第8話
その日、透が突如として星蔵家を訪れたことに明理は驚くことはなく彼を迎え入れた。
透は世間話も挨拶もなくただ、あの女に会わせろと言ってきた。
本来なら藪から棒な言葉に年長者として注意するべきところかもしれないが、彼の要件と今置かれている状況を理解している彼女は、文句を言うこともない。
「入って。ナキ様は地下で待ってる」
その明理の態度に何か察するところがあったのだろう。
妙に物分かりのいいのはいつもの事だが、事情すら全く聞かないその対応に透は違和感を感じる。
「明理は何か知ってるの?俺の事?」
彼女は頷いた。
「そう」
正直その答えに透は多少へこんだ。
なんだか裏切られた気になったのだ。
けれどあの女は明理が崇める神そのものなら、どうすることも出来ないのは仕方がない事なのだろう。
神の行動に異議を唱える、それこそ信仰に対する裏切りなのだから。
透はそう自分を納得させた。
地下の穴蔵では昨日と同じ場所にあの女はいた。
相変わらずよくわからない機械の上に座る姿を見て透はコイツは高いところにいないと気が済まないのだろうか?
そんな疑問を抱く。
明理が用意したのだろう、着物もきちんと着こなしたその姿に透は安心する。
この前のような姿だと正直話しにくいと思っていたからだ。
『よく来たな。私の肉体』
開口一番、正確には口を開きしゃべったわけではないが、そう言ってくる女。
「お前のじゃない。やっぱり俺の体に何かしたのか?」
『先ほどは危なかった。もう少し注意しないとな。怪我をするところだったんだぞ』
その白々しい気遣いが透をいらだたせる。
「いいから、俺の体どうなってるんだよ!」
その叫びと同時に透の右腕が自らの口をふさいだ。
もちろん透の意思ではない。
『あまり騒ぐな。そんな感情むき出しの声は私からすれば耳障りだ』
「ナキ様。鼻までふさいでいます。これでは呼吸ができません、どうかお手をお放しください」
『そっか死んじゃうか』
まるで今知ったかのように女は呟いた。
『飯屋透といったな。どうやら共感は完全に成功したようだな』
「手が勝手に動いた」
『そう、今お前の体を動かしたのは私の意思。手だけではない、足も口も五体すべてを私は動かすことができお前が肌で感じたもの目で見たものそのすべてを私も感じることができる。逆は無理だがな』
「元に戻して」
透の言葉に女は首を振る。
『無理だ。共感はすでに完了した。お前の脳は私の指令を受け入れるように変質したのだ、元に戻ることなどできないさ。だがまぁ私もお前の意思は尊重するつもりだ過度な干渉はしないさ』
女なりに気を使った一言だったのかもしれないがもう元に戻れないという現実に絶望していた透の耳にはその発言は全く入ってこなかった。
「なんでこんなことを?」
置かれた状況が分からない透からすれば当然の疑問に女は少し間をおいて答えた。
『見たかったその世界を。それだけだ』
「外の世界?」
『ああ、今の私にとって世界とはこの暗い洞穴だけ。望もうがここから出ることはできない』
‐彼らは日の光を嫌い地下へと潜った‐
今日読んだ資料の一文が透の頭をよぎった。
「日の光」
『そう。太陽だったな、アレの光は私たちの体に合わない。短時間なら問題はないが継続して浴びると体に不調をきたす。全く忌々しいものだ。アレさえなければこの星を渡り歩けるというのに。故に私は日の光に耐えれる体を欲した』女の目線の先には透がいる
「それが、僕ってわけか」
『そう、同調が完了した今、お前はこのナキのもう一つの体となった。疑似的なものではあるが、それでも外の世界を目で見て肌で感じられる。私にとってこれほど嬉しいことはない』
本当にそう思っているのだろうナキの口元は自然とほころび、頭に響く声も心なしか興奮しているかのように弾んで聞こえた。
それは、今までで一番親しみやすい彼女の顔だった。
「勝手な理屈だな。いい迷惑だ。・・・そこまでの事を僕にしておいてなんで意識を奪うことをしなかった?それともできなかったのか?」
この質問をすることに透かなりの勇気を費やした。
体の支配権を奪うナキの力。
ここまで、身勝手を振りまいておいて透の自我を残したことが彼にはよくわからなかった。
完全な操り人形にしてしまった方が便利だろうに、彼女、ナキはそれをしなかった。
そこまでの力が彼女になければそれで良いが、あるのにあえてしなかったとなると、今後透はいつ自分が自分で無くなるかわからない恐怖におびえ続けなければならない。
そんなのはごめんなので、今のうちに質問を切り出す。
けれどこれはもちろん危険も伴う。
ナキがもし本当に意識までも奪う力があった場合、彼女の気分次第では今ここで飯屋透という人間が消えてしまう可能性も十分にあり得るのだから。
それども、不安を抱え込むよりはましだと透は意を決して話を切り出した。
『いや、できるさ。そこまでしなかったのは私なりの配慮だったのだが、そうか完全な操り人形になることが望みか?』
そう、問うてくるナキに透は全力で首を振った。
「まさか、ただ疑問に思っただけだ」
『私は、お前の人生を奪うことに興味はない。ただ人間たちと同じ目線で世界を見てみたかっただけだ。それなら貴様の意識を残す方が私の望みにかなっている。共生関係と行こうじゃないか飯屋透』
