第9話

天鳴島南区。

北区が自然と伝統を守るように昔ながらの風景を残すのとは対照的にこちらは近代的な風景が広がっていた。

整備された道路には夜になるときちんと街灯も付く。

市役所や病院などといった施設、小学校、中学校はもちろんの事、この島唯一のスーパーもそのすべてが南区に設置されていた。

はじめてこの島訪れた人が北区から南区へ移動すると、そのあまりの急激な違いからタイムスリップでしたかのような感覚に陥ってしまう。

同じ島であるのにそれはあまりに不自然な変わりようだった。

この違いは、島を南北で分かつ二つの家にあった。

北区を管理する星蔵家と南区を管理する黒絵家、この両家の思想の違いがこの島をこうも二つに分けてしまっていた。

神ヒルを信仰し、人々は神に尽くすことでその恩恵を受けられるということを今なお受け入れている星蔵家。

神ヒルの存在を認めつつも信仰はせず、あくまで自分たちの発展のためとする黒絵家。

黒絵家の思想はあくまで進化と発展、ならば彼らが管理する南区が進歩していったのも当然のことだといえるだろう。

そんな南区の中でもひときわ異色な建物がある。

小高い丘の上にあるその建物はさながら西洋のお城。

それが黒絵家の屋敷だった。

深い堀に囲まれたその城には跳ね橋を渡らないことには中に入る事も許されない。

高い城壁と爆弾でも破壊できないほど頑丈そうな鉄扉は徹底した他者への拒絶を現しているようにも見える。

そもそも城とは侵入者などの敵から守る造りとなっているのでその認識は間違ってはいないのかもしれない。

そんな高い城壁に囲まれた鉄門をくぐるとそこには誰が手入れしているのか?

みごとなバラ庭園が広がっている。

外部からの拒絶とは裏腹の内部のその美しさと煌びやかさは身内へのやさしさを示しているようにも感じる。

お城といったら殺伐としたイメージもあるがこうした美意識を取り入れているあたり、みためは城だが造りとしては宮殿をモチーフしている部分もあるのかもしれない。

眼前に広がる色とりどりのバラたちは見たものを幻想の世界へ誘う。

この光景の前ではだれもが心を奪われ無意識のうちに足を止めてしまうだろう。

そんなバラの迷宮を進むと現れるアーチは幻想の終わり現実との境界線となっている、

赤と白を主としたバラのアーチをくぐると見えてくる館の全体図。

美しさの奥にあるその力強い建物。

石造りの強固な城には左右そして真ん中に三つの塔があり力と高みを目指す黒絵家の思想を体現したかのような外観になっていた。

この城の内部へ入ることが許されるのは館の主、黒絵那岐に認められたものだけ。

その中の一人に飯屋透がいた。

黒絵家当主に友人と認められたその男は今、この異質な家の中でも特に浮いて見える道場に居た。

この家が武家屋敷なら違和感はないが、この西洋の城の中ではあまりに異質だ。

この場所にこんな建物が存在するわけは、当主である黒絵那岐が幼少の頃より柔道を学んでいたために前当主が息子のためにと道場をプレゼントしたためであった。

そんな、道場には息子ではなく息子の友人である飯屋透が今は通い詰めていた。


透が那岐に柔道を習うためこの道場に通いだしたのが今から三年ほど前の事。

家に引きこもり本ばかり読んでいることの多い透を何度か外に連れ出したがスポーツにもアウトドアにも全く興味を示さなかった。

そんな透が急に柔道を教えてくれなんて言い出した時、那岐は軽い驚きを覚えた。

いったいどういった心境の変化だろうか?

