セカイに強度が足りてない。
はたけのなすび
第1話 ドラゴン乗り-1
「先輩、オレ最近考えたんですけど、命かかってない状況だったなら、してみたかったかもしれません」
「……何をだ?」
「恋です。こーい。色恋のあれ」
「コイ」
「池の鯉が突然踊り出した、みたいな顔でこっち見るのやめてくれません?オレも流石に傷つくんスけど」
「……ああ、あっちの恋か」
「そっちの恋です」
手の下できらきらと、宝石よりも眩しく輝く黒い龍鱗を、ブラシでごしごしと擦る夜のことである。
話し相手としては、岩よりいくらかマシなだけ、と称されるほどに無愛想な先輩は、いつもと変わらない無表情であった。
ドラゴンの鱗磨きという果てしない作業を夜にやり遂げるには、無駄話のひとつもしなければやってられないのだが、この先輩相手では話が広がらない。
そう思っていると、意外なことに先輩のほうから話を続けてきた。
「支障が出ない範囲ならば、いいのではないだろうか?」
「何の話です?」
「恋だ、恋の話」
お前が言い出したんだろうが、と言わんばかりのじとっとした目で見下され、うへぇ、と首を縮めた。
やおら、ぐるぐる、と低い音が薄暗い龍舎に響く。
先輩を首元に乗せたドラゴンが、群青の鱗をきらめかせて、首を動かしたのだ。
がっちり噛み合った白い牙の隙間から、ちろちろと瞬く火が見えていた。
「……尤も、俺たちには難しい話だろうな」
「そうですねぇ。お前ら嫉妬深いもんなァ」
ぽんぽん、と自分も自分のドラゴンの首の付け根を撫でるように叩く。
薄い黒曜石を重ね合わせたような、強靱で美しい鱗を持つ黒のドラゴンは、気持ち良さそうにぐるるる、と喉を鳴らした。
ドラゴン乗り、と先輩は言った。
そのまま、言葉通りの意味である。
自分も、そして先輩も、ドラゴンと繋がり、人龍一体となって空を駆けるドラゴンライダーであった。
「……ほんと、何でこうなったんだろ」
「ん?」
顔を上げれば、そこにはドラゴンの首の付け根に跨り、片手に巨大タワシを持ってきょとんと首を傾げている先輩がいる。
相変わらず、美少女と見紛うほど綺麗な顔であった。
癖のないやや茶色がかった黒髪は紐で無造作に束ねられ、瞳は騎乗するドラゴンの鱗と同じ、澄んだ群青。肌は白くてなめらかで、顔の造り自体も人形師が手にかけたもののように整っている。
だがしかし、男である。
これだけ綺麗であって、先輩は男である。
服の下なんか鍛えられていてえらくゴツい。少なくとも、自分よりは。
割と、ムカつく。
「……どうした?」
「なんでもないです。先輩、鱗磨き粉、いります?」
「む……もらおう」
何故こうなったかなんて、誰にも説明できやしない。
ドラゴンの鱗を斑に染める血の汚れを落としながら、自分のこれまでを振り返ることにした。
この世界は、物語である。
そうと自覚したのは、遡ること十一年前、六歳のときである。
育ての親共が集う、マッドで非合法な研究所にて、雷に打たれたようにバチッと悟ったのだ。
原因は、生まれて初めてドラゴンの吐いた炎を間近に感じたことだった。くそ熱かった。
頭の中に流れ込んできた知識によると、この世界のジャンルはファンタジー。
媒体は漫画から始まり、メディアミックス展開はアニメと映画とその他諸々。
ドラゴンと契約した人間、ドラゴンライダーを主軸に、人間と、魔の北大陸から進行してくる魔族との戦いを描いた王道の物語だった。
主人公も、無論ドラゴンライダーである。
山間の村で家族と共に静かに暮らしていたが、ある日突然魔族の侵攻を受け……みたいな、そんな話。
実は伝説のドラゴンライダーだった行方不明の父がいて、そのドラゴンが産んだ卵を受け継いで、などという設定も王道に踏んでいて、最終的には主人公と主人公のドラゴンと仲間たちが、めちゃくちゃ頑張ってラスボスを倒し、魔族を押し返してこの世界を守り切る。
