかしたら僕も会ったことがないかなって思って」

「親っさん…、俺の師匠が仮に先生の所に患者として来てもたぶん偽名を使ってると思う。体は熊みたいにでかくて左の頬に五センチぐらいの刃物傷がある」

「僧侶なのになんで顔に傷が残ってるの?」


「師匠は昔、暴漢に襲われてる人を助けたらしい。でもその時に師匠は風邪みたいなのにかかってて。暴漢は刃物を持っていたけど師匠は傷付きながらも、そいつらをやっつけた。で、風邪で声も出ないまま十日も寝込んじゃって。風邪が治って起きたら頬の切られ傷は塞がってて、そのまま古傷として残ったんだって」


「へえ…。そんな特徴的な人なら一目見たら記憶に残るよね。やっぱり会ったことないな…。ごめんね」

「いや、いいぜ! 捜索サーチの呪文でだいたいの場所はわかってるし。今はロシア辺りにいるよ。何でそんな所にいるかは不明」

「ふむ。話が戻るけど、君は歯は全部あるかい?」


「あ、二本無い! 上一本、下一本! 師匠とその息子に殴られて一本ずつなくなったぜ!」

「回復呪文で生えてこなかった?」

「うぉ⁉ そんなことを考えたこともなかったぜ! 思い返せば、俺の歯が抜けてすぐに回復呪文をかけられたけど歯が生えなかった! 師匠の歯を抜いた後も歯茎の治療のために回復呪文をかけたけど、歯は生えて来なかったぜ!」


「よろしい。さあ、そろそろクロッカスさんのお宅だ。粗相そそうの無いように」

 病院から歩くこと十五分。二人は古い二階の木造建ての家に着いた。パディが玄関で声を上げる。

「クロッカスさーん! ライス総合外科病院でーす!」


 中年の女性が戸を開けた。本日の患者の母だ。肩に垂らした三つ編みがよく似合う人だった。

「あらあら、どうもこんにちは。どうぞ上がってください」

 トマーシュの母に促されて、二人はよく掃除された部屋の中を通り、二階へ上がる。二階は北窓で薄暗かったが、タンスの上に瓶詰のランプのようなものが輝いて部屋を照らしていた。それは青と白が入れ替わるように幻想的に輝いていた。


(魂の器だ!)

「トマーシュ君の部屋はこの奥でしたね」

「どうぞ」

 パディはランプのような物を一瞥いちべつしただけで通り過ぎようとしている。

(え⁉ 何その反応⁉ 昨日これを見ただろうけど! これが何かわかってるのか⁉)


「ちょっと待って先生! ここにあるのは魂の器だよ! わかってる⁉」

「な、何のこと言ってるの?」

 トマーシュの母は笑って言った。

「そうそう、あなたは僧侶なのね。これが何かわかる人は久しぶり。私も旦那の死体って忘れてるね。綺麗でしょ?」


「そうなんだ、先生! これは死体なんだ!」

 パディは驚いて声も出ないようだった。母が説明した。

「先生、魂の器は完全復活レザレクションの呪文が失敗してできる物なんです。えっと失敗する確率は…いくつだっけ…?」


 サーキスが素早く補足した。

「成功率九十五パーセント。失敗する確率は五パーセント。術者の信仰心とは関係なく。ちなみにもう一回、完全復活レザレクションをかければ生き返る。それも五パーセントは失敗する可能性がある。今度失敗したらこの世から消滅する」


「さすがですね。この旦那、仕事はしない飲んだくれでしてね。それも酔って私達に暴力をふるってたんですよ。でも三年前のある日、旦那は酔っぱらってそこの階段で転んで頭をぶつけて死んじゃったんです。私は慌てて寺院に運んでもらって完全復活レザレクションをかけてもらいました。そしたら失敗して魂の器になっちゃった…」

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