第2話 ドラゴン乗り-2
【蒼の巫女】レテが登場するのは、全三十巻を超えるコミックスにおいて、物語も中盤に差し掛かったころである。
端的に言うと、割と遅かった。
だというのに、彼女がどうして人気投票で上位に食い込むほどのヒロインだったのかといえば、その背景と作中での活躍が原因だろう。
原作の物語において、人間とドラゴンが守る南の大陸と、魔族が暮らす北の大陸の間の海には、壁が存在する。
壁といってもそれは人間側が築いた結界であり、北の大陸からの侵攻を魔力で遮り、押しとどめている。
薄い金色に輝く光のヴェール、誰が呼んだか【百年結界】。
ドラゴンライダー・レテは、この結界を張るために身を捧げた【暗黒期】の英雄である。
物語では、彼女の語る百年前の戦いは【過去編】として扱われる。そのシーンにおいて、彼女は腰まで届く青の髪に、自らが契約したドラゴンと同じ群青の瞳を持ち、敵軍を何度も蹴散らして侵攻を食い止め続けた戦女神さながらの戦士だった。
【暗黒期】最後の戦いで、彼女と彼女が駆るドラゴンとは、魔族を一時的に押し返しそのまま【百年結界】の要石となる。
当時最強レベルの魔力を持つレテとレテのドラゴンが人柱となることで結界は完成し、なんと百年もの間、魔族に海を渡らせなかった。
これが破れかけるところから、物語の本編が始まるのだ。
ともかく、レテはたった一人と一頭で結界を保ち続けた。
物語中盤で結界が耐えられなくなったと悟った折、彼女は思念体を飛ばして主人公たちに寄り添う。
ドラゴンとより深く繋がり、一体となって戦う術を教え、過去の戦いを語る。
華奢な少女が背負わされた、人柱としての百年間を支えたのは、当時の人々を守りたいという純粋な愛だった。
無口で無表情で苛烈に主人公を鍛える師匠として、かつての英雄として君臨したかと思うと、繊細で優しく、少し口下手な少女の面を覗かせるレテ。
そんな彼女は、物語終盤において死ぬ。
結界がついに耐えられなくなり、砕け散ったそのときに、彼女の人生も終わるのだ。
思念体を飛ばしたのは、自分の後継を鍛えるため。戦いを受け継いでくれる希望の光を見つけるためだったのだと明かされるのも、このときだ。
物語に登場した瞬間から、レテにはこの戦いを生き延びようという意志も、生き延びられる道もなかった。
さようなら、愛しい世界、大好きだったあなた、と、儚い微笑みとともに主人公へ告げたレテが光の粒となって砕け散る最後の台詞は、涙無しには読めなかった。
そこから、最終決戦が始まり、レテの最期の言葉は開戦の号砲となる。
茶化さねばやってられないという悲壮感から、公開告白というやつもいたが、文字通りレテは、主人公への淡い想いを、淡い想いのまま抱いて、散ったのだ。
で、そんな終わり方をした儚げ美少女キャラクターに、人気が出ないわけがなかった。
キャラクターデザインも、アニメでの声も文句なしとなれば、言うことはない。
かく言う自分も、好きだった。
キャラクターとして一番好きなのは主人公と幼馴染みのカップルだったが、場面としてならばレテの回想と最期のシーンが、最も好きだったのだ。
だがそれは、過去の話である。
百年前の、【蒼の巫女】レテ全盛期となるはずの時代において群青の雌のドラゴン・シランに乗っているのは、【蒼】のレトである。
レトは、男である。
どこからどう見ても、男なのである。
あと髪も色が違う。眼は群青だけれども。
「無口無表情口下手って、美少女がやるから絵になるし許せるんであって、美形野郎がやってても、なァ……」
「お前はよく意味がわからないことを言う。が、今のはわかる。確実に俺を馬鹿にしただろう」
「してませんって。先輩が今日も美少女だなって思ってるだけです」
「……俺は男だ」
「そうですね。だから問題なんです」
先輩のドラゴン、シランの角を磨きながら答える。
普通なら、ドラゴンは己の認めた乗り手以外背に乗ることなど認めない。
だが付き合いが長いお陰か、シランは自分が乗っても怒らないのだ。