主人公は努力家で熱血で、彼を支える幼馴染みは健気で一途で、彼ら二人を軸にした仲間たちでいつか世界を救う物語だ。
ドラゴンと人が絆を育み戦う王道のファンタジーとして、人気だったのだ。
漫画から始まり、アニメにもなっていた。
特にドラゴンの戦闘シーンの作画の精密さ生々しさがエグいほど高く、ドラゴン動けば敵も死ぬけどアニメ作画班も死ぬ、などとネットで言われていたほどである。
そんな超人気作品の唯一の問題点というか紹介する上で欠かせない作風の特徴は、キャラクターの死亡率が高いことだった。
それは、仕方ない面もある。
一般兵の魔族一人を人間が殺すには、熟練した人間の兵士三人が最低必要で、一対一で苦もなく魔族兵を殺せるのは、ほぼドラゴン抜きのドラゴンライダーのみ。
魔族はその名の通り魔術を使ってくるのに対し、人間にはドラゴンライダー以外魔術を使えるやつは、僅かな例外を除いてほぼいない。
情報がないまま魔将と戦闘すればドラゴンライダーが死ぬ、なんてことも割とあるのだ。
誰でも彼でもドラゴンに選ばれて乗れるわけではなく、一人前のドラゴンライダーを育てるには、最低三年はかかるとされているため、一度開いた穴は痛い。
流石に主人公と幼馴染みは死なないが重傷にはなるし、主人公の友人の一人は最終決戦に突入するより前に死んだ。
連載初期から登場していた人気キャラクターですら死ぬ仕様に、ネット上ではファンによる追悼会まで開かれたレベルである。
自分はといえば、アニメになる前から好きで、漫画も全巻揃えて、最終巻で泣いた、くらいのファンである。
グッズや舞台に血道を上げるほどではなかったが、キャラクターの名前を全部そらで言えるくらいには読み込んだ。
つまり、好きだったのだ。
相棒のドラゴンとの絆、仲間との絆、すべてを集め束ねて、犠牲を払って、それでも世界を救う主人公の物語が。
人を信じ、信じられ、諦めないで戦って生きられる主人公そのものが。
だが、断言する。
絶対に、転生したい世界ではなかった。
何せ名のある魔将が敵ともなると、ドラゴンライダーとドラゴンが死にもの狂いで戦ってようやく倒せるか否かというクソゲー仕様。
クソゲーというか、ここまで来るともう死にゲーの様相を呈している。
これがゲームならば、死んでもセーブとロードでやり直しが効くし、死に覚えなんて手もあったが、そんなものはない。
ある訳が、ない。
そんな世界に、ぽんと転生してしまったわけだ。所謂、【原作知識持ち】として。
ふざけるな馬鹿出来の悪い二次創作じゃねぇんだぞ。
なんて悪口雑言吐き散らしていられたのは、今は昔である。
自分の育ったところは、【神の子】を造ろうと企む控えめに言って、頭のおかしい研究者共が集う研究所であった。
異次元に住まう神をこの世に降ろせば、魔族すら跳ね除けられる人間を生みだせるはずだという、彼らなりの救世の信念にとっつかれた研究者の手により、生まれてすぐにあれこれと実験に晒されたのが、自分である。
生みの親は、知らない。
その結果なのか、自分は六歳で転生した、という自覚に芽生えた。
今考えると、異次元の【神】とはもしかすると原作者のことだったのかもしれない。
クリエイターの中には、どこかから変な電波でも受信しているとしか思えないような、クリエイティブでパイオニアな作品をするする創るのもいる。
だからもしかすると、あの物語の作者はこの世界からの電波だか思念だかを受け取って、漫画を描いていた、と考えることもできなくはない。
大分、SFかつファンタジーに侵食された、メタい発想ではあるが。
異次元の神を呼ぼうとして、自分のようなただのファンを呼んでしまったというならば、ご愁傷様である。
