第6話 作戦前夜

 朝の目覚めは、翼の下で始まる。

 目を開けると、一番に目に入るのは薄い黒の飛膜なのだ。

 丸まった犬のような体勢で眠るドラゴンの、後ろ足の付け根辺りにできるくぼみ。そこが自分の寝る場所だ。

 十一年間、ずっと。

 

「おい。おい、おーきーろっ」

 

 くわぁ、と昨日の夜ふかしのせいで覚めない眠気を振り払うために欠伸をしつつ、頭から引っ被っていた毛布を畳み、下から翼を裏拳で叩くと、ぶふふ、と鼻息で返事が返ってくる。

 退かされた翼の下から這い出ると、大体目の前には牙が飛び出す黒ドラゴンの頭があるわけだ。

 

「おはよ、コクヨウ」

 

 この火吹きトカゲは、相棒の自分が側にいないと寝たがらない。

 卵のころに盗まれ、実験動物扱いされたことがよほどのショックだったらしく、乗り手を抱え込んでいないと、夜などは不安になってしまうのだ。自分は安眠枕か。

 

「しょうがねぇけどな」

 

 なので、こちとら人間用の寝台で寝る感覚がどんなものだったかすっかり忘れてしまったが、十一歳の女の子のやることと思えばまぁ、受け入れられる。

 喩え相手が【前】でいうところの、大型バスを縦に二台重ねた分以上の大きさがある女の子でも、綺麗な黒い鱗を自慢にしている女の子であることに違いはない。

 髪を大事にしている人間の女子と同じだろう。

 自分とて、コクヨウの翼の下に隠してもらったりしているから、お互い様だ。

 火を腹に溜めたドラゴンの近くは、寒い冬は温いし。暑い夏はさておくとしても。

 ぐるる、と鼻をこちらに擦り寄せようとして来るのを手で抑えつつ顔を洗い終える。

 ふと横を見ると、群青と白銀の鱗を持つ龍たちが、こちらを見ていた。

 

「シラン、先輩は?」

「ここだ」

 

 にゅ、とシランの額の上から先輩の頭が出た。別に自分に付き合う必要もないのに、先輩も龍舎に寝泊まりしているのだ。

 お陰で自分たち二人とも、髪やら肌やら全身に龍のにおいが染み付きまくって、ほぼすべての獣にてんで近寄られない有様だ。

 

「おはようございます。朝飯行きます?」

「行く」

 

 シランの頭の上から、先輩はひらりと飛び降りて来た。頭に寝藁がついているのに、顔が良いと大して変にも見えないのは理不尽だ、という気分になる。

 

「先輩、頭に藁ついてますよ」

「どこだ?」

「頭のてっぺんです。いえ、もう少し右、や、左。って、違いますよ。先輩なんでそういうのは不器用なんスか」

「……」

 

 ただし、先輩は小柄な美少女じゃなく上背のある野郎なので、こちらからは地味に取りにくい。

 背伸びすると自分の小ささを思い知らされるため、取ってやりたくはないのだ。

 色とりどりの宝石のようなドラゴンたちの瞳に見送られながら龍舎を出る、いつも通りの朝であり─────作戦が始まる二日前の日の始まりだった。

 





















「おぅ、昨日レグルスの長相手にやり合った若者二人ではないか」

 

 長テーブルがいくつも並べられた食堂に入った自分たちにそんな声をかけてきたのは、緑の瞳の大男だった。

 珍しい、と思いつつもそちらを向いた。

 

「オレはやり合ってないんですけど。やらかしたのは先輩だけです」

「そうは言うがな。お前たち、大体二人一組だから大差なかろうが」

 

 はっはっは、と大笑する髭面の大男の近くには、なんとも言えない顔をしている数人のドラゴン乗りがいる。

 周りを巻き込むような豪快さがにじみ出ているこの男は、レグルスの腹心にして、【四翼将】の一人だ。名はリュイロン。

 性格は見たままで豪放磊落。裏表がない。レグルスが黒い雷雲だとすると、こちらは白雲がわずかにたなびく晴天である。

 それから、声がでかい。見た目は四十そこそこだが、八十は超えているはずだ。

 ここでは、長く戦っていられる戦士は、見た目に反した爺になるから当然なのだが、つくづくドラゴン乗りが人間から外れていっているのを感じさせられる。

 自分たち四人は、見た目と実際の歳が同じであるが、そちらのほうが珍しいかもしれない。

 リュイロンが、猟犬のように鼻を動かした。

 

