第8話 最終作戦-2

 視界が真白く焼かれた次に来たのは、骨まで響く衝撃だった。

 咄嗟に展開したにしては有り得ないほどに堅固な、四重の浅い半球型の防御壁。四人がかりで編み上げた半透明な魔力の壁が、こちらを貫こうと放たれた、を正面から受け止め、上へと逸らしたのだ。

 光は雲を貫き、消えていく。

 それでも衝撃を殺しきれなかった。

 最も小さく軽いコクヨウが反動をくらって、体が大きく傾ぐ。シランとエラワーンすら、ぐらりと翼を揺らした。

 

「しっかりしなさい、トカゲ乗り!」

 

 だが、そうはさせじとばかりに足元から海の水が立ち上がり、ドラゴンの体を下から押し上げる。

 ごく短い時間だったが、海水でできた海蛇の手助けで龍は三体とも体勢を戻す。

 今のは、メイファの声だった。

 

『点呼!無事なら名を告げて!総員、今すぐに!』

 

 頭の中でフェイの念話が響く。

 アジィザ、コクヨウと共に無事、とだけ頭の中で答え、そこでようやく視力が完全に元に戻る。

 

「うそ、だろ……」

 

 海が、割れていた。

 比喩でも何でもなく水面が割れ、煙を上げる水底の土が見えていたのだ。すぐさま両側からの海水が、たった今焼け焦げたと思しい海底を覆い隠したが、事実は変わらない。

 

 敵から放たれた黒い光が海を割り、海底を焼き、船に直撃しかけたのだ。

 攻撃の直前に気配を察知し、展開できた防御壁がなければ、全員消し飛ばされていたことだろう。

 

 口に辛いものが広がると思えば、それは自分の鼻血だった。

 いきなり大魔力を取り込み障壁として放出した結果、細い血管が何本か切れてしまったらしい。

 大気に満ちる魔力を取り込み体内で精製し、それを燃料に攻撃や防御、念話を行うのが自分たちドラゴン乗りだ。

 だから理論上、燃料だけは無限にある。

 あるのだが、燃料を使用可能なものに精製、変換し、機動させるスイッチと伝達する回路になるのが自身の体であるため、限界はあるのだ。

 機械と同じく、余りに負荷をかけすぎるとスイッチががたがたになって壊れ、回路が摩耗し焼き切れる。

 丁度、こんな具合に。

 げほ、と口に溜まったものを吐くと、明らかに血が混じった赤い液体が溢れた。色合いがグロい。

 鼻面を、ぐいと乱暴に拭う。口の中がぬめって気持ち悪かった。

 

「レト、ジザ!無事ですか!」

「はい!」

「同じく」

 

 エラワーンの背から叫ぶシャクラに、剣を握った右手を振る。

 頭の芯が、奇妙にぼうっとしていた。

 鼓膜がやられでもしたのか、左耳から入る音も不自然に反響している。

 何か、途轍もないことが起きていることはわかるのに、何も心が動かない。

 呆然としていながら、それでも身に染みついた動きだけで辺りを確認した。

 あれだけ周りにいた魔族が、消えていた。先ほどの攻撃は、魔族までも薙ぎ払う勢いで放たれていた。

 魔族ごと、船を沈めようとしたのだ。

 疲労でぼうっとする頭の中に、直接少女の声が叩き込まれた。 

 

『ジザ、シャクラ、レト、聞こえてる?念話を繋いだから言うわよ。……今の光で、ドラゴンが半分は撃墜された。わたしたちの担当領域で残っているまともに動ける【組】は、わたしたちを入れて三組だけ』

「目標地点までは、あと?」

『十五分。だけど、結界起動の合図はまだ来ていないわ』

「今のは、何だったのですか」

『……魔力感覚からすると、ドラゴンの炎』

「魔族にドラゴンがいるというのか」

 

 無表情のまま、先輩が告げた。

 しかし確認するまでもなく、全員が先ほどの黒い炎の気配は察していたのだ。

 あれは間違いなく、龍の炎なのだと。

 これまで、ドラゴンの形をした魔族など誰も交戦したことがない。

 仲間の半数が、一瞬で落とされたという事実にも絶望ができない。

 つい数時間前に、頑張ってくれよとこっちの肩を叩いて来た仲間が死んだというのに、絶望すらできる暇がない。

 

「今の黒い光、俺たちで防ぎ続けられるか?」

『無理よ。あれだけの魔力なら、多分あちらも再装填に時間がかかるだろうけど、わたしたち三人でやるならあと一度が限界。ジザは魔力を注がなきゃならないから。……待って、敵影反応あり!全員散開して!』

