第10話 初デート(2)

「でもファナはそんなの何か思わないの? 嫌がらせされてる所の人と友達って窮屈じゃないか?」

「別にー。私はリリカ好きだもん! かわいくて面白い!」

「ふーん…」


 二人は通り道にライス総合外科病院を横切って南へ歩いた。

「内緒だけど、リリカはパディ先生のことが好きなんだよ! 言ったら駄目だよ!」

「そうなんだー…」


(しかし、パディ先生は婚約者がいるんだよな? でも、その婚約者とも五年以上離ればなれ…。ま、いっか。リリカのことなんか。俺はファナなら止める! あの眼鏡のおじさんはハゲの人に偏見を持っている悪いお医者さんだ、目を覚ませファナ・リアム・ブラウン! ここでビンタぱしーっ)


「ん? どうしたの?」

「別に」

 最後の卸先おろしさきのパン屋に着いた。見上げる看板にはニルバーナベイカリーと書いてある。入り口には二十五歳前後のハンチング帽をかぶった青年が誰かを探すように待っていた。二人に気が付いた青年はファナに声をかけた。


「あ、ファナさん!」

「お待たせ、フレッドさん! ご注文のトマトだよー。遅くなってごめんねー!」

 フレッドと呼ばれた青年は容姿端麗で薄い唇に大きな瞳。街を歩けば女性の視線を独り占めすることだろう。それぐらいの美形だった。


(うぅっ…。顔で負けてる…。いきなり強敵が現れた…。どうしよう…)

「ファナさんありがとう。ところでその人は…」

「アルバイトだよ! 名前はサーキス!」

(アルバイト⁉ これがデートじゃないとは薄々感づいてはいたが、面と向かって言われたら傷つくぜ…)


「お、俺はサーキスだぜ…。よろしく…」

「こちらはパン屋さんのフレッドさんだよ! サーキスが昨日食べた食パンを作った人だよ!」


「おおーっ! あのうまいやつ! あんたの作ったパンは最高にうまかったぜ! 世界一のうまさだ!」

 サーキスが握手を求めるとフレッドはよほど照れたのか真っ赤な顔で応えた。

「あ、ありがとう…」


     *


 十一時頃になると、サーキスは宿屋で体を洗って着替えてから病院へ行った。

「ちわーっ。モグモグ」

 パディとリリカが目を輝かせてサーキスに寄り添い、感想を聞いた。

「どうだった? 畑仕事は楽しかった?」

 サーキスはトマトをかじりながら答えた。


「モグモグ…、おう。楽しかった! 俺からすれば軽作業だったぜ。ファナとも色々話せたよ。結核の薬の話も聞けて面白かった。二人が言ってた通り、ファナはお喋りで喋りやすいぜ! それから給料の代わりに少しばかり形の悪いトマトをたくさん貰ったぜ! モグモグ」


 そう言う彼の脇にはトマトがいくつも入った木箱があった。サーキスがパディにトマトを一つ渡してあげた。

「ありがとう。僕は基本的に野菜しか食べないんだ。ブラウンさんのトマトはやっぱりおいしいね」


「ファナと仲良くできたみたいでよかったわ! あんなかわいい子はほっとけないでしょ! こうなったらもう師匠を探す旅もしなくていいんじゃない? ウフフ!」

 これからの病院の経営を楽観していた矢先だった。二人がほっこりした顔で安心しきっているとサーキスがぼそりと言った。パディ達が聞きたくない言葉だった。

「カスケード寺院…」


 パディ達の笑顔が急速に後退して行った。

「何かおかしいと思ったら、ああいう寺院があるんじゃねえか。…モグ、おかげで僧侶さん達がここに居つかないって。そういうのって先に言った方がいいんじゃないの? …モグモグ」


「たった二日でバレた!」

「あ、あの、カスケード寺院のせいだけじゃないのよ! 僧侶さん達は色々事情があるの! えーっと…、ほらほら! トマトおいしいでしょ! ファナの家も近くてここはトマト食べるのも最適よ!」


「モグモグ。それだといちいち病院で働く必要もないな。このままファナの家で働くってのも悪くないぜ。俺は農業の素晴らしさに目覚めちまったぜ。僧侶とか病院で手術とか責任重くなくねえ? ファナとお喋りしながら楽しく畑を耕したいぜ! モグモグ」


 二人は眉間にしわを寄せて困り果てている。

(いいぞいいぞ。困ってるな。さあ、俺がここで働く理由を示してみせろ!)

