04.とぼとぼぼっち姫


「な。なによ、……ほとんど人さらいなのになんでこんなに喜んでるのよ……」


 気付けば、すでにマグライトの馬車の姿は遠くに離れていた。


 人混みに押し出されてしまったレベッカは困惑しているが、先程まで周りにいた野次馬はすでにレベッカのことすら忘れたかのように行商人に群がっていく。


「――さすがは王立聖家ね。娘一人買い上げるのに専属のパスまで差し出すなんて」


 レベッカに近付いてきたのは、この地域では珍しい召し物をした女性と、明らかに執事という風貌の男性だった。聖都の人間からすれば明らかに浮いている格好をしているが、レベッカには記憶に新しい出で立ちである。


「キモノ姿ってことは、今度なオービの貴族ってこと?」

「ええ、そうよ。ゲーナインのレベッカさん。ワタシはオービのムラサキ=ブシキ。ワタシもあなたとマグライトと同じく、今日の式典に呼ばれたの」


 レベッカがあからさまなため息を漏らす。


 自分ひとりが特別だと、つい数分前まで思い込んでいたレベッカにとって、立て続けに同じ立場の人間に出会うということに辟易していた。


 もっとも、何も知らないまま空中庭園にたどり着いていれば、自分以外の127人と対面して、より心を抉られることを考えれば僥倖であるはず――が、そんなことは今の彼女が考えつく余地はない。


