第十四話 饗宮房の料理人

     

 雪蓉は最近、調子に乗っていた。


饕餮山にいた頃、一度に大量の食事を作っていたので、調理の段取りや手さばきは、饗宮房の料理人たちが目を見張るほど早かったし、毒見役は毎度とても美味しそうに食べるので、どんどん毒見役が増えていっている。


 後宮の妃たちとは無視されていまだに会話したことさえないけれど、饗宮房の料理人たちは徐々に雪蓉に心を許し笑顔を向けてくれるようになった。


 自分の料理の腕がどれくらいのものなのか、比較する対象がなかったので分からなかったが、どうやら後宮でも通用するくらいの腕前はあることを知った。


いや、通用するどころではない、料理人の中でも優秀な方なのだと自覚していった。


私ってなかなかいい腕持っているのね。これなら仙になることだってできるかもしれない。なんて、自信を持ち始めていた。


世間はこれを、調子に乗っていると呼ぶ。本人は全力で否定するだろうが。


そんな雪蓉の伸びきった鼻を、全力で真っ二つに折る救世主が現れた。


今日も鼻歌交じりで豪快に鍋を振っている雪蓉の元に忍びよる怪しい影。料理に夢中で雪蓉は近付いてくる人物に気が付かない。


「また大鍋料理ですか? 新鮮味も変化もないガサツな料理ばかりですね。まるであなたみたい」


 いきなり隣から話し掛けられ、しかも内容が直接的な悪口ときた。ぎょっとして左を向くと、料理長の鸞朱が横から鍋を覗き込んでいた。


「あ、あの、ガサツはさすがに酷いんじゃ……」


「この程度の料理しか作れないのに、鼻歌をうたいながら陛下の料理を作るなんて緊張感がない。


自惚れている証拠です。陛下はこれまで味を感じることができなかった。


ゆえに、唯一味を感じることのできるあなたの料理が美味しいと思うのは当たり前です。


しかしながら、それはあなたの料理が一流であるということではない」


 自分のことを悪く言われるのは流せても、自分の作った料理を否定されることは我慢できなかった。カチンときてしまい、つい声を荒げてしまう。


「お言葉ですけど、料理長様! 料理長様だって、私の作った料理を食べて感心していたではありませんか!」


「確かに味は美味しい。それは認めましょう。


ですが、それと料理人として一流かどうかは別の話です。


下町で店でも開けば繫盛するんじゃないですか? でも、宮廷料理人としては下働きで終わるでしょう。


あなた程度の腕前、宮廷にはいくらでもいます」


「なっ……そんなのやってみなきゃ分からないじゃないですか!」


「宮廷料理は芸術品でもあります。一品一品に楽想があり、見た目の美しさも大事なのです。


あなたの料理にはそれがない。大皿や丼に味付けの濃い主品を乗せ、気持ち程度の小皿が並ぶのみ。これを芸術品とは呼びません」


 食べ物に芸術を求められても……という本音は胸にしまい、カッとなって反論する。


「でも陛下は喜んでくださっています!」


「男の人は大皿で味付けの濃い料理が好きですからね。


若ければなおさら。陛下がそれで喜ぶのであればと思って今まで黙っておりましたが、この程度の料理しか作れないのに自惚れて自信を持ってしまっているあなたを見て、どうしても言わずにはいられなくなりました。


陛下もこの程度の料理で満足してほしくないという私個人の気持ちもあります。陛下には一流の料理を食べていただきたい」


「私の料理は未熟だと?」


「ええ。井の中の蛙です」


 ここまでめった斬りにされると反論する言葉も出てこない。悔しくて下唇を噛んでいると、おもむろに料理長の鸞朱が動き出した。


 じゃがいもを手に取り、華麗な手さばきで皮を切る。


「皮をただ剥けばいいだけではないのです。皮を綺麗に切って形を整える。


この下準備をおろそかにしては芸術品は生まれません。お皿に乗った状態を想像して作り上げていくのです」


 そう言って、料理長の鸞朱は美しくしなやかな動作で華麗に食材を切っていった。


隙のない所作。丁寧で繊細な作業をしているのに、驚くほど速い。


「私は女で唯一、宮廷料理に携わることを許可されています。


そこでは正確さと丁寧さ、そして素早さが最低技術として求められます。


そこから先、味付けや盛り付けを担当できるのは、選ばれし超一流の料理人のみ。


彼らの作る料理は、まさに芸術品です」


 そう言って、料理長の鸞朱はあっという間に料理を完成させた。それは、雪蓉が作っていたものと同じ料理だった。


 皿に乗った二つの料理。食材はほとんど一緒でも、見た目の美しさが違った。


料理長の鸞朱の料理は、食材の大きさが均一で仕上げに糸唐辛子を乗せるなど見た目も華やかだ。選んだ皿も洒落ている。


 一方の雪蓉の料理は、どんと大皿に乗っているだけで、全体的にべちゃっと崩れている。


食欲そそる美味しそうな仕上がりではあるが、芸術的かと問われたら、誰もが首を横に振るだろう。


「食べ比べてご覧なさい」


 料理長の鸞朱に言われ、箸を取る。


鸞朱の作った料理を食べるのは初めてだ。不思議と高鳴る胸を抑えながら口に入れると、その繊細な味付けに目を丸くした。


 何が違うのだろう。あっという間に完成された料理なのに、奥深い。食材の火の通り加減、大きさ、全てが計算されている。


 悔しいけれど、悔しいと思うのもおこがましいほどの完敗だった。


 宮廷料理人は次元が違う。鸞朱の言う通り、自分は井の中の蛙であったことを知った。


「とても……美味しいです」


 自然と涙が込み上げてくる。こんなところで泣きたくない。泣き顔なんて見せたくない。


それでも、自分の未熟さが許せなくて、この程度の料理で満足していた自分が恥ずかしくて、鸞朱の作る異次元の美味しさが羨ましかった。


涙を堪え、赤くなった鼻をずずっと音を立ててすする。


 雪蓉の反応に満足したのか、鸞朱は先ほどまでの棘のある言い方ではなく、少し優しい口調になった。


「たまにあなたが作る琥珀糖。あれは美しいですね。精進しなさい、陛下のために」


 そう言って鸞朱は去っていった。


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