第十六話 幸せな一夜
念願の添い寝……。
劉赫は幸せを噛みしめながら横になった。
すると、顔と顔が向かい合い、目が合った。
相手の呼吸までも感じられる距離にいることを自覚すると、急に顔が赤くなった。
それは、雪蓉も同じだった。思っていたよりも近い距離に、心臓がうるさいほど鼓動する。
「ちょっと、あっち向いてよね」
「なんで俺が……」
拒否しようとして、やめた。劉赫は素直に雪蓉の言葉に従い、体を反転させた。
(心臓が、もたない。息すらできない。死んでしまう)
理性が一瞬で吹き飛んでしまいそうなほどの破壊力に、劉赫は勝てなかった。
反対方向を向いてくれた劉赫に、雪蓉は心からほっとした。
「じゃあ、約束通り、子守歌うたってあげる」
雪蓉は、劉赫の背中を見ながら、美しい声で歌い出した。
評判だという雪蓉の子守歌は、どうやら本当のようだ。透き通るような優しい声色だった。
そんな素晴らしい歌声に劉赫はさぞ感動しているかと思いきや、本人は子守歌どころではなく、まったく聞いていなかった。
(さあ、ついにここまできたぞ。問題はここからだ。ここからどう距離を詰めるかだ。
性急に進めては拒まれるのは明白。考えろ、考えるんだ。どうすれば雪蓉をその気にさせられる⁉)
雪蓉の優しい気持ちを踏みにじるかのように、安眠とは真逆のことを考えている劉赫。
普段公務でもここまで真剣に頭を使うことはないくらい、大真面目に策を練っていた。
(夜の勢いに任せて、急に接吻するのはどうだろう。……うん、間違いなく平手打ちされるな。
それに、指一本触るようなら自害するとまで言われているしな。本人がその気になってくれないと何もできない。ならば……)
「急に酒が飲みたくなってきた。どうだ、一緒に一杯……」
気持ちよく歌っていたのに、急に話し掛けられたので、雪蓉は少しむっとした。
「私は飲めないから。飲みたいなら一人で飲んで。お茶でいいなら付き合うわよ」
「……それなら飲まなくていい」
(雪蓉が飲まないなら、何の意味もない)
劉赫は残念そうに項垂れた。雪蓉は、劉赫が再び黙り込んだので、子守歌を再開した。
(酒が駄目なら……薬を盛るか)
いや、駄目だろ。人として駄目だろ。最低だな、この男。
(しかし、正気に戻った時、あまりの後悔に自害してしまう可能性もある。……薬は駄目か)
いや、その可能性の前に、そもそも薬はいけない。
酒の時点でどうかと思ったが、この男、思い詰めると、とんでもないことを考える。
一方の雪蓉は、劉赫の気も知らず、呑気に歌をうたっていると思いきや、心の中は劉赫同様動転していた。
(どうしちゃったの、私。なんでこんなにドキドキしているの。
劉赫の大きな背中を見ていると、心臓の動きが速くなる。
こんなに近い距離にいて、同じ布団で横になっているのだもの。意識するなという方が無理があるわ。
そういえば私、ずっと女同士で生活してきたから、男の人とこんなに近くで接するの初めてだった。もう、胸が痛いくらいドキドキしている)
劉赫はまさか雪蓉が、自分のことを意識しているとは夢にも思わない。
正攻法でいけば、もしかしたら奇跡が起こる可能性があるにも関わらず、劉赫はあくまでも汚い手しか考えが浮かばない。
(どうする、どうすればいいんだ。もうこの際、男女の関係にはなれなくても、指一本でいいから触れたい)
女性から一度も好意を寄せられたことがない男が考えそうな願いに、この男が皇帝であることは忘れそうになる。
国中の女たちが色めき立つような顔立ちで、時の権力者であるとは思えない願いだ。
(下心を察せられたら終わりだ。今、雪蓉は俺のことを小さな子どものように思っている。だからこそ、一緒の布団で寝てくれているわけだ。
つまり、それを利用すればいい)
だんだんと劉赫の頭が冴えてくる。
国一番といわれるほどの頭脳の持ち主でもある。
その優れた頭脳を使い、念願をなんとか叶えようとしている。頭脳の無駄遣いだ。別なことに使ってくれ。
(まだ眠れないから手を握ってくれと子どものように甘えたら、面倒見のいい雪蓉のことだ、無下には断れまい。しかし……)
劉赫は苦悶の表情を浮かべ、目を閉じた。
(子どものように甘えるなど、そんなこと俺の矜持が許さない)
甘えん坊と言われることを極端に嫌う劉赫が、矜持を捨て甘えることなど、できようはずが……
(仕方ない。大義のためだ)
矜持を捨てたよ、この男。
しかも、手を握りたいという、うぶな願いのために。どこが大義だ。
劉赫は大きく深呼吸をして覚悟を決めた。そしておもむろに振り返った。
「雪蓉、俺……」
体を反転させた先にあった光景に、劉赫は言葉を失った。
(寝てるー!)
可愛らしい寝息をたてて眠る雪蓉を見て、矜持を捨てて挑もうとしていた計画が脆くも崩れ去る。
ずっと劉赫のために子守歌をうたってくれていた雪蓉だったが、劉赫はそれどころでないので子守歌が止まったことに気付きもしなかった。
ふう、と大きな深呼吸を吐いて、雪蓉の肩にそっと布団を掛け直す。
(まあ、これも悪くない)
結局、指一本すら触れずに終わってしまったが、劉赫はとても幸せな一夜を過ごした。
もちろん、悪夢は見ていない。
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