第9話 初デート(1)

 吹きさらしの雨の中、サーキスはフード付きのレインコートを着込んで畑の上でトマトの収穫をしていた。ヘタまで赤くなったトマトをもぎって籠に入れる作業だ。

 素人目には収穫の判断が難しかった。すぐそばにはやはりレインコート姿のファナがいる。一応、二人っきりではある。


(デートって騙された! 何かおかしいと思っていたぜ!)

 彼女の職業も訊いていなかった。雨天決行と聞いておかしいと気付くべきだった。浮かれていたサーキスは自分を恥じた。


(出会ってすぐの女の子ととんとん拍子でうまくいくはずなんてなかったぜ!)

 ファナの方は本当に雨が降ると思っていなかったらしく、すこぶる不機嫌だ。雨で味が落ちるだの、実割れするだのぼやいていた。

 ファナも喋らないで黙々と仕事をしているので、サーキスも自分自身のことを考えるいい機会だと思った。


 これから旅を続けるにしても街の外のモンスターは強い。今までは相棒のカイルがいたから何とかやっていけたが、一人では太刀打ちできないことも増えるだろう。それにまた何かの病気に襲われるかもしれない。一度、パディのような医者と出会ってしまったら、この街から離れる恐怖は計り知れない。しかし、師匠にも一目会いたかった。できることなら生きているのか死んでいるのか、それぐらいは確認したかった。


 ここは病院から西に十分ほど歩いた場所。見渡す限りのトマト畑、近くには二階建ての木造の家がある。造りは古いが、二、三世帯は住めそうな屋敷と言ってもいいほどの大きな一軒家だ。そこがファナの家らしい。


 青々と茂るトマトの葉の向こう側でファナが真剣な表情でトマトの実をもぎっている。まだあどけなさが残る少しだけ膨らんだ頬。大人になりかけの彼女の横顔は愛らしかった。サーキスが手を動かしながら、チラチラとファナに目をやっていると、彼女は唐突に大声で言い放った。


「チラ見禁止っ!」

 同時にサーキスのフードが風で飛ばされ、激しい雨に打たれた。チラ見さえも禁じられた、彼の人生初デートは過酷そのものだった。

「…しょうがないなあ。トマトをもぎりながらでも話をしよっか。サーキスは『連作』って知ってる?」


「何それ?」

「やっぱり知らないかー。野菜って土の養分を吸うんだよね。それで同じ畑で野菜を植え続けると土の栄養がなくなっちゃうの。それが連作。一旦は野菜作りは休止して土は休ませないといけないんだよ。そこまで栄養を奪った野菜を人間様が食べる、そりゃ栄養満点だよね! でもでも! ここではなんと続けて野菜を作っちゃうよ! ちょっと足元の土を蹴ってごらん!」


 サーキスが土を蹴って薄い穴を開けるとミミズがぞろぞろと出て来た。

「うわっ! ミミズ!」


「そう! ここには防御力アップの呪文をたくさんかけられててミミズや微生物が寄って来るようになってるんだよ! 考えたのはパディ先生! 昔、突然やって来たパディ先生なんだけど、うちのばあちゃんに断りを言って魔法使いと僧侶を呼んでここにありったけの呪文をかけたの! 回復呪文とか攻撃呪文とか!


 時には畑が燃やされたり、凍ったりしたよ! だから、ばあちゃんが、『先生! 土を少しやるからよそで実験しておくれ!』って言ったら、『あ、そっか』だって! 頭いいのか、馬鹿なのかわからないよね! それでパディ先生は結果的に防御力アップの呪文は細胞などを活性化させる働きがあるっていう発見をしたんだよ!


