第十五話 添い寝希望
「おはよう、朝餉持ってきてあげたわよ。感謝して敬いなさーい」
雪蓉がいつものように大きな音を立てて劉赫の宸室に入ると、劉赫はすでに起きていて、不機嫌そうに頬杖をついて座っていた。
いつものように無遠慮に入ってきた雪蓉を見ることもなく、怒っている様子で一点を見つめていた。
劉赫が恨めしそうに睨んでいる壁を見ても、いつもと変わった様子はない。そこで、劉赫が見ている方の反対側を見てみると、壁に傷がつき床が濡れていた。
(まただわ……)
劉赫の不機嫌そうな顔を見て、心配になる。
(彼はきっと、怒っているんじゃなくて傷付いている)
小さくため息をつくと、そっと朝餉を卓子に置いた。すると宦官も料理を素早く卓子に乗せ、お役御免といわんばかりにそそくさと出て行った。
二人きりになった雪蓉は、本音を引き出すめに、わざと劉赫が怒りそうなことを言ってみることにした。
「あなた、こんなところでおねしょしちゃったの?」
「はあ?」
雪蓉を無視するように一点を見つめていた劉赫が、初めて雪蓉を見た。
「どんな寝方をしているのかしら」
「するわけないだろ。俺を何歳だと思っているんだ」
「だって、今のあなた、おねしょをしてしまって不貞腐れている小さな子どもと同じ顔をしているわよ。おませな小さな女巫は、おねしょをしてしまったら、あなたみたいに罰の悪そうによく不貞腐れてた」
「子どもと一緒にするな!」
「子どもじゃない。またやってしまったって思っているんでしょ」
図星だったので、劉赫は一瞬言葉に詰まった。しかし、まったく的外れな部分もあるので、そこは強く否定した。
「おねしょじゃない!」
「じゃあ、何よ」
劉赫は目線を泳がせてから、静かに口を開いた。
「昔の嫌な夢を見たんだ。起きたら水差しが鏡みたいに俺の顔を映すから、腹が立って壁に投げつけた」
(腹が立って……ねぇ)
劉赫の性格はだんだん分かってきた。些細なことで怒るような短気さはない。
もしも起きぬけに水差しを壁に投げたのだとすれば、その感情は……
(恐怖。きっと、自分の顔が怖ろしかったんだわ)
必死に虚勢を張っている姿に、雪蓉の心が痛んだ。
本当は震えるほど怖かったに違いない。けれど、震える姿は見せられないから、怒っているふりをして必死に隠していた。
昔は、臆病で気弱だったという劉赫の母の言葉を思い出す。幼くして皇帝となり弱い一面を克服したように見えるけれど、本当の彼は……
(慰めて側にいる役目は私ではないと思ったけれど、私以外に誰が劉赫を慰めるの? 孤独な彼の心を一時でも癒したい)
「今晩、一緒に寝てあげようか。子守歌うたってあげる」
「ふざけるな! 子ども扱いする……な……」
雪蓉の突然の提案に最初は勢いよく否定していたけれど、あることが思い浮かんで、言葉尻が萎んでいった。
(まてよ、これは、絶好の機会じゃないか? 俺がどんなに言ったところで一緒に寝てくれるはずはないが、本人から提案された。
雪蓉は俺を子ども扱いして肝心なことを忘れているが、男と女。一夜を共にしたらもしかしたらという展開があるかもしれない)
「まあ、どうしてもというならば、寝てやってもいいが……」
劉赫は満更でもなさそうな顔で目線を外して言った。
「別に嫌ならいいのよ」
「嫌じゃない!」
勢いよく否定した後、はっと我に返った。これでは俺の魂胆に気付かれてしまう。
「嫌、ではない。一人よりも、誰かが側にいてくれた方が悪夢も見ないだろう」
「そうでしょ。私の子守歌はよく眠れるって評判なんだから」
子守歌はいらない、と思いながらも頷いた。ここで警戒されてはせっかくの好機を無にしてしまう。
相手は俺を子どものようだと思っている。それは癪だが、使わない手はない。
「いつ来る? 何時頃来る?」
「それは公務が終わった頃に……」
「今日はすぐ終わる。とても早い。いつでも来ていいぞ」