尚、コクヨウは先輩が背に乗るのを嫌がるし、なんなら乗り手の自分以外が側によるのも嫌がる。メンタルが基本ビビリのトカゲだからだ。
などと考えていると、ベシ、と黒い棘の生えた尻尾が地面を叩き、足元が揺れた。ぼわん、と不機嫌の証である黒い煙が、真っ白い、人の腕以上の太さの牙の隙間から漏れる。
しょうがねぇなぁとシランの背からコクヨウの背へ跳び移る。
首の付け根の鱗をかいてやると、コクヨウは一抱えもある皿のように大きく赤い眼を細め、ぐるぐる喉を鳴らした。
ドラゴン乗りの瞳の色は、繋がったドラゴンの瞳と、同じに染まる。
コクヨウは違うが、大体のドラゴンは、鱗の色と瞳の色が同じだから、瞳の色を見たら契約龍の鱗の色も大体はわかる寸法だ。
故に自分の瞳も、コクヨウと同じ血の赤色。髪も赤で、肌も褐色。
何から何まで、【前】とは違う。
地味に不満なのは、黒い鱗に紅い瞳なんて、まるでラスボスが乗ってそうなカラーリングであることだ。倒されそうじゃねぇか。
乗り手の自分も、赤毛で赤眼なものだから、頭から血を被ったときはエライことになる。
振る舞いは大型犬じみた、しかし面はあくまで凶暴な黒ドラゴンを撫でながら、自分はシランの足の付け根に座り、無表情で本を読む先輩に声をかけた。
「先輩、そういえば近々オレたちの側から敵さんに攻め込むってマジですか?」
途端に、先輩は手に持っていた本を取り落としたのだから、自分はケタケタ笑ってしまった。
【レテ】であったならば、普段はクールな美少女が見せるギャップということで収まるが、現実はドジなポニーテール野郎である。
凄く、夢が無い。
先輩が、【レテ】のように髪を伸ばしているのだって、シランが切るのを許さなかったというなんとも締まらない理由であるし。
「……誰から聞いた」
「まず否定しないってことは事実ってことでいいんですね」
しまった、とばかりに先輩は一筆で描かれように整った眉を寄せた。
「だって、オレらドラゴン乗りに交代で休暇与えるとか、変じゃないスか。会いたいやつがいるんなら今の内に会っておけって、シャクラさんにも言われましたし」
「あのお喋りが……」
「気遣いってやつですよ」
戦場で出会った人たち以外に、特に会いたい人も会うべき人もいない自分にとっては、今日の非番というのは完全に無用の長物だったのだ。
てっきり、先輩は誰かに会いに行くものと思っていた。
というのに、これである。
この人、シランと後輩の自分以外でちゃんと話ができる相手がいるのか怪しい。
【レテ】はその強さと、当時は一人しかいない例外の女ドラゴン乗りであるが故に、高嶺の花のように孤立していた感はあった。
彼女と同じか、それ以上に強い先輩も同じことになっているのだが、ガワが美少女じゃない先輩がこうだと、単なるコミュニケーション能力の問題に見えてくる。ああ無情。
落とした本を、何事もなかったみたいな顔をして拾う先輩を、コクヨウの背中の上から眺める。
どう取り繕って説明しようか、先輩の頭の中は大回転しているだろう。
無駄だけど。
どうしようか、と思ったとき、地面が影に覆われる。見上げれば、朝日に眩しい白銀の鱗のドラゴンが舞い降りてくるところだった。
背には、真っ黒な髪の丈高い青年が一人。
何を考えているやらわからない先輩や、礼儀がなっちゃいない自分とは違い、貴公子然とした雰囲気を纏っていた。
同じ黒を基調にし、銀色の手甲や脛当てをつけるドラゴン乗りの戦闘服を着ているのに、まったく印象が異なるのだ。
凛と背を伸ばしたまま、そいつは地面に降り立つ。
「レト、ジザ。やはりここにいましたか」
「シャクラさん、どうもっす。帰って来たんですか?」
コクヨウの角の根本に座る自分、シランの足元に座る先輩を見て、一人で勝手に納得したこのドラゴン乗りは、シャクラ。
親父も爺さんも、そのまた爺さんもドラゴンライダーという由緒正しい家の出で、実際白銀龍のエラワーンとの戦闘では、鬼神さながらに暴れ回る。
