06話.[すやすやモード]

 六月になった。

 私達は放課後の教室で急いで帰っても仕方がないからゆっくりしていた。


「そういえば結局私はれんになにもできていないが」

「あっ、そういえば楠橋が入ってきたから途中で終わったんだよな」


 それからも言ってくることはなく、こちらとしても忘れていたようなそんなこと、いま思い出したのは本当にたまたまだった。

 ただ、こうして思い出してしまえばなにが言いたかったのかが気になるというもので、抑え込むことはせずに言ってみた結果がいまに繋がっている。


「私としては物を貰うよりもくろに触れていたかったんだ」

「そうか、それならこちらとしてもお金を使わなくて済むからいいが……」

「だからいいか? ここにはもう私達しかいないからさ」

「ああ、世話になったから好きにすればいい」


 触れると言ってもこの前みたいに腕を抱いたり、急に頭を撫でてきたりしただけでこれが本当にしたいことなのか? とついつい考えてしまった。

 テストで頑張ったことによるそれと、誕生日を祝うためにしているにしてはしょぼいと言うしかない。

 だが、先輩はこれでも満足そうな顔をしているから水を差すのも違うため黙っておくことにした。

 私でも言えないことはある、あと、一応相手のことを考えて行動もできる人間のつもりだ。


「普通は逆じゃないといけないんだよな……」

「後輩に甘える先輩がいたって問題はないだろう」

「でもさ、たまにはくろにも甘えてほしい」

「私に無茶を言うな」


 どうすれば甘えたことになるのか分かっていない状態でしても意味がないし、上手く他者に甘えられる人間だったら多分こんなことにはなっていない。

 もし私が上手くやれる人間だったらグループに所属して複数人の人間と楽しくわいわいやっていたことだろう。


「正直に言っておくと私はあの朝、れんに帰ってほしくなかった、自分から帰れと言っておきながらあれだがな」


 もうあの日ではないがこれは甘えたことにならないだろうか? 一緒にいてほしいと言っているようなものだから該当していると思いたい。


「なんだよ言えよ、なんでそういう大事な情報だけ言ってくれないんだよ」

「貴様も意地が悪いな、私に恥ずかしい気持ちを味わえと言いたいのか?」

「え、なんでいまのは言えたのに『いてくれ』と言うのが恥ずかしいんだよ」

「じ、時間が経過しているからだ、それぐらい言われなくても察してほしいがな」


 まあいい、こうして積極的にこちらといることを選んでいるから求めてしまっても問題はないはずだ。

 自分が求めた瞬間に離れた、なんてことになっても案外、普通に過ごしていそうな気がしていた。

 ひとりで過ごしてきた時間が長いからかもしれない。


「しっかし、楠橋は本当に油断できない相手だ、くろもどうやら強気な対応ができないみたいだしな」

「そんなことをする必要が全くないからな」

「でも、ちゃんとこっちの相手もしてくれるからいいんだけどさ」


 結局そこに戻ってくるなら言う必要はない、相当不機嫌な状態だったり体調が悪いとかそういうことでもなければ私は相手をする。

 無視できないと言った方が正しかった、いい内容であれ悪い内容であれ同じくそういうことになる。


「出かけることはできたから次はなにをすればいいんだ?」

「泊まることはもうしたぞ」


 心配だからと見ておくためにしたことが該当しないということならこちらが元気ないま泊まればいい。

 問題になる行動をするわけではないし、一緒にいて面倒くさいと感じることも少ないから歓迎できる。