しかし、透も十二歳なにか思うところもあるのかもしれない。

何より友人の頼み断る理由じゃないそう考え那岐はその日から透の柔道の師範となった。

五歳のころから始めた柔道だったが、大会などに出たことは一度もない。

それは那岐がこの力は己の中だけで完結させてもよいと結論づけていたためである。

そんな彼だったが透に柔道を教えるのは単純に新鮮で楽しいものであった。

透自身も才能があったのか、それとも元来の勤勉さゆえか飲み込みがはやく、どんどんと成長していくその姿は那岐の興味を引いた。

そしてそれから三年、十五歳となった彼の技は那岐に迫るものとなっていた。



観客も審判もいない道場に居るのは二人の男。

一人は荒く息を弾ませながら床に倒れ、もう一人はやれやれと安どのため息を漏らしながら倒れた男に手を差し伸べていた。

「今のは危なかった。経験の差や体格差でかろうじて私が勝つことができたが、次はどうなる事やら」

「そうだな。次は勝てそうだ」

差し出された腕を握り立ち上がる透、那岐は彼の素直な言葉に苦笑する。

「しかし、お前にこんな才能があったとはな。引きこもってばかりいないで、もっと早い段階で稽古を行っていればよかったな」

心底残念そうに言う那岐にそれは違うと首を振る。

「こんなこと言うと怒られるだろうけど、俺じゃだめだよそんな情熱はないし努力しているわけでもない。才能も違うな、俺自身そんなもの感じたことないから」

「努力でも才能でもない。じゃあいったい何なんだ?」

「そうだな。俺にはね神様が憑いてるんだ」

その言葉に那岐は笑うことはしなかった。


「ミスった」

黒絵家からの帰り道透は先ほどの発言を後悔しついつい独り言を漏らしてしまった。

あたりには誰もいない。

故にその言葉に反応できる者もいない中、彼の頭に女の声が響き渡る。

『ミス?いったい何のことだ』

「神様が憑いてる。あんなこと言うべきじゃなかったなって」

その声に透は驚くこともなく返答する。

『なぜ?あんなものは軽口でしかないだろう。事実だとしても誰が気づける?』

「ナキ、それはあいつがただの島民だった場合だ。なんて言っても那岐は黒絵家の当主だからな」

まるで親しい友人に話しかけるかのような軽い口調で透は声だけの存在であるナキに話す。

『黒絵家、兄ヒルを殺した神殺しの一族か』

呟く、その言葉は無感情であり本気でただその言葉を発しただけのようだった。

「那岐があの伝説、いや真実だったな。あの話をどこまで信じてるかは知らないけど、なんか不安でさ。もう言った後だからどうしようもないけど」

顔を俯け落ち込む様子の透にナキは『心配のし過ぎだろうと』励ますが、透の気は晴れない。

確かにナキの言うように気のし過ぎなのかもしれない。

しかし黒絵の城に通うようになり幾度となく目にした島の文献とヒル伝説の書物の数々、それを今思い起こしてしまったことが何よりも良くない虫の知らせのように感じられた。



「明理様。お食事の用意ができました」

そう襖の向こうにいる主に佐織は自身の心情を悟らせぬよう努めて明るい声で彼女を呼んだ。

「そう。ありがとう。今行きます」

カタリと襖の奥からなにかを置くような物音が聞こえ、そう返答がきた。

しばらくすると襖が開き佐織の主である明理がその姿を見せた。

その姿を目にし佐織の胸がほっと温まる。

それはまるで恋する乙女のような感情であった。

明理はこの数年で一段と美しく成長した。

彼女がほほ笑めば同性である佐織も胸が高鳴るのを感じてしまうほどに、その美しさは日々磨かれている。

そう佐織が思ってしまうのは多分に彼女のひいき目があるのだろう。

実際の明理は、髪こそつやつやとして美しいが一重のその瞳は細くまるで狐を思わせる少し意地悪そうな風貌をしており背も小さくスタイルがいいわけでもない。

それでも、この島の人たちは恐らくそのほとんどが明理の事を美しいというだろう。

もちろんそこには明理が蔵星の人間だからというのもある。

この島で星蔵と黒絵に歯向かうものなどいはしないのだから。

けれどそれを抜きにしても彼女には内からあふれる光があった。

それは人々はカリスマ性というのだろう。

佐織もそんなカリスマに魅了された一人だった。


「いい香りですね。佐織さんの料理は本当においしくて。私も今度教えてもらおうかしら」

家政婦として同じ家にいるが何かと忙しい明理となかなか会う機会のない佐織にとってこの食事を呼びに行く時間だけがまともに会話のできる楽しいひと時だった。

「ええ、是非!私などでよければ」

そんな時間を設けてもらえれるなど、なんと幸運なのだろうか思わぬ申し出に佐織は自然と笑みをこぼした。

「ありがとう。せっかく食事に招待しているのだもの、やっぱり自分で作ったものをご馳走したいもの」

語る彼女は朗らかな顔で、だがそれを聞く佐織な顔には確かな影がさした。

少なくとも、明理と並ぶように歩んでいた歩を止めてしまうほどには佐織に衝撃を与えたようだった。

一体何がそんなに衝撃なのか?

