02:登場人物にヴィジュアルモデルを設定するか否か
俺は小説の「本文」を書き始める前に相当に設定を詰めてから書くのだけれど、今回は登場人物の設定について話してみたい。
ここカクヨムでも、アルファポリスでも、俺の小説で一番評判がいいのは「パパでき」こと「親父が超絶美形なせいで俺は恋愛ができない」である。
連載中に、アルファポリスで以下のようなコメントをいただいた。
『なんで暁みちるのイラストがないんですか?』
失礼ながら、ちょっと唖然としてしまった。
私はみちるパパを読み手の想像で思いっ切り美しい人物を思い浮かべていただきたかった。だからあえて、ただ『美人』だとか『女神顔』と抽象的な描写にとどめて、具体的な描写は排除し、あくまでもどこまでも読者さまのイマジネーションにお任せした。
のだが、このようなコメントをいただいたので、私は上のような返信をした。
ここからが本題だが、小学校の頃から漫画を書いていた私は、十代の頃までは、自分でキャラクターのイメージ図を描いてきた。しかしながら、私には絵心がない。
だから、数年前から、まああまり大きな声では言えないが、必要性がある場合に限って、登場人物に実在する人物をキャラデザ、もしくは外見モデルの素材として脳内で勝手に拝借させていただいている。
——すまん、今『脳内で』と書いたが、ここ二年ほどはスマホの画像をシールとして印刷できるインスピックというハイテクマシンを駆使し、ネタ帳に貼ったりしている。肖像権侵害かな、やべぇかな。
ヴィジュアルモデルを設定するメリットは、物語の序盤で登場人物の外見を描写する際に楽だという点が挙げられるが、デメリットも当然あって、あまりにもその実在の人物まんまで書いてしまうと、パーソナリティまでその人物に引っ張られてしまったり、話が進んでもオリジナリティが立ち上がらない、要するに『キャラ立ちしない』、そして最悪バレるということである。
私の場合、ヴィジュアルモデルは、『イメージ』に留めておき、自分の中でそのキャラクターのパーソナリティや行動理念、劇的欲求(多分別項で説明する)などが立ち上がってくれば、モデルは不要となり、お役御免となる。
それでも私がイメージ像としてヴィジュアルモデルを設定するのは、ざっくばらんに言うところの、
テンション上がるから。
今『はぁ?!』とか『くっだらね!』って思っただろ? な? 思っただろ?!
しかしだな、特に長編を書く場合、この『テンション上げる』というのは非常に大事なことでっていうか『テンション』という和製英語をあまり使いたくないのが、まあ『モチベーション』と言い換えるか。
とにかく、惰性でだらだらと何十万字と書くのは別として、新人賞に送るために長編を書く場合、仮にプロットやストーリーライン、キャラクター設定、バックグラウンド設定、その他諸々が決まっていても、実際に本文を書くマインドセットがないと、それら設定はなんの意味もなくなる。っていうか今俺がその状態。
そういう時にヴィジュアルモデルがいると、頭の中でその人が動くことをイメージして見ると、モチベが上がったりすることがある。要するにアテガキなのだが、そういう妄想をするとちょっと気分が高ぶる。この高ぶりは馬鹿にできたものではない。
逆に、あえてヴィジュアルモデルを設定しないケースもある。
「こいつに特定の人物の顔を割り当てたら、イメージが具体化されすぎてのびのびと書けないな」といったキャラクターが誕生した場合は、もう脳内で妄想し続ける。こっちが普通というか、スタンダードかもしれんがな。
というわけで、普段イラストでキャラデザされている書き手さんや、登場人物の描写にお困りの方、自分の脳にがっちり鍵をかけて三次元のヴィジュアルモデルを設定してみてはいかがだろうか。
もし良い結果が出たら、是非この記事のコメントでご報告いただきたい。
今回は以上、次は裏話をしてみたいな。
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