「まだ龍舎に寝泊りしておるのか。おい赤毛の、そこまでドラゴンにべったりでよいのか?」

「ジザは、必要なことをしているだけです」

 

 自分より先に前へ出て喋る先輩の背中は、なんとも広いものだった。

 その肩を自分は軽く叩いて、リュイロンを見上げる。

 

「オレんところのコクヨウは事情が事情ですんで、そりゃそれくらいはやりますよ」

 

 ドラゴンは、本質的には傲慢というか自種族以外を見下す。契約相手に人間を選んだのは、他よりも情緒面が発展していると判断したからで、個としてはともかく、種として対等な存在とは思っていないだろう。

 龍種が個体としての最強であるのは間違いないからなのだが、その慢心のせいで北の龍は全滅して【混沌】の肥やしにされたのだ。

 引き換えコクヨウは、史上初の人間に盗み出されて人間の下で卵から孵ったドラゴンだ。

 今更だが、盗んだやつらは間違いなく超有能だったと思う。

 頭のネジを何本か無くしてさえいなければ、もっと世のためになることができたろうに、あの場所諸共消し炭にされるとは勿体無い。

 やつらのせいでコクヨウは母龍の翼の下で学び、成龍になるために様々なことを教わるべき期間のほとんどを、自分の肩に乗っかったりカルガモの雛のようについてきたりして過ごしたのだ。

 

 果てがあの、乗り手をライナスの毛布にする甘えん坊黒ドラゴン。

 人間の成人が十五歳のこの世界で、十一歳の龍はまだ子どもだろう。

 エラワーンは三百だか四百だかの爺さんで、シランだって二百歳そこそこはあるのだ。婆さんドラゴン呼ばわりは殺されそうな気がしているので、間違ってもできないが。

 

 ともあれ、緑のドラゴンを駆る【四翼将】は、顎髭を撫でた。

 

「ま、己のドラゴンとの絆の育み方はそれぞれであるからな。……それにしてもお前らは緊張しとらんのか?非番を使わなかったのだろう」

 

 含みのある言い方である。

 何せ、会いたい者がいるならば会っておけ、とまで言われるほどだ。ここ数日の間に、家族や恋人、友人と今生の別れの挨拶をした者がいる。

 そして確かに、そのうちの何人かにとっては本当にそれが最期になるだろう。

 無表情のまま、淡々と先輩は言った。

 

「俺には、特段会うべき人はいませんから」

 

 そこは会うべき人ではなく、会いたい人であるべきなのじゃないか、と先輩を若干目を細めて見てしまった。

 が、先に言われたからには自分も何か言わなければならないわけで。

 

「オレ、そういう挨拶とか苦手なんです」

 

 湿っぽいのは、元々嫌いなのだ。

 さらに曰く言い難い顔になったリュイロンは、まだ何か言おうとしたようだが、それより先に先輩の腹がやかましい音を立てた。

 く、と笑いそうになるのをなんとか堪える。

 

「あの、オレたちはこれで失礼しても良いですか?先輩が腹空かしてますし」

「お前もだろう」

「先輩みたいにデカい腹音させるほどじゃないんで」

 

 むぅ、と口を結んだ先輩に、リュイロンはまたも呵呵と笑った。

 

「わかったわかった。朝飯時に引き留めて悪かったな」

 

 一礼して巨漢の横を通り抜ける。その瞬間、緑の瞳が自分だけを鋭く見ている気がして、寸の間振り返った。

 視線がぶつかり、リュイロンが口を開く。

 

「レグルスから話は聞いたのか、【黒】よ」

「……聞いてます。聞きました」

「それでよいのか、お前は」

「ま、オレなりに大事な任務を頑張りますよ。未熟ですけどね」

 

 【四翼将】がひとりはその答えに、またも眼を細め、かぶりを振った。

 良い人で、こわい人だ。年中しかめ面のレグルスよりずっと。

 

「応。では、お主らはもう一日休暇をやる。友と語り合ってこい。あの、【白銀】と【魔力持ち】の金色の髪の娘だ」

「え?」

「返事は、はい以外認めんぞ」

 

 どういうことだと狼狽えるも、リュイロンはもうこちらに目もくれなかった。彼の周りにいる他のドラゴン乗りも慌てているが、【四翼将】の一人は言を翻すつもりはさらさらないようだった。

 受け入れる他、なさそうである。

 前を向くと、そこには微妙な顔の先輩がいた。

 