それは、彼女が招待しているという客人に問題があった。

『ピンポーン』

と響き渡るチャイム音、それはあの人物がきたことを告げていた。

「来たわね」

明理もそれを察したのだろう、彼女の足は少しうれし気に玄関へと向かい佐織はそれに追従する。

玄関には予想通りの人物、飯屋透が玄関に座り込んで二人の到着を待っていた。

そのふてぶてしい態度に佐織は知らず知らずのうちに顔をしかめてしまう。

だが明理はそんな態度気にも留めていないようだった。

「勝手に上がっても構わないのに」

「さすがにそこまではね。気が引けるさ」

そう言いながら、透はちらりと佐織の方を見る。

その行為で佐織のいら立ちを余計にます。

まるで自分への当てつけのように感じてしまったからだ。

そんな際の気持ちを知ってか知らずか、明理は家の中へと招き入れる。


そうなれば佐織が口をはさむ余地などありはしない。

この家に使えているものとして下げたくもない頭を下げなければならない。

佐織の前を通る二人、目線だけを上にあげると一瞬透と目が合った気が佐織はした。

その目は勝ち誇ったかのように笑っていた。

佐織の気持ちなど見透かしているぞといわんばかりのその笑みに歯を食いしばり彼女は怒りに耐えたのだった。



そもそも、飯屋透がこの星蔵家に出入りするようになったのは今より三年ほど前の事だった。

明理が自分の友達だと突如として連れてきたその少年の事を佐織は顔こそ初めて見たが名を聞きすぐにそれがどのような人物なのか思い当たった。

飯屋透、この人物について佐織が知ることは少ない。

けれどその両親の事は知っていた。

彼の両親はこの島の出身のものではない。

外から来た部外者である研究者だった。

島のものはそんな風変りのよそ者を煙たがり相手にせず彼らのこの島での歴史研究も次第に行き止まりとなっていった。

そんな彼らの前に現れたのが黒絵那岐。

この島の名士であり星蔵家の天敵である男だ。

彼はすぐに飯屋夫婦を黒絵家専属の学者として家に招き入れるという破格の待遇と共に彼らを取り込んだ。

その事実に誰もが驚き疑問を感じたが、那岐に不満を漏らせれるものなどいるはずもなく。

また、彼が飯屋夫婦側に回ったことで島の人間たちも彼ら夫婦を邪険にすることができなくなったのだ。

そんな黒絵の息のかかった夫妻の息子がよりにもよって星蔵家の当主に近づくとなれば佐織としては何か魂胆があるのだろうと考えてしまうわけである。

けれど、心配ばかりで何もできない自分に佐織は何より憤りを覚えるのだ。



「あの、家政婦さん。明近さん。今日も凄い目でにらまれた。思わず顔が引きつったぞ」

今この食堂に話の人物、明近佐織の姿はないが陰口をする後ろめたさもあり透の声は自然と小さくなる。

そんな透の問いかけに明理は白米をほおばりながら首をかしげる。

「佐織さんが?なんで?」

疑問を述べる明理、その顔は本当に理由が思い当たらないと言っているようだ。

「思い当たる節はいくつかあるさ。俺が黒絵家に通ってる点や両親の事、そもそも庶民の俺が明理と

かかわってるのが気に入らないのかもしれない」

透がそう意見を述べるも明理は再び首をかしげる。

「そんなこと気にするかな?私が黒絵と親しいのならわかるけど透はあくまで私の友人なんだからどんな交友関係があろうと関係ないと思うけど」

理屈ではそうかもしれないが、人の感情というのはそんな単純ではない。

