第8話 歓迎会
「サーキス起きてー」
まだ日も落ちない頃、サーキスはリリカに起こされた。二階の病室から窓の外を見たサーキスが言った。
「何だよー、まだ夕方だろ…。むにゃむにゃ…」
「お小遣いをあげるからあんた今から髪を切って来なさいよ」
リリカはサーキスの伸び放題の髪を指摘した。
「はぁーっ⁉ お前は俺の髪型に意見するわけ? 仮に俺がここで働くとしても見た目で人を判断する患者なんか治したくないぜ。ま、これが看護師っぽくないとはわかるけど、ぼうぼうの髪の方がむしろ僧侶っぽいって思うぜ。人に合わせてスタイルを変える生き方って…」
「後であんたの歓迎会をするわ。あたしの友達も来るわよ。あたしと違ってすっっごくかわいいの! あの子はそんな風来坊みたいな頭は好きじゃないわ。短い方が好みみたい」
「え? じゃあヒゲは?」
「ヒゲの話は…したことないけど…。たぶんない方がいいわね」
「ふーん…。実はちょうど切ろうと思ってたんだ…。あ、小遣いはいらないぜ。フォードさんから貰ったのもあるし」
「ところで旅をしてた人に訊くのもなんだけど、あんたって彼女いるの?」
「い、いないぜ…」
「どれくらい彼女いないの?」
サーキスはここで嘘を言って取り
「いたことないぜ…。俺は彼女いない歴、年齢」
「へえ。普通にいそうだけど?」
馬鹿にされると思っていたが意外な反応だった。
「俺は女と話すのが苦手なんだ…」
「あたしとは普通に喋ってるじゃない?」
「お前とは女と話している感じがしない」
「あ、そう! とっとと髪を切って来なさい! しっしっ!」
(正直に言ったら怒らせたぜ…)
*
サーキスがパディに連れられて行った先は小さな食堂だった。ナタリー食堂という看板をくぐると太った中年女性が二人を迎えた。
「あ、パディ先生こんにちは! あれ、男前のお兄さんと一緒だね」
金髪の頭の横と後ろをすっかり短くしたサーキス。前髪は少し残して流すように整えていた。
「こんにちはナタリーさん。彼はサーキス。僧侶です」
「へえ! 新しい僧侶さんだね! あたしはナタリー! 先生、僧侶が見つかってよかったね! あたしがまた病気したらよろしくね!」
「そうなんですよ、ナタリーさん! うちで働く僧侶が見つかって僕も嬉しくてたまらないですよー!」
「いや、俺はまだ決めたわけでは…」
(何か姑息だぞ、この先生)
それから遅れてリリカがやって来た。
「ナタリーおばさんこんにちは!」
足首まである長い青いワンピース姿。彼女によく似合った服装だった。リリカはサーキスの髪型に気付いた。
「あ、サーキス! いいじゃない! あんた髪切って爽やかよ!」
「ど、どうも…」
リリカが席に着いた。四人掛けの丸いテーブルだ。 太ったナタリーが野菜スープを三人に出す。
「先生には専用の特製だよ! こんな薄味をよく飲めるね! 先生だけに作るのも面倒くさいんだけどね!」
「はは、すみません。どうも」
それからウインナーの大皿をテーブルの中央に置いた。サーキスが周りを見渡すと壁にいくつも絵画が飾られているのが見えた。山や草原の風景、家族の肖像画やお年寄りの絵、ヒマワリや百合の花まである。
「絵はナタリーおばさんが描いたのよ。上手よね」
「はっはは! あたしの趣味だよ! 若い時からのね。たまーに物好きが買って行くね! よっこいしょっと」
ナタリーは仕事中であるのにも関わらず、勝手に席に座った。他にも客は五、六人ほどいる。
「具合が悪いんですか?」
パディがナタリーに訊いた。
「いやいやとんでもないよ! 何ともない! ちょっと仕事をさぼってるだけ。あっ、僧侶のお兄さん、あたしは一度パディ先生に手術してもらったことがあるんだよ」
「へえ!」