「変な顔になってますよ、先輩。オレみたいなちっさいのが結界張りの一人に選ばれたの、まだ心配なんです?」

「当たり前だ」

「魔力量はオレのほうが先輩より多いの知ってるでしょ。大丈夫ですって」

「……俺が心配しているのは、お前の制御面だ。木剣をよく爆発させていただろう」

「それを持ち出すのは反則だと思います!」

 

 今では木剣を壊さずに魔力を纏わせることもできているが、やり過ぎて爆発させまくったのは、見習い時代の忘れたい思い出である。

 頬にそのときの怪我が薄く残っているし、師匠の拳は目玉が飛び出るんじゃないかと思うほど、痛かったから。

 

「おはよう、二人とも」

 

 先輩と話しながら歩いているとフェイとシャクラに出会う。二人とも朝食はまだというので、そのまま四人での朝食と相成った。

 

「私たちまで非番扱いですか。確かに海岸哨戒くらいしか任務はありませんでしたが」

「いいんじゃないかしら。どうせ二日後には生きるか死ぬかよ。美味しいご飯をゆっくり食べることくらいしてたって、罰は当たらないわよ」

 

 生真面目そうに眉根にしわが寄っていたシャクラに、フェイはからかうような笑みを向けていた。

 仲が良い。

 

「そういえば、オレと先輩は別に行くとこもないけどさ。フェイはいいのか?会いたいやつとか」

「別にわたしもいないわ。気遣いありがとう」

 

 どういたしまして、と返しながら肉と野菜を挟んだパンのようなものを齧る。

 言われてみればだが、自分もフェイの素性は知らない。なんなら、先輩のことも聞いていないし、自分のことも喋っていないくらいだ。

 知っているのはあくまで【レテ】の話だけだ。

 【レト】が、先輩が、どういう経緯を辿って今ここにいるのか、直接聞いたことはなかった。

 口下手な話を長々と聞くのが面倒くさくなったからとか、そういう理由ではない。断じて。

 だから、己の氏素性をはっきりさせているのは、この四人の中ではシャクラだけということになる。

 

「シャクラさんはきょうだいがいるんでしたっけ」

 

 二日後が二日後だからだろうか、気づけばそんなことを尋ねていた。

 少し面喰ったようだが、シャクラはすぐに応えてくれる。

 

「ええ。上に兄が一人、下には弟が二人いますね。男ばかりの四人兄弟です」

「うちと全然違うわね。うちはわたしの下に妹が一人よ。だけれど、そろそろどこかから婿を取っているかもしれないわ。姉のわたしがこうだから、誰かがあの家を継がないとならなかったし」

 

 跡を継がなければならない、それなりな規模の家の出だということをさらりと告げたフェイは、小さな口ではむはむとサンドイッチそっくりの食べ物を頬張っていた。

 南大陸には国はいくつかあるし、その中には無論名家旧家だってある。

 ただ、確かに国はあるのだが、ここ数百年は魔族の侵攻を食い止めるという方針で一致団結しており、人間同士の戦争はほぼ起きていない。

 争いはあれど、察知されればドラゴンが乗り手と共に調停役として飛んで行って治めるため、本格的な戦火が灯ったことはないのだ。

 ドラゴン乗りと【魔力持ち】たちは、現状どこの国にも属さずに魔族と戦うことを最優先にできる戦闘集団だ。国を超えて戦える者が集められるから、出身地も何もかもばらばらである。

 この時代のこの世界において、人間は人間同士で争っている場合ではないという見解を共有できているため、そういう世界が形作られている。言葉すらも【統一言語】が数百年前につくられ、広まっている。

 昨今は国の区別すら緩やかになっており、国の名前は単に自治権がある土地を、【州】として区別するための名称になりつつあった。

 ある意味では、平和な時代なのだ。

 魔族という共通の敵がある限り、の話だろうけど。

 シャクラは、まじまじと隣に座るフェイのやわらかい金色の髪を見下ろしていた。

 

「姉だったのですか……あなたのような奔放な姉がいる妹は苦労しそうだ」

「あら、わたしちゃんとあの子をかわいく思っていたわよ。だってあの子は素直な良い子だもの。だからお父さまとお母さまのお気に入りだったしね」

「おい、目が笑ってない笑顔やめてくれ。かわいい顔が台無しだぞ」

 

 パンを齧ろうとしていたフェイは、一瞬動きを止めた。止めてから、自分の隣で無言で食べ続けていた先輩の方を見る。

 

「レト!あなた弟子に何を教えたら、こうもさらっと真顔で口説き言葉がでるようになるの」

「……俺は何も教えていないし、こいつはつまらない世辞を言う性格じゃない」

「そもそも口説いてねぇっての」

「なおさら悪い!!」

 