それからこの人は、主人公の父親だ。
「ええ。久方ぶりに母ときょうだいたちの顔を見ることができました。あなたがたは……」
一度言葉を切って、ふむ、とシャクラは顎に手を当てる。
「いつも通り、というわけですね。楽しそうだ」
「楽しくねぇ……ですよ。昨日、ほぼ徹夜で鱗磨きしてたんですよ、こちとら」
「軟弱なことを。我々ドラゴン乗りが一晩二晩寝ずに過ごして、どうこうなるわけでもないでしょう」
そうですけどねぇ、とグルルと唸り出したコクヨウの額の中心を叩きながら、苦笑いをこぼした。
シャクラは決して、悪い人間ではない。むしろ、善い人だ。
悪い人間ではないのだが、言うことが正論過ぎて人に嫌われやすい。
他人に厳しいが、自分にはそれ以上に厳しい在り方は、きっと彼の父祖から継がれて来たものなのだろう。
ここに、先祖代々ドラゴンライダーとして戦って来た名門の出という威光までくっつくのだから、何を言われても無表情で堪えない先輩と、その先輩とツーマンセルを組んでいる自分と、あともう一人くらいしか、気安く話せる人間がいない。
周りが勝手に委縮し、人間として出来が良すぎて女も近寄れない有様だ。
だけれど真剣に、もう少し友人を増やしてほしい。
アンタが息子つくってくれないと世界滅ぶんですよ、と言いたいくらいだ。言えるわけがないけれど。
「おいシャクラ、ジザに何を言った」
「何を、とは」
「会いたいやつがいるならば会っておけと言ったんだろう」
「言いましたが、何か問題がありますか?」
「あったからこうなった」
「うわちょっと、待ってくださいって」
コクヨウの背から跳び下り、二人の丁度間に着地した。
「ンなふうに角付き合わせんでくださいよ。先輩、大方総攻撃の話をオレにどう切り出すのか迷ってたんですよね?」
遅かれ早かれ知っていたことだ。
自分たちの上は近々、こちら側から打って出て魔族を海にまで押し戻し、そこで【結界】を発動させるつもりなのだ。
その【結界】は、数体のドラゴンの亡骸を要石に配置し、数人のライダーが魔力を同時に流すことで発動する、大魔術だ。
それによって生み出される結界で、五十年は魔族の侵攻を抑え、その隙に体勢を立て直そうという人間側の作戦である。
が、【原作】でこの作戦は失敗する。
正確に言えば、半分だけ成功するのだ。
要であるドラゴンの遺体が、敵によって破壊されてしまい、その欠けを埋めるためにレテは己のドラゴン諸共魔術の中に飛び込み、生きたまま結界の要となる。
百年後、それで彼女は死ぬ。
尚、五十年で計画された壁が百年保たれたのは、ドラゴンと共に飛び込んだレテの魔力量が、想定外に高かったからである。最強すぎる。
「シャクラさんは単に教えてくれただけですって。先輩は何を怒っているんですか」
「……言おうと、思っていた」
「要するに、私が伝えるまで言ってすらいなかった、と。弟子の察しの良さにいつまでも甘えていてはいけませんよ。貴方はジザの師匠でしょう」
「ぐ……」
「そっちは煽るのやめてくださいって!レト先輩割と繊細なんですよこう見えても!」
「ドラゴンの炎が間近に駆け抜けても、眉一つ動かさないこの男がですか?面白い冗談ですね」
「こら」
これまた別な声が、空から舞い降りて来た。
ふわりと風を纏い、自分たち三人の真ん中に降り立ったのは、自分と然程歳の違わない少女である。
金色の髪に金色の瞳をした彼女は、フェイ。名前の通り、妖精のような外見の小柄な女の子だ。
フェイは、ドラゴン乗りではない。
ドラゴン乗りではないが、自分たちと変わらないかそれ以上の魔力を扱うことができる【魔術師】で、シャクラの相棒なのだ。
そして笑顔のまま魔力で以て魔族の首をねじ切り刈り取り、返り血を浴びて戦場に立つ物騒極まりない妖精少女。
これまたついでに言えば、【主人公】の母親だ。
イヤほんと勘弁してほしかった。主人公の母親の若かりしヤンチャぶりとかマジで知りたくなかった。