「随分と一方的な共生関係だな。得はアンタだけじゃないか」
不満と怒り抗議ありったけの敵を込めて透はナキをにらみつけるが、ナキは眼中にすらないのだろう自らの髪を指に絡ませ遊び始めていた。
『いや、恩恵なら貴様にもあるさ。仮にも神とうたわれる私の支配下にある身だ、危機が迫れば私がお前を助けるさ。先ほどのように』
先ほどというのは例の台所でのことを指しているのであろう、やはりあれは偶然じゃなくナキが自分の体を操り包丁を躱したんだと透は納得する。そしてそのことについては口では言わないが感謝の念も抱く。
『それに気さもの体は私の介入により一種の変異を起こしているはずだ。私たちには及びつかないものの、人並み以上には優れた体へとなっているはず。まぁ、あくまで人間としてみればの話だが』
そんな実感はまるでないと透は自らの掌を開いては閉じ感覚を確かめる。
が、やはり何が変わったのかまるで分らなかった。
「それは、透の体はもう人とは違うということでしょうか?」
今まで黙って話を聞いていた明理が不安そうにおずおずと尋ねた。
『言っただろ。あくまで人間としての話だと。私が強制的に体を操っている時ならいざ知らず普段はせいぜい運動神経の良い人間くらいだ。ほかの人間と比べても大したことはないはずだ』
最後の微妙な言い回しが気になりはしたが朱莉はそれで納得したのか一例をして口を閉じた。
「恩恵か、押し付けだろ。望んでもないことを与えてあげたみたいに言うな」
その反論にナキは気分を悪くするどころか確かにそうだと笑って見せた。
『だがどうする?お前がどういったところで事実はもう変わらない。この共生関係受け入れるほかはないと思うが』
勝ち誇るかのように宣言するナキに透は一言だけ悪態をついた。
「神様なんて本当に大っ嫌いだ」
そして透はナキとの共生関係を受け入れるのだった。
帰り際、昨日とは違い透を玄関まで見送りに来た明理は自身の唯一とも言っていい友人にどう話しかければいいのかわからずにいた。
正直、こんな展開になってしまうなど想像もしていなかった。
最初はただ、自分が進行する神が目の前に現れたのがうれしくてその喜びを透とも共有したいと思って彼を呼んだだけ。
悪意なんて全くなかった。
喜びで何も考えていなかっただけ。
・・・醜い言い訳だ。
明理はそう自分の心に鞭を打つ。
目の前の現実をみろ。
その結果一番の被害者は誰だ?
目の前のこの少年じゃないか。
自分の浅はかさが友達を傷付けた。
ナキ様が悪いのではない、すべては自分の罪、自分の事しか見えていなかった。
それがこの結果だ。
謝らなければ、許されなくてもそれしかできない。
それだけが今できる精一杯の誠意だ。
そう意を決し扉へ手をかける透を呼び止める。
「透、ごめんなさい。本当にごめんなさい!」
明理は手をつき額を廊下に押し付ける、いわゆる土下座の体勢だ。
土下座なんてしたこと今まで一度もなかったが今はこの体勢が一番正しいものだと思ったからだ。
手をつき顔をあげていない状態だから透が今どんな顔をしているかわからなかったが、こちらに振り向いたことは気配で察することができた。
「どうした?明理」
「私が、君をつれてこなければこんなことにはならなかった。君の体をそうしてしまったのは私の責任。本当にごめんなさい」
そう再び謝る。
「いいよ別に。今さらどうしようもないし、明理が悪いわけでもないから」
「透?」
投げやりのように感じる透の言葉、不安を感じ顔を上げると明理の目には今まで見たことのないほど強い目つきをした透がいた。
睨んでいるわけじゃない、ただただまっすぐな瞳だった。
「明理が立場的にも心情的にもあの神様を裏切れないのはわかっている。俺の事を明理が知ってたことについてショックがなかったかといえば嘘だけど、でもそれで明理を恨む気はないさ。明理に悪意がなかったこともわかってるから。恨む相手がいるとしたらあの神様、ナキぐらいだよ」
そう言ってのけた透に明理は何といえばいいかわからなかった。
とても自分より年下とは思えないほど落ち着いた態度にも。
自分の事は恨まないといったその考え方も。
信仰する神を恨むといったその言葉にもただただ困惑するしかなかった。
「けどまぁ、あいつを恨んでもどうこうなるわけじゃないし。とりあえずはこの体を受け入れようと思う。アイツの言ってた神の恩恵ってのもどの程度のものか気になるし」
前向きすぎるその言葉に明理が唖然としていると透は急に笑う。
「明理のそんな間抜けそうな顔、初めてみた!俺だけがあこがれの神様の恩恵受けて悔しんだろ!」
そんな軽口をたたいてみせる透に今度は明理が笑って見せた。
「そんなことありません!私はナキ様に使えられるだけで幸せなんだから」
「あっそ!じゃあしっかり使えてあげな。そんなしょぼくれた顔であの神様が怒ったら大変だからな」
そう言い残し透は帰っていった。
最後のは明理に対する注意のような様なものだったのだろう。
謝っていた自分が逆に気を使われ励まされたことを恥と思いながらも明理はどこまでも優しい友人に感謝の念を抱く。
「ありがとう、透」
小さな彼の背中を見ながら明理はそう呟くのであった。
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