「なんか、意外と積極的ね……」
「そんなことはない、断じてない。正直、子ども扱いされて困っているが、人の親切心は素直に受け取れと臣下に言われている。皇帝として大切なことだと」
「そ、そう……」
その後、劉赫の機嫌がとても良かったのは、語るまでもない。
その日中、ずっと落ち着かず、ひたすら夜を待っていた劉赫に、ようやく夕餉が届けられた。
外を見ると、太陽は沈んでいる。これほど太陽の動きが遅いと思った日はなかったが、劉赫念願の夜が訪れた。
雪蓉と共に夕餉を食べ終えた劉赫は、食後の茶を飲み干すと開口一番にこう言った。
「さあ、寝るぞ!」
立ち上がり、意気揚々と宣言した劉赫を雪蓉が見上げる。
「早くない⁉」
雪蓉が驚くのも無理はない。
なにせ、日が落ちてすぐに夕餉を食べ始め、しかもいつもより倍の速さで食べ終えたのである。
夜になったといえど、空に浮かんでいる星の数は、数個程度だ。
ちなみにいつもの夕餉の時間は今の時刻より遅い。
作るのも急かされ、食べ終わるのも早い。劉赫が食べるのがあまりにも早いものだから、雪蓉も慌ててご飯をかき込む。
普通の女性であれば、まず追い付かない速さだが、そこはさすがの雪蓉。大男ばりの速さで食事を終わらせた。
「何を言っている。俺はいつも寝るのが早い」
「そうだったの?」
夕餉を終わらせたら、すぐに宸室から出ていたので、劉赫がこれほど早く寝ているとは知らなかった、と雪蓉は思った。
もちろん、これは嘘である。劉赫は夕餉を終えたあと、しばらく宸室で政務をこなしてから寝ているので、寝るのはとても遅い。
しかしそんなことは知らぬ雪蓉。湯浴みを済ましてきて良かった、と安堵した。
「もう寝る準備は万端だ。さあ、来い」
寝台に腰を下ろし、満面の笑みで、布団をポンポンと軽く叩く。隣に来いという意味だ。
雪蓉は少し警戒ぎみに近づいた。
「添い寝はちょっと……」
一緒に寝て、子守歌をうたってあげる、とは言ったものの、よくよく考えれば、ちょっと危険な気もしてきたのだった。
最初の頃とは違い、最近は二人きりでいてもまったく何もしてこない。身の危険を感じるような雰囲気になったことすらない。
だから、安心しきっていたのだが、添い寝はさすがに一線を越えてしまっている気がする。
「じゃあ、どこで寝るんだ。床で寝る気か?」
「私はまったく構わないわ。野宿だろうが木の上だろうが、どこでも寝られるもの」
雪蓉なら大丈夫だろうなと劉赫は思った。木の上はさすがに危ないと思うが、やりそうな気もする。
だが、それとこれとは話が別だ。寝られる寝られないの話ではないのだ。
添い寝することを楽しみに一日過ごしてきたのに、同じ部屋とはいえ、別々に寝るのでは味気がない。
正直それでも凄く嬉しいが、人は欲深くなる生き物である。
いったん添い寝ができると思ってしまったら、添い寝じゃないと損した気持ちになる。
ふっ、と劉赫はわざとらしく鼻で笑った。
「まさかお前、俺のこと意識しているのか?」
「はあ⁉ なんでそうなるのよ!」
「だって、添い寝はちょっと……だなんて、いやらしいことでも想像していなきゃ出てこない言葉だろ」
「い……いやらしいですって? 失礼な、私がそんなこと思うわけ……」
「ちなみに俺はお前に言われるまで、そんなことまったく考えもつかなかった」
「な……」
雪蓉は開いた口のまま、わなわなと震え出した。屈辱である。
「私だってあんた相手にそんなこと考えてないわよ! 考えていたら一緒に寝ようか? なんて提案していないわよ!」
雪蓉は怒りながら、寝台に乗り、劉赫から布団を奪い取った。
「さあ、さっさと寝るわよ!」
劉赫の隣で横になった雪蓉を見て、劉赫は勝ち誇ったような笑みを浮かべたが、布団を頭から被っていた雪蓉には、その顔は見えなかった。
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