「確かに、じゃあ……デートだな!」

「同性とそんなことをして楽しいのか? そもそも、それは出かけることとなにが違うのだ」

「行き先が同じでもその間にすることを変えればデートだ、楽しいかどうかはくろとなら間違いなく楽しいぞ」


 それなら放課後の教室でこんなことをしていないで外に出た方がいいだろう。

 六月とはいえ、まだ雨は降っていないからゆっくり見て回ることができる。

 なかなか放課後に店を見て回るということはしてこなかったから新鮮で、少しだけ速歩きになっている自分がいた。

 振り返る度に距離ができていて気になるから手を握って移動を再開する。

 ちなみに先輩は全く楽しそうな顔はしていなかった、こうしてまじまじと見てみても楽しめているという感じは伝わってこない。


「私達がデートをするのは早かったみたいだな」

「違うよ、くろがどんどん行くから放置されて不貞腐れていたんだ」

「なるほど」

「でも、ここからはゆっくり見て回ろう、急がなくてもまだ時間はあるよ」

「ふっ、そうだな」


 十九時ぐらいまでは外にいても問題ないから自分で自分を落ち着かせる。

 小中時代ではできなかった友達と店を見て回るという行為は普通に楽しかった。

 目的がなくても信用できる相手が側にいてくれればここまで変わるのか。


「れん、甘えていいか?」

「は、はあ? さ、流石にここじゃ駄目だろ……」

「それなられんの家に行こう」

「えぇ、せっかくいい感じだったのに……」

「いいから早くしろ、これは色々な物が欲しくなるからデメリットもあると分かったことだしな」


 私だってこんなところでしようとは考えていなかった。

 ただ、まだ残ることになると焦れったくなるから早めに移動したかった。




「さて、じゃあ甘えるぞ」

「お、おう」


 とりあえず先輩の真似をして腕を抱いてみることにしたのだが、正直、これで嬉しくなるようなことはなかった。

 人それぞれどう感じるのかは違うから言うべきではないのかもしれないものの、先輩は少しおかしいのかもしれない。

 次は頭を撫でるという行為、が、これも自分がされているわけではないからなにをしているのだと考えてしまい失敗となる。


「駄目だ、やはりどうすれば甘えていることになるのか分からない」

「いまのはただ私の真似をしただけか?」

「ああ、それで少しでも分かればこれからしていこうと思ったのだが、どちらに対してもなんでこれで? と分からなくなっただけだった」

「お、おい、なんかナチュラルに馬鹿にされてないか? 私」

「そもそもれんといるだけで安心できるからな」


 いちいち触れなくたってこうして近い場所にいられていれば問題はない。

 私は先輩がしたくなったときに受け入れておくだけでいいのかもしれなかった。

 ある程度は勉強はできても人間関係に関することは勉強をしてこなかったので、ひとりで考えても無駄になる可能性の方が高いというのもある。

 簡単に言ってしまえば意味がないとかそういう風に終わらせてしまいたい自分もいるのかもしれない。

 これだという答えが出てこないものをずっと考えていると他のことに意識を向けられなくなるからだ。


「おお、じゃあ私が一方的に近づいているだけというわけじゃないんだよな……?」

「そんなこと一度も感じたことはないが」


 一緒にいたかったとかそういうことを素直に吐いてきたというのに不安そうな顔をする意味が分からない、私に気に入られて「うへぇ」という気持ちになっているのなら寂しいが分からなくもないが。