 

 三頭が三方向に散り、船の前面には障壁が広がった。

 直後に、上から舞い降りて来たのはドラゴンの鈍色の巨体。

 逞しい龍の体の背にいるのは紛れもなく、人間の姿だった。

 長身の人影が手に持った刃が、ぎらりと不吉にしろく輝いた。

 

 自分の思考が、今度こそ無防備な空白になる。

 

 

「ジザ!」

 

 我に返った。

 気づけば、コクヨウの目の前に鈍色の鱗のドラゴンが接近していた。避けようとするも、黒龍は半歩遅かった。

 コクヨウが、鈍色のドラゴンによって蹴り飛ばされる。

 視界がぐるりと回る中、身の毛もよだつような冷風が首筋の近くを通り過ぎる。首を横に傾けると、髪がざくりと切れ、散った。

 さらに続けて、自分の体が小石のように引かれ、跳ぶのを感じた。

 反射的に背中にいくらか軟度がある防御壁を展開し、受け身を取る。

 吹っ飛ばされた自分が叩きつけられたのは、メイファたちの船の下甲板だった。木っ端が飛び、甲板の板が割れる。

 

「うわ!なんなんだチビ坊主!いきなり降って来るんじゃねぇよ!」

「好きで墜ちたんじゃねぇわ!」

 

 頭上から来た怒声に怒鳴り返し、全身を使って跳ね起きる。

 二本ある船の柱の一本目の根元に、自分は叩きつけられたらしかった。

 それをやったのは、上甲板の手摺からこちらを見下ろす、金色の髪の少女。やや青褪めながらも、取り乱した様子はなかった。

 

「ジザ、大丈夫?」

「なんとか。背中すげぇ痛いけど」

「そう。飛ばすのちょっと遅れたら、首、落とされかけていたわ。感謝してね」

「涙流して感謝しますよ。帰ってからな」

 

 離さなかった剣を杖にして立ち上がったとき、また悪寒を感じた。

 

「フェイ!」

 

 両脚に力を込め、跳び上がる。

 上甲板にいるフェイの前に出、剣を頭上に構えた。

 フェイの小さな頭を狙って振り下ろされた白刃の一撃を自分の剣が受け止め、赤と鈍色の火花が散る。

 

 ぶつかり合った剣越しに見えたのは、だった。

 先輩よりもいくつか歳嵩に見える、若さが残った精悍な黒い髪の男である。纏う衣はこちらと似た黒基調の軍服に似たもので、防具の類はない。

 ただし、その瞳は白目が黒く染まり、瞳であるはずの部分は、熾火を抱いた薪のようにちろちろと光が瞬いていた。

 白い陶器のような肌の、目から頬にかけてひび割れたような黒い線が幾筋も走り、その間からも濁った橙の光が漏れている異形の貌。

 剣に魔力を込めて力技で払い除け、横薙ぎに相手の首を狙う。しかし、襲撃者は軽々と跳んで避け下甲板に跳び下り、上甲板にいるこちらに向けて、刃を構えた。

 南の大陸側では見かけたことがない奇妙な形の、沿った刀身を持つ片刃の得物である。

 

「な、なんだコイツはっ!」

「敵だ!なんとかするから、アンタらは船を止めんな!進まなきゃ皆死ぬぞ!」

 

 船乗りの誰かの混乱に叫びで返し、甲板の手摺を飛び越え、下に着地する。

 南大陸からすれば不思議な形の武器────刀を構えた相手は、静かにこちらを見ていた。

 その風貌に、自分は見覚えがあった。

 

「アンタ、魔族のドラゴン乗りか?」

「そうだ」

 

 に、甲板にいる船乗りたちが動揺するのが見えた。

 言葉の通じない化物、形の崩れた生き物の成り損ない、喰うしか頭にない絶対悪。

 それが、この時代の魔族に対する人々の印象なのだ。

 だのにこいつは、まるで人間そのものだ。

 唯一の異形といえる風貌は、その二つの眼と、顔に走るひび割れ程度。

 有り得ないはずのヒト型の魔族が龍を駆り、龍の炎を浴びせ、天から襲い来て、留めにドラゴン乗りを名乗ったのだ。

 周りの空気は混乱と絶望の一歩手前で、だから逆に自分は冷静になれた。

 周りが正気であったなら、自分のほうが耐えられていない所だった。

 

 こいつは、魔将だ。

 今から百年先の時代において現れ、多くのドラゴン乗りを屠る魔族。【混沌】によって特別な力を与えられた尖兵だ。

 

