第五話 怪力女の輿入れ

雪蓉の輿入れは、色々な意味で前例のないものだった。


 まず、身よりのない一介の女巫が、正一品の貴妃(きひ)に任命されたこと。


現在、後宮には皇后がいない。四夫人といわれる貴妃、淑妃(しゅくひ)、徳妃(とくひ)、賢妃(けんひ)が妃妾(ひしょう)としては最高位となるのだが、劉赫はこれまで四夫人すらも置かなかったので、雪蓉が後宮内で一番高い位となる。


正二品の九嬪(きゅうひん)、正三品から正五品の二十七世婦(せいふ)、正六品から正八品の八十一御妻(みめ)は、いることはいるが、数が圧倒的に少なく不在の位も多い。


 劉赫は後宮嫌いとして有名で、妃妾を迎い入れることを頑なに拒んでいた。後宮など解体してしまえばいいと言っていたくらいである。それを家臣がなんとか食い止め、首の皮一枚で存続していたのである。


 どんな美妾が入ってきても、会うことすらしなかったので、劉赫は男色家なのではないかとあらぬ噂が立っていたくらいだ。


 そんな時に、劉赫自らが、後宮に入れたい女がいると言ってきたので、家臣たちは両手を挙げて喜んだという。ただし、喜びも束の間、女の身分を聞いて家臣たちは青くなる。


 しかも劉赫はご機嫌な様子で、「そういえば皇后いなかったから、皇后にするか」なんてのたまうので、泡を吹いて卒倒する者までいた。


 そうして、劉赫と家臣との譲れぬ戦いが幕を開けた。


皇后にしたい劉赫、身分のない女をいきなり皇后にしたら国の威信が保てないと主張する家臣たち。激しい衝突を繰り返し、折衷案として、雪蓉を貴妃に据えることが決まった。


 劉赫が小屋から消えてから、一か月の時を経たのにはこうした理由があったのである。


 さらに前例のないこととして、皇帝自らが求婚に行き、断られ無理やり捕獲。しかも、その後がもっとも酷かった。


 舜殷国選りすぐりの屈強な武官を集めて出立したにも関わらず、女一人を抑えるのに多くの武官が犠牲となったのだ。犠牲とはいっても幸い死者は出ていない。


しかしながら兵の消耗は激しく、皇居に着くなりバタバタと倒れる者が続出した。


 見目麗しい天女のような女は俊足、そして怪力で、獰猛な獣と対峙しているようだったと、後に倒れた武官たちは語った。


 求婚した美女が、まさかの怪力女だったと知った劉赫は、百年の恋も冷めるであろうと思われたが、予想に反して「さすが俺の嫁」と満足気に微笑んだという。


 後宮のみならず宮廷からも目の上のたんこぶとされ、貴妃など認めないと心の内で激しく抵抗する人々は、その話を聞いて後宮に入れることすら反対し出した。


しかし、到着早々開催された雪蓉のお披露目の儀式で、家臣たちの見る目は一気に変わる。


 皇后の冊立の儀式も行われる江奉殿(こうほうでん)で、簡易な祝賀の儀式が行われた。


 大きくはない建物だが、外朝の太湖殿(たいこでん)と同様、複雑で装飾的な藻井(そうせい)を用いた天井が鮮やかに際立っている。


江奉殿の中央にある玉座に、冕服(べんぷく)に着替えた劉赫が座り、雪蓉を迎え入れた。


 華麗な上襦下裙(じょうじゅかくん)に身を包んだ雪蓉は、この世のものとは思えぬ美しさで、長く豊かな濃紫色を帯びた黒髪を芍薬(しゃくやく)の生花と揺れる簪で飾り、ひと房編んだ髪は頭頂で双鬟(そうかん)を結い上げている。


薄桃色に色取られた薄織りの披帛(ひはく)を肩にかけ、上衣の襦は鮮やかな緋色で、金糸で花鳥が描かれている。


下裳は光沢のある生成りの乳白色で、裳裾が柔らかに広がっていた。


簡素な身なりで化粧気のない素肌でも目を引く美しさだったが、煌びやかな衣装に身を包み、薄く化粧を施したその姿は、誰もが文句のつけようもないほど佳麗だった。


 彼女を見てしまったら、どんな美女も物足りなくなってしまうだろう。


 金襴の龍袍を身に纏い、前後二十四旒の冕冠を被った若く美丈夫な君主と並ぶと、まるで一枚の絵を見ているような不思議な感覚になる。


 こうして雪蓉は、無事に後宮の貴妃として迎い入れられた。


身分がなくても美しさで他を黙らせる、前例のない美妃であった。本人にとっては嬉しくもなんともない話である。


なんなら「後宮から出て行け!」と言われたら、「喜んで!」と嬉々として去りたいところだが、どうも雲行きは怪しいようだ。


 

「絶っ対、脱出してやる!」


 やたら豪奢な室(へや)に軟禁された雪蓉は、拳を握りしめ決意も新たに気合を入れる。


 紅色で彩られた壁や柱は、花鳥をあしらった緻密な装飾が施され、銘木の花梨が使われている。


床には毛氈(もうせん)が敷かれ、黒檀の卓子には硝子の水差しや、彩りのいい砂糖菓子を乗せた銀盆が置かれていた。


 室は無駄に広いし、至れり尽くせり、最高の住まいを提供されたが、豪華な暮らしに喜ぶような性格ではない。


 侘しいが、子供たちの笑い声で満たされていた、あの古ぼけた家屋に帰りたい。


(否、帰るのよ!)


 雪蓉の住まいは、後宮の中でも最も外廷に近いところにあり、侵入者を防ぐ堀の向こう側には大勢の兵が配列されていた。


 雪蓉の強さは、捕獲の一件以来、周知の事柄になっている。女一人にここまでやるかと呆れるくらい警備は厳重だ。


 しかし、諦めるわけにはいかない。雪蓉は饕餮山に戻り、仙になるのが夢なのだ。こんなところで呑気に貴妃をやっている場合ではない。


 何度も脱出を図るも、そもそも室から出るのも至難の技だ。室の扉に南京錠をつけられた。


扉ごと破壊し室から出られたはいいが、雪蓉の世話係の女官たちにあえなく見つかって戻される。


 宦官がいれば見張り役となってくれたのであろうが、後宮嫌いの劉赫によって宦官は一掃され後宮から締め出されていた。


宦官に富と権力を持たせるとろくなことがない、というのが劉赫の持論だった。


一時、本気で後宮をなくそうと動いたが、後宮をなくすことは小国を潰すことと等しいくらい労力と時間がいることを悟り、必要最低限の人員で維持していた。


そんな背景があり、突如貴妃としてやってきた怪力女を閉じ込めるのは女官の役目となってしまったのだ。


 しかし、実はこれが逃げにくくなる一番の要因となっていた。


 男共であれば、怪力を披露できるが、女性には手を出せない。自慢の俊足で逃げ切ろうとしても、ひ弱な女官たちが必死で雪蓉を追いかける姿を見ると不憫に思えてくる。


さらに、足がもつれて転んでしまう様を見てしまったら、放っておけず駆け寄ってしまう。


 扉を破壊したため、鍵は掛けられなくなったが、その代わりに室の前に大勢の女官が配備された。


 うっかり怪我でもさせてしまったらと思うと、思いきった行動はできない。


警備はさらに厳重になるし、扉を壊してしまったから、隙間風が寒いし、次からは鍵をかけられても破壊するのはやめようと密かに反省した。


 日が傾き、夕暮れに染まる頃、夜を待ちきれない劉赫は、初めて後宮入りした。

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