「れん、もし大丈夫そうなら今日は泊まってほしい」

「お、おいおい、もしかして体調が悪いのか? 今日はどうしたんだよ」

「多分あれだ、やっと自分から誘えるような人間が現れて舞い上がっているのだ」

「えぇ、なんだよそれ」

「ははは、だから大丈夫そうなら付き合ってほしい」


 なんだよそれと言われてもそのままのことだと答えるしかできない。

 ももより誘いやすいのは出会ったきっかけがあれだったからだ、だからこそやりやすいことというのもある。

 あとは真っ直ぐにぶつけても笑ったりしないところがいいのかもしれない、あ、もももこの点は同じだがな。


「つか、それならくろが泊まってくれればよくないか? いまは私の部屋にいるんだからさ」

「そうか、それなら着替えを持ってくることにしよう」


 食べさせてもらうのも悪いから食事と、借りるのも悪いから入浴を済ませてしまうことにしたのだが、


「えー! くろちゃん今日はいないの!?」


 なんだかやたらとハイテンションな母に絡まれてなかなか上手くはできなかった。

 ご飯を作るということで先輩はいまここにはいないため、遅くなれば遅くなるほど怒られそうで段々と焦りが出てきた。


「帰ったらちゃんと付き合うからいまは許してほしい」

「……分かった」


 異様に疲れた、部屋に行ったらまたベッドに引き込まれそうになったが我慢した。

 とにかくやらなければいけないことは終えたからまた外に出る、そうしたらすぐになんとも言えない空気が私を迎えた。


「……遅いぞ」

「すまない。だが、一応言っておくと迎えにきてほしいなんて言っていないぞ」

「か、可愛くねえ……」


 これで大体のところが分かるはずだ、分かればそれに合わせて行動すればいい。

 露骨とも言えてしまう先輩のそれが本物なのかどうかも知ることができたらもっと楽になる。


「なるほど」

「ん? あ、荷物を持ってやるよ」

「問題ない、いまのはこっちの話だから気にしないでくれ」


 遠慮してこないから相手をしやすいのだ、ここがももとははっきり違う点だ。

 私はきっとこういう友達が欲しかったのだ、冗談を言いつつも喧嘩にはならずに仲良しのままでいられるそんな友が。

 それならもっとこちらも言った方がいいのかもしれないと思って、


「れん、好きだぞ」

「は」

「もちろん人としてだがな」


 そんなことを言ってみた。

 人としてであっても冗談という形にしなければ私には無理そうだったから仕方がないことだと諦めてほしい。


「くろ」

「なんだ?」

「私も好きだ」

「ふっ、ありがとう」


 嫌われることもあまりなかったが好かれることもなかった、そのため、冗談でもなんでも好きだと言ってもらえることが嬉しいことだといまので知った。

 残念ながらその後の沈黙で全身が痒くなり始めてしまったものの、嫌いだと言われることよりは遥かによかった。




「って、結局これか」


 珍しくくろの方から誘ってくれたのに二十二時には既にすやすやモードだった。

 起こすのも悪いから複雑さをコーヒーでなんとかしようと一階に移動、だけど、温かい湯が出来上がるまでに時間が必要で結局吐いてしまった。

 多分、自分でも驚くようなことをして疲れてしまったんだろうな、結構吐いてくれるやつだけど大胆さなどが上がってああなってしまったんだと思う。


「ずず――あち!? ……あとにげえー」


 どこかにやるために砂糖を入れないで飲んでみたんだけど、意味がないどころかただただ苦味が口に残っただけだからすぐにやめた。

 で、これでまた歯を磨かなければならなくなったから洗面所に移動しようとしたときのことだった、とんとんと階段を下ってくる足音が聞こえてきたのは。

 移動しようとしても一、二階間を自由にくろがするわけがない、だから両親のどちらかが下りてきたと考えて入ろうとしたんだけど、


「……勝手に離れるな」

「あ」


 固まった、いや、物理的に移動することが無理になった。

 寝ぼけているのかこちらを背後からぎゅっと抱きしめてきているくろに困惑する。


「コーヒーが飲みたい、大丈夫か?」

「だ、大丈夫だけど……」

「……まだ寝たくないのだ、れんともっと話していたい」


 それなら同じ気持ちを味わってもらうためにブラックコ――はせずに、本人が欲しい分だけ砂糖を入れておくことにした。


「はい」

「ありがとう」


 いつもの私みたいにやらかしてから「ち、違うからな!」などと言い訳をすることもしないみたいだ。