 そして、この時代にはまだ、現れていないはずの存在だった。

 それが何の因果か、自分の前にいる。武器と殺気を向け、こちらを殺そうとしている。

 刀を使い、二十代半ばの男の外見をしたこいつの名は、ツチグモ。

 ドラゴン乗りを名乗る最凶の魔族であり、主人公の、家族の仇だった。

 

「小僧、貴様から殺す。あの場で唯一、私に気づき、反応した貴様は危険だ。その身に纏う異質な気配諸共、我が主のために、ここで排除する」

 

 淡々と、魔将が告げる。自分より頭一つ半は丈高く、構えには隙がなかった。

 それでも、歯を食いしばった。

 現れるはずのない存在がどうした。自分には関係ないと、剣をきつく握った。

 こいつが真っ先に狙ったのは、フェイの首だった。

 この領域のドラゴン乗りたちに指示を出しているのは、フェイだ。船に障壁を張り、遠見と念話で自分たちを繋いでくれている。

 だから狙われたのだろうし、こちらの統制を壊すには合理的である。

 が、それは自分が怒らない理由にはならない。

 眼前で、友人の首が狙われて、落とされかけたのだ。剣を取るには、十分すぎた。

 構えた長剣に、自分の顔が映る。

 左の襟足だけが雑に伸びた赤毛を海風に弄ばせ、赤い瞳をぎらつかせる凄まじい形相がそこにあった。

 引き攣れたような嗤いを浮かべながら、そいつは剣を向ける。

 ひどい顔の、ひどい目をした人間で、そのつらを見て頭の芯が冷えた。

 

?お前ら、誰かに仕えてんのか?」

「答える必要はない。待て、貴様は……」

 

 そいつが言葉を続ける前に、踏み込んだ。こいつから何かを聞く必要など、最初からない。ただ何か、注意を引くことさえできればそれでよかった。

 恐らくこの大陸のドラゴン乗りの誰も、刀を武器とする相手と戦ったことがない。

 刀を使う剣士が戦っていた国は北大陸にしかなく、それはもう遠い昔に大陸ごと滅んでしまっている。

 ツチグモは、かつてその国で生きていた名高い剣士の、成れの果てだ。

 人格が完璧に保存されているように見えるが、それはまやかし。

 ツチグモの素体になった人間は、とうに【混沌】によって喰われている。

 これは、ただ組み直された残滓が動き、往時を歪んだ形で再演しているに過ぎない。

 ただし、その残滓が非情なまでに強い。

 異形の化物との戦いが長すぎるほどに長く続き、頑丈さと耐久性を追求したのが自分たち南大陸の人間たちの武器であり、戦い方だ。

 ツチグモが扱うような、繊細な見た目だが強靭な対人用の武器は、その使い手も技も少なくなって久しい。

 

 並みの人間が相手にできない、怪物を殺すための技を磨いた戦士として戦って来た故に、ただひたすらに人を殺すに特化した技を持つツチグモは、ドラゴン乗りにとって最悪の相手だった。

 おまけにその天敵が、【混沌】によって凄まじい回復力と魔力、騎乗するための龍まで与えられているのだ。

 その龍が吐くのは炎ではなく、黒い光の束。

 再装填に時間はかかるが、距離と威力でこちらの龍の炎を上回って来る、最悪の光だ。

 

 手がつけられない暴威。

 それでも今、戦わなければならなかった。

 

 自分の鋼の長剣が、ツチグモに振るわれる。

 相手は最小の動きで避け、踏み込みと共に姿を消す。

 次の瞬間には、背後に気配が出現していた。

 身を屈め、体を回転させて剣を振るえば、ツチグモはそれを避けなかった。

 自分の長剣が相手の脇腹を切り裂く。だが、浅かった。

 

「……この程度か」

 

 呟きと共に、腹に衝撃が走り、自分の体が吹き飛ぶ。こちらを蹴り飛ばしたツチグモの体が、深く沈むのが見えた。

 腰の鞘に戻した刀の柄に、手がかかっている。─────神速の、抜刀術の構え。

 

「ッ!」

 

 吹き飛ばされ、宙に浮かされた体勢のまま、無理に身を捻って剣を、投げた。

 取り澄ましていたツチグモの顔が、驚愕でか凍りついた。

 

 礼儀作法に則った決闘の最中に武器を全力でぶん投げる馬鹿はまず、いない。

 かつての、人間のころのツチグモは、礼儀礼節を心得た剣士であったために、常識にかからない戦い方に慣れていない節があって、それが魔将となっても僅かに隙として残っていた、はずだ。

 こちとら、礼儀作法知ったこっちゃない化物とばかり戦ってきたのだ。

 武器だって投げるし、無ければないで噛みつきもするし殴りもする。殺されるより先に殺すだけだ。

 

