商会長の憂鬱



 部下に慕われる経営者像というものがある。私にそれを教えてくれたのは、ウェン呉服店のご主人だった。彼の家は長い間、邯志ハーン・チィ帝国の皇帝の印を掲げて仕事をしており、従業員の数もかなりのものだ。政治に意見する場合もあるくらいで、その影響力はかなりのものだ。ご主人は経営学なる書籍をいくつも持っており、私にそれを貸してくださった。それが今日におけるメフシィ商会を支えていることは言うまでもない。

 彼には息子が三人おり、うち一人、それも獣人族との間に生まれた子を私によこしてきた。獣人族は大の苦手であるが、他ならぬ文さんの願いであれば致し方ない。私はその半獣を受け入れることにした。

「失礼します、会長。裁縫部門の従業員が立て続けに身籠りましたので、一時的に奴隷を雇い入れてよろしいでしょうか?」

 邯志から呼びつけた彼はかなり優秀で、文呉服店のご主人が「正妻は嫌がるが役には立つ」とよこしてきただけのことはあった。市民権がないので彼のことは全て実家に問わねばならないが、彼がその気になれば金でどうとでもなる。だから彼の市民権はいずれ必要なときに申請するだろうと放おっておくことにしている。その半獣の名はファンと言った。

「……熊猫人族と魚人族か。人間の奴隷にしないか?」

「どちらも刺繍の腕はかなりのものですよ。それに南東大陸の人間の奴隷は人気なので高く付きますよ。それなら寡婦を雇ったほうが早いです」

 私は芳が渡してきた資料に目を通す。芳の用意した予算資料によれば、彼の言う通り獣人族の奴隷を二人雇い入れるのが一番良いように思われる。普通の人間であれば躊躇する組み合わせだが抵抗がないように思われるのは、彼が獣人族の子だからだろうか。

 だが、こんなことを不必要に気にするのも、身分の高い人間だけだ。なにせここはミガルティ帝国だ。鳥人や魚人ならよく見かける。せっかく各大陸との交流窓口に支店を設けることができたのだ。そのくらいのことで潔癖を起こしていれば利益に差し支えるだろう。

「芳、君の案を採用しよう。抜けた穴は二人で埋められるのか?」

「はっきり申し上げますと、不可能です。ですが入りたての奴隷に楽を覚えられても困りますし、人間の従業員に不満を抱かれたくありません。まずは厳しめに面倒を見て、周囲と打ち解けてから仕事量を減らします。その後もう一人雇い入れるか、元の職人を呼んでも良いかと。とはいえ辞められては困りますので、そこそこにしておく予定です」

 芳のそこそこは非常に絶妙だ。流石は文呉服店の子息だと時折舌を巻かされる。彼がもし人間の妻との間に生まれていれば、きっと跡取りになっていたことだろう。そして、自分でそれが分かっているからこそ彼はより一層仕事に励んでくれているのだろう。彼には不本意なことなのだろうが、私には好都合である。

「……君は獣人族を手荒く扱うことに抵抗はないのかね?」

 ふと気になって問うてみる。芳はいつもどおりの表情を崩さないまま、首を傾げる。

「市民権付きならともかく、奴隷ですよ? むしろ丁寧に扱っていると思いますが」

「君はその」

 そう言いかけて私は黙り込んだ。芳は笑顔を崩さないが確実に怒っているだろう。平時であれば自分が黙り込めば擁護に入ってくれる彼が黙っているのはそういうことだ。いくら部下といえども、文呉服店の子息を分用意に苛立たせたとあれば後々に関わる。

「僕は獣人族の特徴が一切出なかったので、彼らのことはよく分かりません。腕さえ良ければ職人の種族は問いませんよ。そうですね、それこそ体躯のしっかりして学のある狼人族か、容姿の良い羽人族か鳥人族であれば、上司でも良いかもしれませんね」

 こだわりがないという印象を持たせる話し方だが、芳の言いたいことはそれではないだろう。私が経営者の器でなければ彼の手によって会長の座を引きずり降ろされる、と暗に言われている。力の強い狼人族、人の心を惑わせる羽人族、王族や貴族に多く取り入っている鳥人族を例に出したのは彼からの警告だろう。

「ですがメフシィ会長はれっきとした人間です。もし半獣の僕が不快な思いをさせているのだとしたらご指導ください」

 中性的な容姿をした芳は、いっそ怪しげなほど美しい微笑みを湛えて部屋から出ていった。私はほっとため息をついた。机の中から葉巻を取り出して火を点ける。

 昔から獣が嫌いだった。犬猫を見れば痒くなるし、魚の鱗が一つでも残っていれば食事を戻してしまうほどだ。そんな私が獣人族を苦手としているのは、きっとそれが原因だ。まして、地位の低い彼らに使う気など残っていない。私は毎日の仕事で疲れているのだから。

「……いずれ、半獣では効かなくなるのだろうな」

 私は煙を長々と吐くと、獣と仕事をしなくてはならないことを危惧して、気を紛らわせるために酒の蓋を開けた。

 もし、本当に自分がのし上がるために従わなければならないような立場の獣がいれば、喜んで揉み手でも何でもしてみせよう。この獣人が平然と歩いているところに支店を置くからには、それだけは覚悟しておかなければならないだろう。

 翌日、鳥人族の姫と人生を変える邂逅をすることになるのだとはつゆ知らず、私は仕事に没頭するのだった。

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【番外編置き場】宵闇に灯火の唄を 野木千里 @chill-co

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