「シャクラ、あなた、人のことをどうこう言えたものではないでしょう?わたしとレトとジザくらいしか、友達いないことを地味ぃに悩んでるんだから。繊細なのは、あなたも同じじゃない」
「そうなのか、シャクラ?」
「なっ、悩んでなどいません!」
「……大丈夫だ。俺はお前の友人だからな」
「悩んでいないと言っているでしょう!その妙に勝ち誇った顔をやめなさい!」
残念ながら、やめろと言われて先輩がドヤ顔をやめるわけない。
涼し気な顔の先輩と、それに噛み付くシャクラを眺め、自分はこっそりため息を吐いた。
「あの二人、いつ見ても面白いわね」
「火ィつけたのはフェイだろ」
「ふふ。だって、からかうと楽しいのだもの」
「そんなものかな……」
言葉の合間にこちらの頬を指でぷすぷすと突っつきながら、フェイはころころ笑い、宣う。
くすぐったいのでやめて頂きたい。
「ジザはからかってもあんまり引っかかってくれないから、つまらないわ」
「オレまで引っかかってたら収集つかなくなるだろどう考えたって」
「そう?」
「そうなんだよ」
ここには自分以外、天然ボケと、わざとやってるボケと、ツッコミに見せかけたボケしかいない。ツッコミが足りん。
シャクラとフェイは、男と女として付き合うんだよなぁと、自分はいつも見ていて不安になる。
子作りに成功しなきゃ世界が滅ぶカップルなんて、ここが地獄の三丁目か。
「で、フェイが来たってことは、次の戦いは、この四人で飛べってことでいいのか?」
フニフニと自分の頬をつまんで引っ張ろうとする白い手を押し留めて尋ねれば、フェイは悪戯っぽそうな表情を吹き消して、頷いた。
「ええ。わたしたちは東方面を守るの。ジザは、作戦の中身は聞いたの?」
「いや、ゼンゼン。多分こっちの被害が甚大になりそうな作戦が始まるんだろうなってことくらい」
「本当に全然知らないのね。これはレトの怠慢だわ」
「いやー、多分今日中には言ってくれたと思うよ。あ、ほら、めっちゃ何か言いたげにこっち見てる」
「……出来がいいのも考えものね。ジザが視線だけで読み取ってたら、レトの口下手が悪化するわよ」
「あれより悪くはならないよ」
「あなたも何気にひどいわね」
付き合い長いからなぁ、と返す。
先輩は恩人だし、自分なりに尊敬もちゃんとしている。
例え先輩が、美少女じゃないドのつく口下手でそのせいで諸々と苦労したとしても。
シャクラに肩を突かれた先輩が、こっちへとやって来る。
怜悧な刃物のような目でこちらを見下ろし、言うのだ。
「ジザ、お前は次の戦いには連れて行かない。だから、言う必要はないと思っていた」
ぴし、と空気が凍る音がする。
フェイは額に手を当て、シャクラは頭を抱えて肩を落とす。
自分はと言えば、にっこりと丁寧極まりない笑みを浮かべ、口を開いた。
「上等だ表出ろこの石頭。オレも行くに決まってんだろうが」
「お前にはまだ、早い」
「何が早いってんだ。オレも戦えてる。力が足りないなんて言うんなら、今すぐここで模擬戦しろ。オレが勝ったら行くからな」
「……わかった。負けたら四の五の言わず、ここを守れ。いいな」
付き合いが長い分、互いの言いたいこと、言わんとすることはわかる。
先輩にはこちらを戦場に行かせる気はなく、自分にははいそうですかと頷くつもりは微塵もない。
どちらも同じほど、頑固なのだ。
階級上は、先輩も自分も同じ。ただのドラゴン乗りである。
師匠ではあるが、この人は従わなければならない上官ではない。
流れるように決闘を決めた自分と先輩に、シャクラとフェイがよく似た仕草で頭を抱えるのが目に入った。
乗り手同士の闘争心を感じ取ったか、シランとコクヨウが伏せていた頭をもたげる。
だけれどそのとき、空気を切って甲高い笛の音が響いた。
ピィィィィィという音は、【龍笛】。
つまりは敵襲を知らせる、戦闘開始の合図だった。
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