そこらへんがどうにも疎いのかそんな正論を述べる明理に透はため息をつきたい気分になった。

「人の感情はそんな単純なもんじゃないでしょ。あくまで今言ったのは俺の説だけど、あの人が俺に対して何か負の感情を持ってるのは間違いないさ」

そう、さっきのようなことが今日だけだったのなら勘違いだと済ませることができたかもしれない、けれどこの家に通うようになり三年、顔を合わせるたびにアレでは何かあると思わずにはいられない。

「これは俺だけじゃなくてナキも感じてることだから」

そしてダメ押しのこのセリフ。

自身が信仰する神の仰せとなれば何も言えない明理は、

「わかった気にかけてみるよ」

と納得してくれた。

「そうしてくれ」

と、肩の荷が下りた透は実際問題自分がこの家に通うのをやめればいい話だとも考えたが、ナキとの関係上この家に赴かないのは不可能のためその考えは早々にあきらめた。

その後は得も会話もなくもくもくと食事をとる。

今日のご飯はなめこの味噌汁にタケノコのステーキ、それに厚焼き玉子と質素だが食欲を促進しそうなものだ。

本当はもっとがっつりしたものを食べたいがこちらは御呼ばれされている身、ぜいたくは言えない。

もっとも、透と味覚も共有できるナキはもっとおいしものが食べたいとクレームを入れてくるが。

どうやら以前、黒絵家にてステーキをごちそうになったのが悪かったらしい。

そんな、職にうるさいナキだが地球の食べ物は体に合わないらしく自ら口にすることはない。

あくまで味を楽しむための娯楽の一環。

本人の食事は故郷の星から持ってきたというビー玉のような謎の物体で補っている。

なんでも、飴玉のように舌で転がして食べるらしい。


「今日は顔色いいみたいだね」

沈黙を最初にやぶり話しかけてきたのは明理だった。

のぞき込むような視線に少しの居心地の悪さを感じ透は顔を背ける。

「そう?特別、調子がいいって感じでもないけど。まぁ、美味いもん食ったから気分はいいな」

「本当にそう思ってる?その割にはおいしいって最近言ってくれてないけど」

この家で一緒に食事をするようになった当初はうまいうまいといって食べていた透が最近は何も言ってくれない。

もしかして佐織さんはそのことを不満に思っているのかもしれないと明理は見当違いな答えを出す。

「まいど毎度言うのもなんか気恥ずかしいだろ?なんかがっついてるみたいで情けないし」

「そんなもんかな?」

納得などまるでしてないと主張するように明理は口をとがらせるが、透はそれを無視した。

「この後ナキ様に会いに行くんでしょ?」

「ああ、頭の中じゃいつでも会話できるけど、体の調整自体は実際会わないとできないからな」

さも面倒臭そうに言う透に明理は心配の言葉をかける。

「ねぇ、その体の調整って本当にナキ様との感覚強化のためだけのものなの?なんか、透の体調どんどん悪くなってるみたいで心配なんだけど」

明理の言うように透の体調はここ最近目に見えて悪そうだった。

本人はただの風邪とかつ彼がたまっているだけだと言ってはいるが、辛そうに目を閉じている姿を見ている側としてはとてもそんな風には思えなかった。

自分よりも年下だとは思えないほど年季の入ったその顔もあるいはその不調が原因だと考えると単なる老け顔と簡単には決断を下せなかった。

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