 外国の人は発想がおかしいよね! リリカが言うには顕微鏡っていうのを使ってチマチマ見てたらしいよ! で、頭チュルチュルのおじさんが何をしたかったかと言うとここの土で結核の薬を作りたかったんだって」


「結核!」

「そう! 先生は薬の専門じゃないから人に作らせたらしいけど、ちゃんと出来上がって普通に街で使われてるよ。名前はスト…、スト…スト? 何だったっけ? 忘れちゃった。私の両親は二人とも結核で死んだんだ。でも、薬ができたおかげで私みたいな思いをする人が減ったんだよ。だからすごく嬉しかったね…」


(ファナの今の顔は家族の死を乗り越えた顔なんだ…)

 サーキスがしんみりしているとファナが注意した。

「ほら、手を動かす!」

「は、はい! …でも、防御力アップの呪文って効果が短くない?」


「チッチッチッ! 一回使ったら寝るまで持続する、恒常的な保護オルシールドの呪文があるでしょ? ちょっとしか防御力が上がらないやつ。土に栄養が一日中入って、その間にミミズや微生物が寄って来て土壌を豊かにするの! 定期的に呪文をかけてたら畑の土が痩せることはないんだよ! これで連作もオッケー!」


「おおー!」

「これはスレーゼンの街で多くの人に知られて、農家はお金を払って僧侶さんに畑に恒常的な保護オルシールドの呪文をかけてもらってるよ。おかげで麦とか綿花とかすっごく育つようになった! もう不作の年なんかありえないよ! …って、よかったら後でサーキスも畑に呪文をかけてくれない?」


「いいよ! お安い御用だぜ!」

 二人は収穫した数十キロのトマトを家の中の作業場へ運んだ。それから、選別して一キロごとに木箱に並べるとリヤカーに乗せる。

「ごめんね、サーキス急がせて! 私は時間の調整やっぱりヘタだよ! 昨日のうちにもうちょっとやっておけばよかった! 私の悪いところだよ。ははは!」


 サーキスがリヤカーを引き、ファナが道を案内した。

「九時までに大口の八百屋まで持って行かないといけない! 私のばあちゃんが腰を痛めてねえ…。それと時計なんて考えた人が憎いよ! 何年か前からスレーゼンには時計台なんてのができて誰かが鐘を鳴らすんだよ、一時間ごとに! 何を見て鳴らしているのかわからないけど、正確なんだよこれが! おかげで仕事が忙しくなった! スレーゼンの文化侵害だよ!」


 石畳で舗装された道は水はけも良く、リヤカーを走らせることも簡単だった。サーキスの足の速さにはファナも驚き、喜んだ。八百屋にトマトを納品すると、後は小口の料理店などにトマトを納めた。


 積み荷のトマトも少なくなり、雨も上がった頃、サーキス達が巨大な建物の前を通りかかった。二階建てながらその建造物の幅は五十メートルほどはある。見上げれば凝ったデザインの玉ねぎ状の尖った屋根がいくつもあり、そのたたずまいは威厳に満ちていた。門扉には女神セリーンの像があり、それを見たサーキスが言った。


「ここってセリーン教の寺院だよね?」

「そうだよ! カスケード寺院って言うんだよ! 僧侶の数はなんと約二百人!」

「ええ⁉ 何でここには僧侶がいっぱいいるのにパディ先生の病院には一人も僧侶がいなかったの⁉」


「ま、カスケードっておじいちゃんの仕業だね。ここはその昔、ガルシャ王国の内乱を食い止めた英雄的な寺院なんだよ。そしてライス総合外科病院を目のかたきにしてるんだよー!」

「もしかして営業妨害なんかしてるの?」


「そんな感じだよね! カスケード寺院は治療とか蘇生で成り立ってるんだけど、おふだとか病気の魔除けとかも売ってたの。で、五年とちょっと前に突然パディ先生が現れてそんなのがただのまやかしってバレてさあたいへん。信者のお布施が激減しちゃった。カスケード寺院のボス、ミッド・バーツ・カスケードっていうおじいちゃんは激オコ!


 凄まじい敵愾心てきがいしん丸出しでライス病院にだけ注力して嫌がらせするよ! ライス病院は人を切って金を稼ぐ邪教の病院みたいなことを信者に言いふらしたり、ライス病院で働く僧侶さんに高いお給料をちらつかせてオファー、引き抜きしちゃったりとかね! ライス病院で今まで辞めた僧侶さんの人数はこの五年ちょいで十人! あの病院、サーキスは十一人目の僧侶さんだよ!」


「えええー⁉ マジか⁉」

「ええーっ、マジだよ!」

(ナタリーおばさんが言いかけた、あいつらが隠していたのはこういうことかあ…。先生達は目が泳いでいたもんなあ…)

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