「こんばんは。いいですか」

 マチ子ちゃんが部屋を訪ねてくる。

「どうしたの」

 マチ子ちゃんは大家さんの娘。高校生で春樹さんの妹だ。

「ちょっとわからないところがあって」そう言って教科書と参考書を広げた。

「数学かあ」

「苦手ですか」

「得意ではないなあ」

「大丈夫、簡単です」

「わからないのに」

 広げられた箇所を見て、すぐに手に負えないことがわかってしまった。

「数学は考えすぎないこと。シンプルに考えればいいんだよ」

 それでいて分かったようなことを言っている。

「そうですね。わかりました」

 そう言うとマチ子ちゃんは広げていた本を閉じた。本当に分かったの。

「やっぱりすごいです。哲学科ですものね」

「誰に聞いたの」

「ミキさんです」

 あいつなんでそんな嘘をついたのだろう。

 どこで手に入れたのか、汚れてボロボロのジャケットのレコードを持ってあいつが部屋にやってきた。

「聴かせてくれる。ある人に薦められて」

 あいつは春樹さんのバンドで歌っていた。そこそこ有名になって、沢山のイベントのステージに立っている。

「ロバート・ジョンソンっていう人だって。すごいらしいの」

 レコードに針を落としてしばらく聞いていると、不意にミキが部屋を出て行った。

「すごいのがかかってましたね」

「生々しいよね。すごく」

 その夜はマチ子ちゃんと二人でずっとそのレコードを聴いていた。ミキは部屋にはもどってこなかった。

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