 パディ達はサーキスから離れて秘密の会議を始めた。

「リリカ君、ファナ君に口止めしておかなかったのかい⁉」


「言うのを忘れてました! で、でも、あの子に口止めしても無駄ですよ! お喋りだからすぐに喋ります!」

「そもそもサーキスをファナ君と会わせなければよかったんじゃないの⁉」

「先生も賛成してたじゃないですか⁉」


(聞こえてるし。グダグダな作戦会議だな…。俺がここで働くメリットを言えないのか? 俺が期待しているのはもっと単純な…。というかトマトの味に飽きてきた)

「トマトうまいけど、ずっと食べてたら飽きてきたぜ。何かいいドレッシングないかな…」


「マヨネーズでもかけたらいいんじゃない?」

 パディがパッとそんな提案をしたが、二人にはそれが何なのかわからなかった。

「何それ?」

「聞いたことありません」


「あ、ここの国にはマヨネーズはないんだ。ああ、僕はコレステロールが高いものは口にしないから…。塩は、あるか。リリカ君、サラダ油と玉子ってある?」

「油はありますけど、玉子はないです。ちょっと買って来ますね!」

 リリカは自分の部屋へ行って財布を取ると颯爽と買い物へ出て行った。


「リリカ君のいいところってああいうフットワークの良さなんだ! 彼女みたいな働き者と仕事ができて僕は幸せ者だな! 君もそう思わないかい!」

(いまいち響かないぜ)

 その後もパディが病院の良さなどを一生懸命語ったが、サーキスから見たパディのその姿はただの泥沼だった。


「ただいま帰りました! そこでフォードさんとお会いしまして、せっかくだったのでお連れしましたー!」

 ハゲ親父がリリカの後ろからステッキを片手にやって来た。太った腹に相変わらずタンクトップに膝までの半ズボン。金は持っているように思われるが、服装に頓着はないようだ。


「こんにちは、パディちゃん! 何か面白いもの作るんだって⁉」

「ごきげんようこんにちは…。こほっ…」

 パディが眉をひそめてあからさまに嫌そうな顔をした。

「パディちゃんがそんな態度じゃ家賃を上げたくなるなぁ…」


「めっそうもないですよ! さあ、今日はマヨネーズの作り方をお教えします!」

 材料は玉子と塩と油のみ。道具は木製のボールとスプーンだけを用意した。

「ボールに割って玉子を落とし、塩を入れて油を少々混ぜてかき混ぜます。…っていうか僕はマヨネーズなんか作るの初めてだった。確かこれでよかったはず…」


 パディがしばらくボールを混ぜるとふんわりとした黄色い半固体状の物が出来上がった。

「できた。たぶん。では皆さん、スプーンを取って舐めてみてください」

 味見をした全員が驚いた。

「う、うまい!」 


「何て言うか酸味があってとろける味です!」

「トマトに付けて食ったらうまさ倍増! すごいぜ先生!」

 皆が舌鼓をうつ中、パディ・ライスは自分が作ったマヨネーズを一切口にしなかった。

「これは商品化できそうだな…。パディちゃん、このマヨネーズっていうのはまだ改良の余地はあるのか?」


「さっきも言いました通り、僕がマヨネーズを作るのは初めてです。僕にはこれ以上の作り方は知りませんが、改良の余地は十分ありますよ。まだまだ美味しくなります!」

「よろしい。少しこれは持って帰る。食品会社のセダムさんと相談だ」


 フォードはそう言うとホクホク顔で帰って行った。彼を見送るとパディは一安心という顔をした。

「帰ったか…。あ、それからサーキス」

「何?」


「さっき農業は医療と比べて責任が軽い、みたいなことを言ったな。違うぞ! 食べることは生きること。人様の口に入る物を作るというのは生命を預かることと同じことなんだぞ!」

「うっ…。う…。それはファナ達に失礼だったぜ…。猛省する、心の底から謝りたいぜ…」


「まあいいだろう!」

(さすが先生! とりあえず危機を避けたわ!)

 パディ達は危機を脱した。

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