「もう何年も前から左手がね、しびれて握力がなくなっていったんだ。あたしは左利きでね。弱った握力は握った物をたまに落とす始末さ。仕事はもちろん、好きな絵も描けなくなったよ。体もだるくてねえ。寺院で回復呪文をかけてもらったけど全く治らない。
途方に暮れていたら突然パディ先生が現れたんだ。五年半前のことだね。治してもらったよ。本当に体が全快したよ。あたしからしたら奇跡だったね。きっと女神のセリーン様が先生を遣わせてくれたのだと思ったよ。
あたしはセリーン様が好きで寺院にはお祈りによく行ってたけど、カスケード寺院がパディ先生の文句を言い出してねえ…。それから寺院に行くのが遠のいちゃった。あたしは信仰は人それぞれでいいと思うんだ…」
「え? え? どういうこと? 先生がおばさんのことを治したのはわかったけど、カスケード寺院って何それ?」
「おばさん、言ったら駄目ですよ!」
「し、知らなかったのかい⁉ それは失礼したよ! さて仕事に戻ろう!」
ナタリーは慌てて席を立った。
「な、何なの、カスケード寺院って?」
「あれ? 何だったかな? こほっこほっ。…ところでファナ君遅いなあ…」
「そ、そうだった。女の子が来るんだった…。き、緊張するぜ…。リリカにも言ったけど俺、女が苦手なんだ。先生、何を話したらいいのかな?」
「大丈夫。ファナ君はお喋りだから普通にしているといいよ」
「そうなのか…」
(先生ナイスよ! うまくごまかしたわ!)
少しして女の子がやって来た。明るい栗色の髪の女性だ。
「こんにちはー! あなたが僧侶⁉ へえ! 僧侶って若い人がいるんだ! おじさんばっかりって思ってた!」
サーキスは驚いた。ショートボブにフリル付きの白いTシャツ。大きい瞳に顎に小さいホクロ。胸が大きく、身長も高い。午前中に見た女性だ。
「私はファナだよ! よろしくね!」
天真爛漫、青空の下にいっぱいに咲いたヒマワリのような笑顔だった。
「お、俺はサーキス…。き、君は見たよ…。何か、歌を歌ってた…」
リリカは思った。
(君って。あたしと態度が全然違うじゃない。…まあ、いいけど)
ファナは笑いながら手にしていたバスケットをテーブルに置いて席に着く。そしてナタリーに向かって手を上げた。
「ナタリーおばさーん! 私、オレンジジュース!」
ファナはサーキスに向き直って言った。
「恥ずかしいところを見られたね! あれは役所に税金を払いに行った後だったよ! たはは! ファッキン♪ 税金♪ ファッキン♪ 税金♪ ぜーんぜんラブじゃなーい♪ 私の財布に優しくない♪ イベントー♪ ちゃらららー♪ らららー♪ 私が自作した税金の歌だよ!」
パディとリリカが笑った。サーキスもつられて笑う。彼は少し緊張も解けたようだ。リリカがファナを紹介した。
「サーキス、この子が友達のファナ・リアム・ブラウンよ。十七歳」
「すごい名前だね…」
「ちょっとリリカ! フルネームは言わないでよ、もう! いい所のお嬢さんって思われるでしょ! ばあちゃんの時はそうかもしれないけど、今は落ちぶれてるよ!」
「いいじゃないの」
「それから服がこのままなのは油断したよー。家に帰って作業着に着替えてまたこの服で来たから、私がずぼらなところが丸見えだよね! 何か着替えてくればよかった! ちなみに私はもうすぐ誕生日で十八歳になるよ!」
(本当によく喋る人だな…)
リリカが言った。
「あたしはビール飲もうかな? サーキスもビールでいい?」
「ああ」
「ナタリーおばさーん! ビールを二つにグリーンティーを一つ!」
リリカは思慮深い顔で続けた。
「サーキスも酒を飲むのね。セリーン教の戒律ってよくわからないわよね」
「まあね。俺の寺院じゃ禁止されていたけど、勝手にみんな飲んでたぜ。…ファ、ファナは飲まないの?」
「うん! 苦くておいしくないもん! 先生もリリカが見てる時は飲まないんだよ!」