電波の逆探知にしくじったようなものだ。
ちなみに彼らは、救世のためにとバリバリ違法研究に手を染めていたため、ドラゴンとドラゴンライダーに薙ぎ払われた。
アレは本当に、ご愁傷様だった、
だが結局のところ、自分の転生にまつわる有象無象の理屈は、どうだっていい。どうだってよくなった。
何故ならば、今は物語開始より遡ることざっと百年前。ドラゴン戦争真っ只中。
作品中では【暗黒期】【苦闘の時代】【嘆きの五十年】。ファンからは【オワコン時代】【ただの世紀末】【人類は頑張ってた】とまでボロクソに言われる激戦期であったからだ。
【原作知識】なんぞ、なんら意味をなさない。
朝出撃していったドラゴンライダーが死体になって帰ってくるのはまだマシで、ドラゴンごと撃墜されててんやわんやになるのも稀にある。ドラゴンの遺体からはドラゴンの炎を跳ね返せる装備が作れるため、敵に奪取されると洒落にならず、死ぬ気で取り返すことになる。
そんな地獄一歩手前な戦況で、主人公がいずれ戦うことになる敵幹部のことなど、知っていてなんの役に立つ。
今は、海を隔てた北の魔大陸にいる敵の大将や将にすら届かず、人間側はどうにかこうにか、南大陸に上陸されるのを文字通りの水際で防いでいる時代。
魔族の敵含め、原作キャラの大半は現れてすらいない。
【暗黒期】は、人間側が制海権を取り戻すことで終わる。
終わるはず、なのだ。
「先輩、百年後って世界はどうなってるんでしょうね?」
「……何事もなければ、お前も俺も存命だろう。ドラゴン乗りは長命だから」
「何事もなければ、なんてあり得ねぇ前置きしないでくださいって。あー、つまり、百年後なんて考えても仕方ないってことですね」
「そういうことだ。半人前のお前は、自分が生き残ることに集中しろ」
「はいはーい」
だだっ広い食堂の席で先輩と向かい合わせに座り、カレーに似た、というか日本のカレーライスそのものと言っていい朝飯を食べる。
この世界、やはりどことなくあっちの世界と似ているところがあるのだ。食事で似たものを見つけたときは、本当に嬉しかった。
鱗磨きの夜が明け、先輩と自分とは久しぶりの出撃無しの日を噛み締めていた。
ドラゴンライダーは、ドラゴンと繋がっているためか、皆大食いだ。
先輩は男にしては見た目の線はやや細いし、自分もこの歳にしては少しチビだが、大男二人前は食う。
ドラゴンと、その乗り手の絆は特別だ。
ドラゴンと繋がった彼らは皆、体のどこかに龍鱗模様の痣が浮かぶ。
【
先輩の
ドラゴンは、現状南大陸にのみ住まう生き物の形をした自然の暴威だ。炎を吹き、空を飛び、山を崩し、大河の流れを変え、寿命も人間や魔族と比べれば遥かに長い。
同時に、ドラゴンは北大陸に住まう魔族そのものを憎悪していた。
理由は、この世界生まれの人間たちにとっては定かではなく、【原作】を知る自分はハブとマングースのアレだと思っている。天敵って、そんなもんだろうから。
それだから、魔族が彼らの領土である北の大陸から、南の大陸へと侵攻した何百年か前、それまで深山に住まい、干渉してこなかったドラゴンは人間の前へ降り立った。
ドラゴン同士は闘争本能が強すぎ、互いに手を取り合って共通の敵を相手取ることができない。
故に、目に叶った人間を乗り手とすることで部隊を作り、魔族を迎え撃つと宣言したのだ。
ドラゴン側の意志を人間に伝えたのは、初代のドラゴンライダーだったという。
乗り手なしのドラゴン同士の連携が取れないというのは、本当だ。半径一キロに同性のドラゴン同士がいると、彼らはすぐ乱闘を始める。
個体として強力な分縄張り意識が高く、侵入者に対して殺し合うほど熾烈になるドラゴンのサガだと生物学者は言うし、自分も漫画の考察などからしてそういうことだろうと思っている。