 ツチグモの手元に、真っ直ぐ飛んだ剣が直撃する。抜刀の構えが狂ったその瞬間に、こちらはなんとか着地した。

 着地と同時に柄に巻いていた不可視の魔力糸を引き、手元に剣を引き戻す。

 再び手に収まった剣を構えると、右手と脇腹に激しい痛みが走り、吐き気に襲われる。

 酸で焼かれてしまった腕に加え、先程蹴り飛ばされたときに骨がどこかやられたのだ。

 翻ってこちらがツチグモにつけた傷は、最早塞がりかけていた。

 黒い、粘性の何かが傷口を覆い、修復していくのだ。

 チ、と舌打ちが漏れた。

 やはり首と手足を落とすでもしない限り、どうしようもない。

 それに斬り合って分かった。こいつは自分などより、遥かに剣技が格上だ。体格で負け、経験で負け、技でも負けの、クソったれの負け尽くしである。

 ツチグモもそれがわかっているのか、動きには余裕があった。だからさっきも、わざと斬られてこちらを試したのだ。

 熱も何もない口調でツチグモは問う。

 

「お前たちは、何をしようとしている。船を並べ立て、龍を飛ばし、何が目的だ」

「知らねぇよ。オレはな、凄く腹立ってんだ。ンなときに、べらべらお喋りすると思ってんのか?」

「……貴様は粗暴だ。まるで山猫だな」

「悪趣味な人形劇の人形よりはマシだ。アンタは喰われて、死んでおけばよかったんだ」

 

 自分自身と、自分の大切なものすべてを喰らい殺した相手によって仮初に生き返らされ、駒にされ、無に還ることもできない縛り付けられた動く死体。

 それが、ツチグモだ。

 感じるべき憐れみなんて、自分にはない。感じている余裕が、なかった。

 放たれる威圧感が桁違いだ。

 これまで戦ってきた魔族なんて、こいつに比べれば化物ですらない藁束だとさえ、思えてくる。

 

 自分にわかるのは、しくじったら大切な人たちがこうなるということ。

 目の前にいるのは、ここで踏みとどまれなかった自分たちの、末路だということだ。

 ツチグモの脚が動く、反応しようと剣を振るうより速く、間合いに踏み込まれていた。

 狙いが腕なのは視える。切断する気なのだ。

 そうとわかっても、体が反応できない。引き伸ばされたように遅く進む時間の中、自分は蝸牛のようにしか動けない。

 

 だが、自分の腕が切り落とされることはなかった。

 獣の唸り声さながらの気合いと共に、鋼の剣が自分とツチグモの間に割り込むように振り下ろされたからだ。

 ツチグモは飛び退り、自分は肩に体当たりされて突き飛ばされ、脚がもつれてよろめく。

 

 甲板の上で無様にすっ転んだ自分の前には、肩で息をしている広い背中があった。

 

「せ、せんぱ……」

「何をしている!立て!」

 

 打つような激しい声に、鍛錬で動きを叩き込まれた体のほうが先に応えた。

 剣を杖に立ち上がり、握る力が弱くなっている右手を魔力糸で剣に括り付けて構える。

 大気からの魔力吸収率と精製力だけは馬鹿のように速いこの体は、まだ動かせたし、人間離れした回復力で怪我も治りつつはある。

 本調子ではない。ないが、これ以上望むのは不可能だった。

 

「ジザ、なんだあれは」

「敵で、ドラゴン乗りです」

「見ればわかる。あいつの龍はシャクラたちが相手をしている」

 

 僅かに辺りを伺う余裕が出てみれば、確かに視界のどこか外で、聞き慣れたドラゴンたちの吠え声と炎を吐く音があった。

 

「状況は?」

「脚が速くて、対人技に特化してます。半端な傷はすぐに治ります」

「お前は?」

「右腕と、肋一本。どっちも動かせます、けど」

「わかった。……首を落とせば、殺せるだろう」

「それで、駄目だったら?」

「四肢を落として、心臓を潰す。……動けなくすれば、問題はない」

 

 揺らぎもせず、先輩は剣を構えた。

 秒もかけずに下した決断は簡潔で、明瞭だった。

 同じヒト型ならば、動けなくなるまで斬れば問題はないというわけだ。毎度だがこの兄弟子、魔族へは殺意しかないし、小揺るぎもしない無表情がおっかない。

 だけれど、龍に乗り、言葉を話す魔族を前にしても、いつもと変わらない背中はとても頼もしかった。

 