「僕はほとんど酒は飲まないね」
ナタリーがドリンク類を持って来た。他にマッシュポテトにキノコ、ベーコンを乗せた中皿もテーブルに置いた。ファナがコップを持って音頭をとる。
「それではスレーゼンにやって来たサーキスにかんぱーい!」
四人が乾杯してそれぞれのドリンクを飲んだ。ファナが言う。
「あのねサーキス、聞いた? パディ先生って魔法をかけられてスレーゼンにやって来たんだよ!」
「え?」
「パディ先生は本当は外国の人なんだけど、悪い魔法使いのせいでこのガルシャ王国まで飛ばされて来たんだ! そのショックで記憶がなくなったんだって! 自分の国がわからなくなったからここに住んでるんだよ! 五年半前のことだよ! 急に知らないおじさんがやって来て近所で病院を始めたからびっくりしたよ! ちなみに先生は自分の国で婚約者がいて、結婚する数日前にこっちに飛ばされて来たんだって! 先生の婚約者は置いてけぼりみたいだよ!」
「いきなり情報が多いぜ。メモしたいよ…」
「あはは! それと先生とリリカは病院に住んでるんだよ! 仲良しだよね! 手術室の隣が先生の部屋でその隣がリリカの部屋なんだよ! …あ、サーキスって何でパディ先生の病院に来たの?」
「たまたまここに来て足を治してもらったんだ。普通に歩けないぐらい痛かったけど、今はおかげさまだぜ」
「先生って何でも治すからすごいよね! …で、サーキスはずっとライス病院で働くんだよね?」
「あ、あの俺は…」
サーキスが言いかけるとパディ達が芝居かかった声で言った。
「駄目だよファナ君! サーキスは生き別れた師匠を探すという
「ずっとうちで働いて欲しいけど引き止めたら駄目よ、ファナ!」
(こ、こいつら汚い!)
「ええーっ。私はせっかく知り合えたんだし、サーキスにはスレーゼンに住んで欲しいなあ」
さすがのサーキスもこの場面は勘違いしてしまいそうになっていた。ちらりと横に目をやるとパディとリリカが余裕の表情で改めて乾杯している。ファナが思い出したように言った。
「あ、そうだ! 私サンドイッチ作って来たんだった! サーキス、食べて!」
「おやおやファナちゃん!」
ナタリーが注意した。
「うちは持ち込み禁止だよ!」
「ごめんごめん、ナタリーおばさん! 今回だけだから!」
「しょうがないね」
ファナがバスケットを開くと白いパンに野菜やハムを挟んだ食べ物がいくつも並んでいるのが見えた。サーキスが初めて見る食べ物だった。
「ファナ、何これ⁉ 白いパン⁉」
「そうだよ! 私が食パンを買って来て三角に切って具材を挟んだんだよ! すごいでしょ!」
「すごい…」
この頃のヨーロッパでは丸くて硬いパンが主流だった。それも直接、口に入れるのも考えるほどの硬さだ。サーキスは断りもなしにサンドイッチを一つ手に取った。
「柔らかーい!」
彼が手に取ったサンドイッチの食パンはそもそも普段食べている物と製造方法が違っていた。
「食べていいの?」
「サーキスのために作って来たんだよ!」
「ありがとう!」
サーキスは大きな口を開けてサンドイッチをほお張った。イメージ通りパンの柔らかい口当たりが広がる。ハムや野菜のミックスされた味も心地よかった。
「おいしい…」
「バターもたっぷり塗ってあるからね! 作り方はプロに聞いたんだよ! えっへん!」
サーキスが夢中でサンドイッチを食べていると三人が覗き込むように笑顔で見ていた。
「おいしい…」
それからファナが声を上げた。
「ああ、そうだ! サーキス明日、私とデートしよ! 先生、サーキスを午前中だけ貸してよ! 雨天決行! 雨が降ったら先生からカッパを借りてね!」
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