だがその性質は、人間と魔力で繋がることで緩和される。人間の感情や情緒を感じることで、本能が幾分抑えられるのだそうだ。
鱗印を通じ、ドラゴンの魔力が人間に流れ込み、神経回路にも似たある種の不可視の線が結ばれるというが、こちらの理屈は自分にはよくわからない。
ドラゴンに繋がれた人間は、身体能力や回復力が魔族並みに高くなり、魔力を扱えるようになる。
魔力とは自然に満ちる、これまた不可視なエネルギーとされているが、詳しい理はやはり、自分にはわからないのだ。
とりあえず、ドラゴンに触れて体中が燃えるように熱くなって、鱗模様が体のどこかに浮かべば人間やめちゃった系の防人になる資格が得られますよ、という認識であるのだ。
ドラゴンライダーは、寿命すら平均八百年というドラゴンと同じになるはずだ。
殉職率が高すぎて、そんなに生きたやつを見ないが、老いは遅くなっているから、多分間違いではなかろう。
首を落とされたり、心臓を完全に潰されたり、灰になるまで燃やされれば死ぬが、そこまでせねばドラゴンライダーはなかなか死なない。
自分も、そういう人間やめかけの領域に踏み込んで早八年。
マッド研究所生まれ、戦場育ちのどうしようもない赤毛の餓鬼は、ドラゴンライダーとして今日もあくせく空を駆ける日々を送っていた。
「先輩はどうすんですか?オレはコクヨウと森の縁辺りで過ごすつもりですけど、街にでも行きます?」
「俺もシランといる。あいつは森の縁が好きだからな」
ふぅん、と自分は鼻を鳴らした。
コクヨウと名をつけた黒鱗ドラゴンは、自分が卵から育てた。
普通ならドラゴンは乗り手の人間が死ねば、また新しくライダーを選び、戦う。
人間のほうがドラゴンより脆いから、乗り手が入れ替わることは珍しくない。魔術で狙撃されて乗っていた人間だけが戦死、というやつだ。
だけどコクヨウは、卵のころに研究所によって母元から盗み出された。
そして黒ドラゴンは、卵のころに出会い、唯一自分を実験動物扱いしなかった自分に、依存してしまったのだ。
コクヨウは、誇り高くて我の強いドラゴンにあるまじき、雑魚メンタルトカゲなのである。自分がいなければ、すーぐ駄々っ子のように不機嫌になる。
だから自分は、非番だろうが何だろうがコクヨウの側にいるしかない。
別に街に行きたくなる理由なんぞないから、構いはしないが。
これで普通のドラゴンならば、クソ雑魚メンタル火吹きトカゲなどと乗り手が考えた時点で、その首を食いちぎっている。
乗り手の思考は、ドラゴンにほぼ直接伝わるからだ。思念の飛ばし合い、要するにテレパシーは、空中戦では必須技術だった。
そういえば、主人公は人間ともテレパシーできるほどに思念能力が高かったなぁ、と思いだした。
テレパシーには、憧れる。
自分にもあったらいいのに。
「……何故俺を見る」
「いえ別に」
やっぱりないほうがいいか、と目の前のこの先輩を見て手のひらを返した。
原作開始百年前のこの時代、原作キャラのほとんどは確かに生まれてすらいない。
だが、例外はいる。
目の前の、このカレーライスらしい煮込み料理をもぐもぐと頬張っている二十歳そこそこに見える青年なんかは、その一人だ。
だがしかし。
「先輩は……ハイ、男ですよね」
「見ればわかるだろう」
「レト先輩の首から上は美少女です」
自分の軽口に、割と真剣に不服そうな顔をする先輩、レト。
【彼】は、【物語】の中では彼女だった。
作中屈指の人気ヒロイン、【蒼の巫女】のレテであったのだ。
人気ヒロインが美青年になるとかマジで人を選んでやがる、と思いながら、自分はカレーもどきの最後の一口を飲み込んだのだった。
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