「……女の船長ふなおさ、女の術師、果てはお前のような未熟な龍使いまでがいるとは、貴様らは余程追い詰められていると見える」

 

 二人に増えたこちらを相手に、あっちは何事かほざいているようだったが、自分にはどうでもよかった。

 確固たる意志が込められているように聞こえる言葉の一つ一つすら、ツチグモの中に残った『名が無き者』の反響だ。

 そこに意味はなく、意義もない。

 だというのに。

 

「黙れ、お前はそれ以上喋るな。口を開くな。魔族が、その口で俺たちを語るな」

「その魔族という名すら、貴様らが勝手につけたものだろうが。自らと相容れぬ者共を魔と呼び、貶めるその態度。何も、感じぬのか」

「戯言を!」

  

 無表情はそのまま、先輩の怒りの気配だけが爆発するかと思うほど膨れ上がった。

 斬りかかり、そのまま戦闘に移行する。

 両刃の剣と、片刃の刀の使い手は、どちらも身体能力基が既に人間離れしていた。

 首を狙って刀が振るわれれば、胴体を一撃で両断せんばかりに剣が風を巻き込んで唸る。

 助太刀しようとしたとき、頭の中に声が響いた。

 

『ジザ!待って!到着したわ!ここよ!この場所が目的座標なの!』

「え?」

「え、じゃないわよあんた!いいからこっち来なさい!」

 

 いつの間にやら近寄って来ていたメイファが、こちらの腕を掴んで走り出した。

 

「あの化物はあのにいちゃんたちに任せるしかないわよ!あんたは起点者なの!そっちの役目果たして!」

 

 船長である少女は、船の後方へと走り出す。

 まったく気づけていなかったが、船は止まっていた。

 船の舳先近くで戦闘が起きていたのに、船乗りたちは船を進ませ続けていてくれたのだ。

 首だけ捻れば、白銀の魔力光が甲板へ着弾するところだった。あの人、船壊す気じゃなかろうな。

 

「結界が成功したら、あいつらはこっちの海域にはいられなくなるんでしょ!だからあんた、頑張って!」

 

 甲板を走り辿り着いたのは、船の最後尾に繋がれている魔力結晶のところだった。

 かつてドラゴンの亡骸だった巨大な透き通る結晶は、破壊されることなくそこにある。

 

「……わかった」

 

 船桁を蹴って、石の上に跳び移る。やり方は、教えられていた。

 魔力糸を解き、剣を腰の鞘へ。

 緊張で振るえそうな右の手首を左手で掴み、龍の亡骸へと触れた。

 

「接続、回路励起、起動────」

 

 地脈から生まれ、大気に流れるエネルギー体、魔力。自身の周りを囲み流れる不可視の水流のようなそれを、自分の体へ取り込み、精製し、この結晶へと流す。

 流すことで術式のスイッチが入り、結界が立ち上がるのだ。

 

 言うのは単純で、行うのは難しい。

 渾身の力を両腕に込め、全体重をかけて大岩を押そうとしているのに、足が滑るばかりでまったく動いてくれない、転がってくれない。

 そんな感じだ。

 

─────もっと、もっと速く、強く。

 

 そうでないと、みんなが、先輩が。

 

 魔力に耐えられない皮膚が内側から弾け裂けて、血が流れる。

 だけどもこの体を中心に集まってくる魔力は、血のような赤色に染まって行くのだ。

 コクヨウの瞳と同じ朱色あけいろが、自分自身の色だった。

 これでは、宙を舞うのが自分の血なのだか、魔力光なのかもわからない。

 

 わからないまま、光の奔流の中心に立つ。立って、魔力をひたすらに結晶体へと流し込んでいく。

 無色で透明であるはずの結晶が、次第に色づいていく。薄紅から赤へ変わり、次第に音を奏で始めるのだ。

 遠く離れたところにある、他の要石との共鳴が完全になったときが、結界の完成。

 りぃんりぃん、と鈴が鳴るような音が結晶の中心から聞こえだし、流れて行く。

 頭の中に浮かぶ大岩が、もう少しで動く、と思った瞬間だ。

 

 ぱきり、と呆気なくガラスが割れるような音がした。

 収束し、注いでいた魔力が霧散する。朱色の侵食が止まり、鈴の音が止む。

 

 フェイ、と頭と声の両方で呼んだ。

 何が起きたのかなんてわかったけれど、わかりたくなかった。

 自分たちが、したなんて。

 

 ややあって、声が繋がった。

 

『……ジザ。よく聞いて。あのね……今、五つが、五つの船が落ちたっ……て』

 

 乾き切ったその声に、自分は打ち据えられたように膝をつくしかなかった。

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