第三十話 劉赫の策略
饕餮山の麓から徒歩で一刻ほどの距離に、小さな街場がある。
付近の村人たちはここで食材や日用品の買出しをし、巫女たちの出会いの場ともなっている場所だ。
後宮から戻ってきて初めての街場に雪蓉は一人で訪れたのだが、後宮にいた時間は一年にも満たなかったのに、数年ぶりのような感覚がした。
活気ある街並みは新鮮で懐かしい。
雪蓉は、塩や砂糖、味噌などの調味料を山のように買い込み、それらを大きな風呂敷に包んで右肩に乗せながら、飄々と歩いていた。
普通の女の子であれば、両手で抱え引きずるようにして持たないと運べない重さであったが、雪蓉には片手で十分だった。
そして、街の人々もそんな怪力女がいることに驚く様子もなく、「ああ、雪蓉ちゃん久しぶり」と慣れた様子で受け入れている。
雪蓉が後宮に召されたことは街の人々は知らない。
饕餮山に人が出入りすることはないし、街場まで遠いから小さな巫女たちはなかなか来られない。
噂になっていなくて良かったわ、と雪蓉は思った。
もしも知られていたら、好奇な目と同情する目で見られて嫌な気持ちになっていたことだろう。
「やっぱり雪蓉ちゃん。こんな大荷物を片手で担いで歩ける女の子なんて雪蓉ちゃん以外にいないと思ったのよ」
後ろから声を掛けられ振り向くと、八百屋の奥さんだった。
「お久しぶりです」
大きな風呂敷を片腕で押さえながら、ぺこりとお辞儀する。
「ねえ、聞いた? 宮廷で料理人を募集しているそうよ。
しかも、身分、性別問わず、料理の腕だけで合否を決めるって。
宮廷料理人になれたら王宮に住めるし、大出世よね。
うちの馬鹿息子に受けるだけ受けて来いって言っているんだけど……」
「ああ、さっきも味噌屋の主人が言っていました。味噌屋の主人も受けるだけ受けてみようかって」
「あらそうなの。そうよね、こんな機会なかなかないものね。家に帰って特訓させなくっちゃ」
そう言って八百屋の奥さんは足早に駆けていった。
その姿を見た後に、色々な店に張り出されている宮廷料理人募集の張り紙を見つめる。
(紙は貴重なものなのに、色んなところに張り出されている。
すごいお金のかけよう。
王宮は腕のいい宮廷料理人になれる人物を必死に探しているのね)
雪蓉の頭に、料理を美味しそうに食べる劉赫の顔が浮かんだ。
(宮廷料理人になれたら、劉赫にまた私の料理を食べてもらえるかもしれない)
作ってあげたいなあ、と雪蓉は思った。
劉赫を思い出すと、胸がぎゅっと締め付けられる。
もう二度と会えなくても、料理で繋がっていたい。
劉赫にこの料理が、私が作ったということを知らなくてもいい。
劉赫が美味しそうに食べる姿を想像しながら、真心込めて料理を作りたい。
それに、一流の場所で、一流の料理を学びたい。
後宮の饗宮房で饗宮長が作った料理を思い出した。
美味しいだけじゃない見た目も華やかな繊細な料理。
あの時の悔しい気持ちと、料理に感動した気持ちが鮮やかに蘇ってくる。
「私も、受けようかな」
雪蓉はポツリと呟いた。
さて、雪蓉が宮廷料理人募集の張り紙を見ている頃、王宮の宸室で、劉赫が窓の外を見つめながら、怪しげに微笑んでいた。
そこからは、饕餮山が小さく見える。
「劉赫様、雪蓉は来ますでしょうか?」
明豪が半信半疑で問うと、劉赫は自信たっぷりに返事した。
「これだけ大掛かりな罠を張ったのだ。必ずかかるだろう」
「しかしながら、雪蓉を宮廷料理人にするのはいいですが、妃でなくて本当に宜しいのですか?」
明豪の問いに、劉赫は振り返って答えた。
「妃を募集しても、あいつが来るわけないだろう。
とりあえず俺の懐である王宮に来れば、会う機会も増える。
そこからゆっくりと固い鍵をこじ開ける」
「なるほど、やはり、宮廷料理人のままでいさせるわけではないと」
「もちろんだ。必ずあいつを皇后にさせる。誰が反対しようともだ」
それには当然のことながら、まずは本人の意思が必要なのでは……と思ったが、自信満々の劉赫の顔を見て、言葉にすることはやめた。
「俺は必ずお前を手に入れる。絶対に俺を好きにさせる」
再び窓から見える饕餮山を見ながら、劉赫は呟いた。
この言葉は明豪に向けて発したのではなく、自分自身を鼓舞するための決意表明のようだった。
かくして後の歴史書を紐解くと、潘雪蓉はこのあと宮廷料理人の試験を受け、無事にめでたく宮廷料理人になる。
しかも、後々、宮廷料理人から皇妃に昇格するという。
異色の経歴で成り上がった皇妃だが、それよりも驚くべきことは、皇妃となっても宮廷料理人として働き続けたということだ。
さらに、破天荒な戦う皇妃として歴史に名を残すことになる。
劉赫の治世、舜殷国は様々な危機に直面するが、平和で安泰な時代を築いた名君として功名を立てる。
しかしながら、この破天荒な働く皇妃の存在が、案外役に立っていたということは、知る者は少ない。
劉赫と雪蓉の存在は、長い歴史の一抹に過ぎないということだろう。
【完】
霊獣後宮物語 及川 桜 @hrt5014
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