 少し頬をふくらませる妖精みたいなこの女の子が、自分がここで会った誰よりも可愛い女の子なのは間違いないのだから。

 気のせいか、耳が桜貝のような色合いになっているフェイを見ながら、食事を続ける。

 

「フェイに、結婚をする予定はあったのか?」

 

 というのに、ぼそりと先輩が問うものだから水を吹きかけた。

 フェイがにっこり微笑む。耳の色は元に戻っていた。

 

「あったわよ。あったけれど、細かいことはどうでもいいでしょう。聞いても不快になるだろうし」

 

 つん、と横を向いたフェイに、シャクラは頷いた。

 

「大方予想はつきますがね。あなたの年齢と家柄で【魔力持ち】というなら、縁付きたい家はあったでしょうから」

「わたし、あなたに家のことを話した覚え、ないのだけれど」

「それくらい、立ち居振る舞いを見ればわかります」

 

 そういうモンなんですか、と聞くつもりで先輩の顔を覗き込むと、真顔で首を傾げられた。

 先輩にもわからないのだ。

 歩き方や走り方で、武術をやっているかはわかっても、さすがにそこまで高度なことまではわからない。

 教養がちゃんとある上流の出身者は凄いものだなぁ、と水をごくりと飲んだ。

 【魔力持ち】は、普通の人々にとっては有難がれるそうだから、そういう血を繋ぎたい家というのは、有り得そうな話だった。

 年齢一桁代のときから、ほぼ戦うこととドラゴンのことしかしてこなかった自分や先輩にも、それくらいは予想ができる。

 にしても、不毛な気がしてしまうのは【魔力持ち】同士の子は、元々授かりにくいと知っているからだろうか。

 

「で、そっちの澄まし顔は、なぜ突拍子もないことを聞いているのかしら。会話の脈絡がなさすぎるのはいつものことだけれど」

「お前より歳下の妹が結婚するというなら、お前にもそういう話があったのかと思ったんだ。俺の姉はお前より歳上だったが、そういう話が来たのはもっと後だったから」

「……ふぅん、そっちにはお姉さんがいたの」

 

 『いる』でなく、『いた』。

 フェイも何かを察したらしく、眉を下げた。

 井戸の釣瓶が落ちるように、空気が暗くなりかける。察したのか、先輩は手に持っていた食器を置いた。

 

「いやその……すまない。重くするつもりはなかった。俺はそういう話に疎いから、気になっただけだ。フェイがまだきな臭い話で困っていたなら、尋ねたほうがよいか、と思ったのだが……」

 

 余計な世話だったか、と無表情のまま内心は焦っているらしい先輩は、早口に言った。

 尖りかけていたフェイの眉が下がる。

 

「別に、余計ではないわ。【魔力持ち】にありがちな話と言うだけだから。女のほうが魔力を取り込みやすく、溜めやすいというだけで煩わされるのが、嫌だったの」

「何某か持ち込まれた話はあり、しかし貴女はそれを蹴り飛ばして家を出てきたということですか?」

「わたしの半生を纏めてくれてどうも。わたしはね、わたしより強い男の人とでないと、結婚しないって言っただけよ」

「そんなの早々いるわけねぇだろ……」

 

 強靭な翼が生えているドラゴンが駆ける空にまで上がり、魔族の首を捩じ切る胆力がある少女より強いやつなど、少なくとも並みの良家の子息にはいないだろう。

 思い切りが良すぎる。そこまで親の言うなりが嫌だったのか。

 フェイは、こてりと首を横に倒した。

 

「ええ、いなかったわ。だからわたしはここにいるの。……と、考えてみたら家のことを話したの、初めてかしら?」

「そうだな。オレは……うーん、名前くらいしか言えることねェな。アジィザって、強いって意味あるだろ」

「そんな意味、あったかしら?」

「オレの中では。だから良いんだ。格好いいし」

 

 訝しげなフェイに向けて、に、笑ってみせる。

 確かに、この世界の言葉に照らし合わせると、自分の名前の音にそんな意味はない。たまたま、【前】の世界で聞いたことのある言葉と、同じ音であっただけだ。

 こちらの世界で、アジィザという言葉には精々数字の『七番目』だか『八番目』ぐらいの意味しかないのだ。

 食べるのを再開した先輩は、何か言いたげな視線をよこすが自分はそれを避けた。

 誰がくれたかも最早わからない雑な名だから、こういうのは気に入った者勝ちである。

 ジザと呼ばれるのも、嫌いではない。

 

 そうやって他愛ない話をして、今日という日は過ぎていった。

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