 やっぱりこういうことがあると自分の年上らしくないところを直視することになって微妙な気持ちになる。


「最初からあれをすればよかった、あれは正に甘えていると言えるだろう?」

「わ、私を抱きしめても楽しくないだろ?」

「いや、先程のあれで分かった、私はああしてれんに触れたい」

「て、手を握るとか腕を抱くとかそういうことじゃ足りないと……?」

「ああ、どうせ甘えるならそのときにできる最大限の形で甘えたいからな」


 怖い怖い、目の前にいるくろが本物ではないように見えてくるぐらいには怖い。

 小さなきっかけで簡単に変わるということは私でも知っているけど、それすらなかったのにこの変化にはすぐについていけない。

 あ、いや、嫌な気持ちになることはないけどさ、なんかもう少しぐらいはゆっくりやってくれないと情けないところばかり見せることになってしまいそうだし……。


「楠橋は――」

「ももは関係ない、嫌なら嫌だと言ってくれればいい」

「……確かにそうだよな、私とくろ次第だからな」


 油断ならないとかああいう発言は冗談ではなかった、私が距離を縮めようと頑張っているのに簡単にすっと近づいてしまうからよく不安になってぶつけていた。

 その度に呆れることはあっても怒ってくることはなかったし、そのまま付き合ってくれたから感謝している。

 くろの人間性が好きだ、できればこの近さでずっと見ていたい。


「そういえばれんはいつの間にかお前と言ってくることがなくなったが、それはどうしてなのだ? なにか理由があるなら教えてほしいのだが」

「それはくろもそうだろ? ずっと名前で呼んでくれているだろ」

「いや、恥ずかしくなったら私はすぐに名前ではなく貴様と言うぞ?」

「じゃあ……好きだと言ってくれたときは恥ずかしくなかったということか?」

「さあな、そのときの私に聞いてくれ」


 無理だろそんなの、あと、多分あのとき聞いていたら「貴様も意地が悪いな」と言われていたと思う。

 そういうのもあってこれは吐いてくれない限りは延々と知ることができないことになってしまった、ちなみにこういうのが一番うわーともやもやすることになるんだ。

 全部言う気がないなら適当に口に出さないでほしい、それこそくろの方が意地悪な人間だということになるんだ。


「一応言っておくと、無理してコーヒーを飲まなければよかったと後悔している、私はやはり紅茶の方が好きだ」

「ははは、謝らないぞ」

「ふっ、そんなのはいらない。そもそもこの方法が自分には効かないと分かっていたのにした自分が馬鹿なのだからな」


 あまり効果がないのは分かっている、それこそ気になっている人間から冗談でも好きだと言ってもらえた方がよっぽど効果がある。

 まあでも、そういうことを繰り返しながら前に進んでいくのが人間だからたまにはああいう行為も悪くはない。

 後の自分が「あんなこともあったなー」と笑えればいいんだ、そのため、後の自分にとっては無駄なことは少ないと言えた。


「ただ、慣れないことをしてでもれんと話したいと思ったのは本当のことだから勘違いしないでほしい」

「あ、お、おう……」


 ……本人にそのつもりは全くないんだろうけど残酷な人間でもあるんだよなあ。

 所詮は同性の友達扱いだからこういうことになる、彼女だって気にせずに色々と言えてしまうんだ。

 喜怒哀楽、どの感情に該当するのか分からなくて、だからこそなにかを言えたりはしなかった。

 話したいと言っていたことからくろは何度も話しかけてくれたけど、ちゃんと返事をするだけで精一杯で苦笑した。


「待て、どうしてまたそのような顔をするのだ? 今回は放置しているというわけではないのだが……」

「あ! ち、違う、くろが悪いわけじゃないんだ」

「そ、うなのか? それならもう少しぐらいは……」

「ちゃんとする、だから色々な話を聞かせてくれ」


 私はどうか分からないけど表情で揺さぶってくるのは彼女もそうだった――いや、多分私なんか全く問題ないぐらいには強力すぎるそれだ。

 ちくしょう、後輩を不安にさせるなよ私。


「もしかしたられんは私よりも弱いのかもしれないな」

「分かっていることを何度も言うなよ……」

「ははは、あんな顔をされるのは嫌だからやめておこう」


 弱いと言う前にやめてほしかった。

 こういうときにいい笑みを浮かべるものだから意地悪な人間だということは確定したのだった。

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