の中身を見なかったことは、ワタシからしたら、あなた幸せよ。何も疑わないままここまで来たのなら、もうからね」

「回りくどいわね。何がいいたいのよ」

「田舎者は骨がないってことよ。あなたが残ってくれることを願うわ」


 そう、言い捨てたオービの貴族はニヤニヤとしながら従者を連れてレベッカを後にした。


 歩いて向かっている方向はレベッカと同じく、目的地は空中庭園だろう。


「何よ。歩いてるんならあなただって田舎者じゃない……クソが」


 イライラは最早通り過ぎ、逆に力が抜けていく。疲労が一気に押し寄せてきたことで、レベッカはすごく寂しい気持ちが溢れてきた。


「……帰りたい」


 そう漏れるほど、急激に押し寄せるホームシックに泣きそうになっていた。


 空中庭園に向かう足取りも重く、急に落ちた気持ちを上げることが難しい。


 承認欲求が強く、特別だと思いたかったレベッカだが、自分が128人のうちの一人ということは、その中で認められるためにはより高みに行かなければならない。


 モチベーションの低下が、128人の中でということを高い壁のように押し寄せてくる。




「――あっ。ごめんなさい」




 トスンと、レベッカの身体に小さい何かがぶつかってきた。


 あまりにも軽い衝撃に、一瞬何がぶつかったかわからなかったが、ぶつけられた方向を見ても、何がぶつかったかわからなかった。


「ぶっ、ぶつかってしまってごめんなさい」


 レベッカのスカートの影から、小さな女の子が出てきた。身長がレベッカの半分くらいしか無い子供で、全身を煤や埃にまみれた、みすぼらしい格好をしていた。


「あっ、お洋服汚しちゃった。どうしよっ……」


 明らかに怯えている。


 彼女の格好を見れば、恵まれていないということは一目瞭然だった。


 小さな路地裏から飛び出したのだろう。なら、この子は聖都に住み着く貧困層なのかもしれない。


「汚した? ああ。もういいのよ。だって、すでに泥だらけだし」


 本来のレベッカの性格なら、相手が子供だろうが老人だろうがお構いなしに暴言でまくし立てていただろう。


 だが、今の自分は、眼の前の子供と変わらないほどみすぼらしいと感じていた。


 召し物の質が違うだけで、どちらも全身汚れている。なら、ぶつかってより汚されようが、大して変わらないのだと。


「今度からは気をつけなさいな。他の人間は、あなたなんて許さないかもしれないのだから」


 綺羅びやかな聖都。その繁栄の影に隠れた貧困の者たちを、裕福な人間は救うだろうか。


 先程のマグライトのように、さらっと大金を出すような貴族はきっと聖都にはたくさんいるはず。


 だが、子供が貧しい生活をしているという事実を、レベッカはすでに知ってしまった。


 自身の故郷にすらいない人種。もしかしたら知らなかっただけで、ゲーナインにもこの子のような貧困層がいるのかもしれないと思うと、心がより辛くなっていた。


「ところでさ、今何時かわかる? 聖都に来てからまだ一度も時計を見ていなかったのだけれど」

「時間? それなら……そろそろお昼の2時頃だと思う。ほら、太陽があそこにいる」


 少女は空を指差し、太陽の位置を示した。まさかの日時計とは、と内心嘆いたレベッカだったが、集合時間が迫っていることがわかっただけ収穫があった。


「ありがとう。私はもう行くわ。今度から飛び出るときは合図なさい」

「え? あ、ありがとうございます」


 少女に意味のわからないアドバイスをし、レベッカが空中庭園へと歩みを再開した。気持ちは未だ上がらない様子ではあったが。






 ――近くの路地裏で、着物姿の女性が何やら浪人と取引をしている。


 浮浪者に銀貨を1枚差し出すと、嬉しそうに受け取った浮浪者は足早に移動していった。


「お嬢様、あのような者に託してよろしいのですか?」


 傍らに立つ執事が口を開く。


 今の浪人で10人目。それぞれに別々の指示を出し、それぞれが前金の銀貨1枚を受け取り、報酬の金貨1枚を受け取るために聖都の各地へ散っていく。


「いいのよ。種は適当に巻いていても、適当に芽吹くわ。そうね、2割位動いてくれれば、計画は進めきれる」


 浮浪者を金で雇い、何かを企んでいる様子だが、これから式典が始まるというのに、何を仕出かそうとしているのか。


「聖都の国王は時間にうるさいと聞くわ。進行が遅れることは許されない。なら、近衛兵や役人は躍起に成って進行するわ。もちろん聖都は平和よ。ここ数年、暴動は無いわ。でも、それ故にには弱いはず。適当に火種を作ってくれればいい」

「それを程よいところで目立って止めれば、思考停止している平和ボケの聖都の貴族たちをパトロンにする、と」

「ええ。今回の式典も、ほとんど貴族のお遊びよ。それに、王立聖家が全て揃う。なら、こんなの出来レースじゃない。真面目に参加なんてしても損するだけ。なら、収穫がなければ面白くないわ」


 穴だらけだと、精通している者なら見抜けるだろう計画も、平和ボケした聖都ならば出し抜けると息を巻くオービのムラサキ姫。


 傍らの従者に顔を擦り、口づけを交わす。


「これであなたも共犯者、ね」


 決して甘くない口づけは、二人の罪悪感を麻痺させるもの。


 ムラサキの唾液に、嗅ぎ慣れない匂いが混ざる。特殊配合された薬が、二人の感覚を昂ぶらせた。


「お嬢様、式典に遅れます。今は……」

「大丈夫よ。まだ、時間は十分――」


 着物が肩から胸元まではだけ、白い肌が露わになる。そのまま従者の首の後に手を回し、従者の顔を自身の胸へと引き寄せ、




 ――ガタン、と。何かがぶつかる音が聞こえた。




 抱き合う二人の前に、一人の少女が現れる。物音に気付いた従者がムラサキを自身の背で隠し、少女を睨みつけた。


「あっ……」


 怯えている。そう見て取れる反応に、従者が詰め寄った。


 震えるているのは、先程表通りでレベッカとぶつかった、みすぼらしい格好をした少女。レベッカと別れ、すぐのことである。


「貴様、いつからそこにいた!」

「ごっ、ごめんなさい! な、何も聞いていません! !」


 その言葉で、全てを悟る。――全て、聞かれていた、と。


 従者の手が少女の首へと伸びる。


 少女の細い首は、大人の手のひらで十分に包めるほどしかない。従者は首を絞めるのではなく、へし折るつもりで手に力を込めた。


 すると――バシャバシャと、水が滴る音が路地裏に響く。


「お漏らしまでさせて、いつまで遊んでいるの。早く終わらせてよ」


 ムラサキの苛立ちの声を聞いて、――その首を切り落とした。




「えっ――?」




 ドサリと、倒れ込んだのは、首から上のない従者であった。


 全身を自身の血で濡らし、溢れ出る血が地面を赤く染めていく。流れてくる血の池が、ムラサキの足元まで広がって――


「――ザンネン。運が無いのね、あなた」


 少女の声がムラサキの耳に入る。




 ――血で染まったナイフを、艶やかな着物の帯で拭う。


 二人分の血糊がベッタリと帯を染めていく。手と口についた血も、着物を引き剥がして拭った。


 きれいになった顔でカエルのようにゲップをしたかと思うと、倒れ込んで動かなくなった亡骸の荷物を漁り、


「あなたの宗教は知らないけど、死人には不要でしょ。貰うわね」


 高級皮の封書を取り出した。


「あっ、そうだ。さっきの泥女」


 そう言って、ポケットから2つの袋を取り出す。ジャラジャラと音を立て、中に硬貨の手応えを感じていた。


「なんで2つ? ……なんて書いてるのかしら」


 1つは金貨が10枚ほど入った袋。1年は不自由しないだろう十分な金額だったが、もう1つの袋には石を削って作られた偽物の硬貨と、パピルスの切れ端に方言文字で何やら書かれていた。


 少女には読み取る事はできないが、ゲーナインの方言文字で『ハズレ』と示されている。

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